◇編集会議  

 

日常の中での「理想郷」

 

2026  2/7 四谷の事務所にて

 

那=那智タケシ(無我研代表・作家)

高=高橋ヒロヤス(無我研メンバー)

土=土橋数子(無我研メンバー・ライター)

佐=佐々木弘明(無我研メンバー・未知日記研究者)

 

●松本清張対三島由紀夫

 

 土 インドにいる間、英語の本とか読んでたこともあるんですけど、インドでは行くところ、行くところ古本屋があるんですよ。そこで日本人旅行者がいっぱい本を置いていって、そこですごい本を読んで。それで松本清張とか、その時にすごい読んだんです。

 高 日本語の?

 土 ええ、赤川次郎とか。普通に文芸作品もあるんですけど、松本清張がずらーっとあって全部読んで、赤川次郎も少し読んで、古井由吉までありましたよ。日本にいたら古井由吉なんて読まないじゃないですか?

 那 松本清張って、本当にいろんなジャンル書いてますよね。

 土 そうなんですよ。

 那 ゾロアスター教のこと調べてたら、松本清張のゾロアスター教にまつわる推理小説(『火の路』)が出てきて、意外と面白くて読んじゃったんですよ。

 土 ええ、すごいですよね。あの人は政治的な日本の行く末とか、歴史ものとかもやっていて。

 那 日本の遺跡みたいのが、実はゾロアスター教の儀式をやるものだった、みたいな。日本に入って来た拝火教の痕跡みたいのがあって、それが封印されたんだ、とか。意外とリアリティがある感じで書いてくるから、ほんとかな、みたいな。まぁ、聖徳太子の時代はシルクロードからそういうものも入っては来ていたんでしょうけど。ゾロアスター教が日本に影響を与えていた、とか。でも、この人こんなのも書くんだ、とか。歴史ミステリー。

 土 私、佐賀に住んでた頃は、吉野ヶ里が発掘された頃も、「松本清張が来たらしいよ」とか、視察に早速来て、すごい熱心に見ていたって。

 那 小説は俗っぽいんだけど(笑)

 土 そうなんですよね、普通にみんなが読める。

 那 ただ取材力が半端ないから。

 土 そうなんですよ。

 那 それと切り口とかが大胆で、文体がどうとかじゃないですね。

 土 みんな読める文章。そういう感じでちょっとバカにされていた部分もあると思うんですよね。軽く見られていたと言うか。

 高 だから、日本文学全集に松本清張を入れるという話があった時に、三島由紀夫がめちゃくちゃ反対したんです。

 土 (笑)

 高 こんなやつ絶対入れるな、って。

 那 雑文書きみたいに見ていたんでしょうね。三島とは真逆。

 高 それで一生恨んだ、と言うね。

 土 ああ。

 高 だから三島が死んだ後に、あんな奴死んで当然だ、と吐き捨てるように言った、と言う(笑)

 土 (笑)でも、本当に大衆まで届く……

 高 でも、あの人は芥川賞獲っているからね。

 那 そうそう、最初は。だから昔は精緻なものを書いていたかもしれないけど、だんだん、大衆小説的になっていった。

 高 まぁ、『点と線』からね。ミステリー路線になってね。

 土 うん。

 那 売れっ子になって、スピードでガンガン書くという。まぁ、そういう人は今でもいるじゃん。最初は文学だったけど、大衆小説的になってゆく。

 

●リアリズムと神話

 

 高 松本清張はデビューも遅かったからね。40くらいで。

 土 そっかそっか。

 高 逆に言うと、それまでに溜め込んでいたものが吹き出したって言うか。戦争でも兵隊に取られて散々苦労して引き上げてきて、そのへんの恨みもすごいあっただろうし。

 那 三島由紀夫の対極みたいな小説ばっかり書いてるものね。

 高 人生経験も真逆だしね。自分は兵隊に取られてさ、散々苦労して朝鮮に行って、引き上げてきてさ、三島なんて兵隊にすら行ってないでしょ。

 土 うん。

 那 憧れて自衛隊に入ったけど。

 土 体鍛えて。

 那 格好良いこと言っているけど、泥をすすったのは……

 高 おまえに何がわかる、と言うのがあったと思う。

 那 三島って作り物だからね、とことん。ただ、天才だから作り物がガラス細工のように精緻で、きれいなもの作るから一見、本物に見えちゃう。まぁ、彼はそれを自分でも自覚していたから、ある意味では本物ではあるんだろうけどね。

 前も言ったけど、若い頃に最初読んだ時、全部作り物だな、と思ったんです。ドストエフスキーとか世界文学全集みたいの読んでからそっちに行ったから、何だこの人工的な作り物は、と思った記憶があるけど。日本ではすごい賛美されているから、どういうことだろう?と思ったけど。全然リアルがないんだよね、あの人。未だにない。『仮面の告白』でさえ全部嘘で、人工的だな、と思った。

 高 だから小林秀雄と対談した時に、「あなたはむちゃくちゃ才能あるけど、まったく人間書けてないよね」って言われて。その時は、ハハハと笑っていたけど、あれは相当効いたんじゃないかな、と思うけどね。

 土 うん。人間書けてない……

 高 だから「『金閣寺』というのはドストエフスキーで言うと、殺すまでの小説だろ」と。「殺した後の小説を書かなくちゃいけないんだ」とか言われて、「そうですね」と。

 那 ドストエフスキーだとさ、『死の家の記録』とかさ、そこにいる生々しい人間の匂いまで漂ってくる。

 高 そのリアリズムだね。

 那 あのリアリズムってさ、後期小説がすごすぎるけど、あれもすごいと思ってるんだよね。めちゃくちゃすごい。

 高 だから、あれがあったから後期小説もあったわけでしょ。

 那 そうそう。ああいう死刑囚みたいなやつらとシベリアで四年間いた記録。殺人犯とかと一緒に暮らして、当時のロシアのそういうやつらはとんでもないやつばかりじゃん。で、貴族の変なやつ、と見られて差別されて、いじめられていたと思うけど、四年間の記録は本当にすごい。解説でミケランジェロの絵のようだ、と書いてあったけどそう思う。立体的に生きた人間を捉えている。

 観念もすごいけど、汗とか血とか、土の匂いとか、そういうものを強制的に学ばされた。三島はそういうのないものね。最後まで演じきったけどね。

 高 そういうのがあれば、彼もすごいものを書いたかもしれない。何もないがゆえに……

 那 才能とのアンバランスがすごい。魅力的な人ではあるけどね。

 高 『死の家の記録』がないドストエフスキーが、三島由紀夫なのかもしれないね。

 那 でも、『貧しき人々』だって意外とさ……

 高 まぁ、まぁ、そうだよね。あれもすごいけどね。

 那 リアリズムがある。

 高 でも、あの後ちょっとやっぱり落ちたじゃん。

 那 『分身』とか?

 高 あのままだとやっぱりだめだったと思う。

 那 まぁね、繊細な、文才のある……プーシキンとかゴーリキーとかになりきれなかった人になっていたかもしれない。

 高 だから、松本清張はそういうリアリズムの部分はあったんですよ(笑)その後、ミステリーに行ったけど。

 土 うん。

 那 思想とか、観念とか、哲学がある人じゃないから、松本清張は。

 土 うん。

 高 大衆に受けるものだよね、共感されるものは書けたって言うことだよね。

 那 神はいるのか、いないのか、というようなことを書けた人ではない。

 土 まぁ、そうですよね。

 那 現実的なレイヤーの中で、いっぱい取材して、盛り込んで、リアリティのあるものは面白く書けた。重層的な、神話的なものを書く、とかそういう人ではない。

 土 重層的……

 那 日本にそんな作家は残念ながらいないんですよ。重層的じゃない。リアリズムと想像界とか象徴界が重なっているような。それは一神教的なものがない、というのあるかもしれないけれど。

 

(落合信彦の話、エプスタインファイルの話、アメリカの移民問題の話等カット)

 

●『太陽を盗んだ男』のリアリティ

 

(『国宝』等、最近ヒットした映画の話から)

 

 那 先日、長谷川和彦監督が亡くなりましたけど。

 土 ああ、沢田研二の……

 那 そう、『太陽を盗んだ男』とか、『青春の殺人者』とかね、水谷豊の。あの人は生涯2作しか撮っていないのに、ずっと語られてる。

 土 うん。

 那 でも、あれは映画なんですよ。

 土 うん。

 那 まだ、最後の映画映画した映画で、彼なりの必然があって、めちゃくちゃなんだけど、一次情報で作られているから。その2作を超えようと思って無理だったんじゃないかな。だから撮れなかった。

 土 うん。

 那 でも、時代と戦っていると言うか、取っ組み合っている映画で、きれいね、すごいね、感動したね、という映画じゃないんですよね。めちゃくちゃやってるんですよ。皇居前で爆発させちゃったり、国会議事堂に沢田研二をガードマンに変装させて、無許可で入り込んで勝手に撮影したり、家を燃やしちゃったり。違法なことをやりまくっているんだけど、情熱が画面から伝わって来る。ああいう映画はもうない。絶滅しちゃってる感じがします。

 土 沢田研二はすごい人ですよね。

 那 映画を観ていても魅力があるね。

 土 おじいさんになっても歌っているし。

 高 (笑)

 那 長谷川監督は麻雀雑誌によく出ていたから昔から知っていたんですよね。ゴジゴジとか言われてて、男らしい麻雀を打って、最強位戦とか出てた。それで知ってたんですよね、どんな映画を撮っていたかは知らなかったんですけど、最近、サブスクで観てすごい良かった、と思っていたら、亡くなられたので。もう一作くらい観たかった監督ではありますね。

 

●古き良き時代の“精神的巨人”

 

 土 高橋さんは今、ベートーベンにはまっているということですけど、何かこれっていう曲はあるんですか。

 高 やっぱりあれですよ、後期弦楽四重奏。

 土 ああ……

 高 わかるでしょ?(佐々木氏に)

 佐 あ、入ってます(スマホに)。後期の部分だけ抜粋して入れています。

 高 おお。

 那 どういう曲なの?

 高 死ぬ前くらいの年に、全部で16番まであるかな、12番から16番までが後期の四重奏なんですけど、それは第九とかを作った後に。

 那 「田園」とかより後なんだ。

 高 そう、だから「田園」とか「運命」とか、「月光」とかいわゆる中期の「傑作の森」という時期を越えて、「第九」まででですよね。ピークは。その後、本当に死ぬ前の四重奏はすごい。人間を超えているというか。だから当時、死ぬ前は全然理解されなかったんですよ。

 那 今なら、「田園」とか「月光」とかさ、「悲愴」とか有名じゃん? そういうのとは違う?

 高 今でも理解されていない。

 佐 派手じゃないですからね。

 土 うん。

 高 わかりやすい曲じゃないから。難解と言うかさ。大フーガとかさ(笑)ちょっと今聴いてもきついくらいの。まぁ、アヴァンギャルドなんだよね、言うとね。だから、その後の現代音楽でやっているようなことを取り入れた上で。

 土 うん。

 高 って言うか、現代音楽は無調とか、そういうのが新しいんだ、というのでやってたけど、ベートーベンはそれを超えてるんですよね、すでに。

 土 はぁー。

 高 だから、まだ時代が追いついていないというか。まだ本当に理解はされてないんだけど、まぁ、もちろん、すごいということはみんな認めてる。

 土 うん。

 高 未だにあれを超えた音楽を作った人はいない。現代音楽家でも。

 那 「悲愴」とか、すごいいい曲だと思うし、好きだけど、そういうわかりやすい感じでもない?

 高 そうそうそう。

 那 ゲーテだったら、『若きウェルテルの悩み』の後に『ファウスト』とか作っちゃって、後期第二部のファウストはわけわからないぞ、みたいな。

 高 そうそう。

 那 たぶん、「精神的巨人」みたいなそういう感じだろうね。『ファウスト』だと第1部はメフィストーフェレスに若返らされたファウストとグレートヒェンとの悲恋があったり、わかりやすいんだけど、第2部だと大地が、とか宇宙的な話になっちゃって。

 高 (笑)

 那 何か神話みたいになっちゃって、農業の話とかして、楽園を作る、とかそういうのに近いのかもしれない。

 高 うん。

 那 同時代ですしね。ベートーベンと認め合えるレベルの人ってそれくらいでしょ。当時のドイツだとゲーテとかシラーとか。

 

●癒やしと自己探求

 

(精神の巨人の話から、日本の精神の巨人の話になって)

 

 土 河合隼雄のカウンセリングで、一回死にかけたという医者の話を聞いたんですけど、死にかけたってどういうことですか、と聞いたら、「何も聞かないし、何も言わないし」奈良に河合隼雄の家ありますよね? 佐々木さんが塾講師をやっていた時に利用していた駅の近くに。

 佐 ああ……

 土 「あの家から見える、田園の草が揺れる景色が押し迫ってきて本当に具合が悪くなった」とか言ってましたね。

 那 逆に悪くなっちゃった?

 土 死にかけましたって。

 那 簡単な癒やしは与えてくれない。

 土 そうなんですよ、癒やしじゃないんですよ。

 那 根本的に何か。だから癒やしとか、ちょっと良化したいというなら、そんな深い人じゃない方がいいんですよね。メソッド的に、表層的な方が効いたりする。そんな深いところを求められても、何も変わらなかったりする。クリシュナムルティの本を読んでも何も変わらない、とか。役割が違うんですよね。臨床に効くか効かないか、というレベルではない。

 土 心理学みたいな、自己探求と言うか、「内面の時代」、「心の時代」がイコール河合隼雄の時代で、今はオープンダイアローグとか、環境とか、外との接点の中からやっていくという、それはそれで手法の違いではあるんでしょうけど、自己探求みたいなのは流行らない、と言うか。

 那 いや、だからさ、社会との軋轢とか、摩擦とか、自己否定感とか、そういうものを解きほぐす。というところで終わっている感じじゃない? 即効性があるもので。

 土 そうですね。

 那 それで楽になったとか、鬱が楽になったとか、というレベルで、なぜそれが起こっているのか、というレベルまでいかないし、だから薬がもてはやされる。とりあえず摩擦がなくなった、思考が止まった、楽になった、スピリチュアルも同じだけど、右脳回帰した、とか、そこで終わるんだよね。

 高 (笑)

 土 うん。

 那 無意識レベルとか、神話レベルまで行かない。最近思ったのは、個人の葛藤とか軋轢をなくすとかいうレベルではなくて、人間が本質的に何を求めているのか、特に自分は何を表現したいのか、最近、小説を書いているのもあるけど、わかったんですよ、昨日。

 高 昨日?(笑)

 一同 (笑)

 土 昨日、今、目覚めました(笑)

 那 深夜、メモったんですけど。

 土 ええ。

 

●人は皆、理想郷を求めている?

 

 那 つまり、自分の中ではテーマだけど、それはたぶん、全人類的なテーマで、「あっ、ユートピアを求めているんだ」と。理想郷? つまり、世界的なユートピアじゃなくても、自分なりの――たとえば俺が、霊能者みたいな人と会ったことがある。神がかりの霊能おばあさんと孫の霊能少女と俺で、何かわかり合っていた。初めてだけど、会った瞬間から、お互いに認め合ったのね。

 土 うん。

 那 あっ、わかってるって。それは仕事で黒子のライターとしてその家に別の取材で行ったんだけど、いきなりそっちの仲間に入れてもらえた。それを感じる人と感じない人が家族の中にもいて。あなた、普通の人じゃないでしょって。中学生の女の子もこっちのことすぐにわかったのね。それで、霊能おばあさんが、「この子、いい子でしょ、普通の子じゃないのあなたわかるでしょ」って聞くから、「わかりますよ」って。いろんなことが見えている子だった。

 でも、それって俺にとっては心地いい関係だった。一つの理想郷じゃないけど、理想的な関係? だからいろんなユートピアが人生の中でいくつもあって、それを表現したいって言うか、何かそういうものを求めている。

 土 うん。

 那 人間って本来的に「個人が救われたい」じゃなくて、関係性の中で一つの理想的な世界、自分にとって理想的な配置、結びつき、ある種の「神話世界」をみんなどこかで求めているんじゃないかなって。

 土 うん。

 那 そのプロセスとしてみんな活動していて、それが政治活動だったり、創作だったりするのかもしれないけど、結局、個人だけが救われたいんじゃなくて、個人というのは関係性の産物だから、人は理想的な関係を求めていて、愛の空間みたいなものを求めていて、それって、誰もがユートピアを求めているのかなって。まぁ、キリスト教的な話になっちゃうけど。

 土 うん。

 那 最終的には、黄金世界が来る、みたいな。でも、そういう全世界レベルの話じゃなくて、ミクロレベルで表現したいな、と。だから俺、友人のお見舞いに山の上の隔離精神病棟に行った時、すごい心地良かった想い出があるのね。

 土 ええ。

 那 入って行ったら、パイプ椅子に座っているおばさんが微笑んで頷いてくれて、「あなた、ようこそ」「私たちの世界にようこそ」みたいな感じで迎えてくれて。友達の女の子はガリガリになっていたけど、「このおばあちゃんとは言葉を話す必要ないんだよ、目だけで全部わかり合えるんだよ」って言われて、すごい澄んだ目のおばあちゃんで、わーっと思ったけど。

 何か看護師とかすごい冷たい顔で、患者を機械的に扱って蔑視している感じなんだけど、この人たちの方がよっぽど人間的で、愛があるなぁ、とか思った記憶があって。みんな個性的で、みんなわかり合っている感じで、俺の中で山の上のユートピアとして残っている。

 そういう小さなユートピアを表現したいな、とか、人は本当はこういう関係を求めているのかな、とか。重層的なユートピアを人生の中で作っていく、と言うかさ。自分の表現したいテーマってこういうことだったんだな、とか気づいて、こういうことあった、こういうことあったって書き留めていったら深夜になっていた。でも、何かそれって全人類的なテーマでもあるのかな、とまでは思ったけどね。

 土 うん。

 那 個人の救いとかよりも、もっと深いところまで行くと、理想郷みたいなものを求めている、作りたい、という願望が誰の中にもあって、それは無意識のさらに下の方に共通にあって、それが全人類的な営みの原動力になっているのかもな、とかね。昨日の夜わかったんです。

 

●「他者」がいる世界の中で

 

 高 個人の救いとユートピアってどう違うの?

 那 だから結局、個人の救いって何かさ、たとえば、自我から自由になったとか、真我と一体化してふわーっとなったとか、他者がいないじゃん。みんな私だった、とか。

 高 それは悟り体験みたいなもの?

 那 うん、そういう方向のベクトルがある。宗教的には。でも、やっぱり本当の究極行くと、他者がいる世界じゃないかな、と俺は思う。

 高 他者がいるかどうか。

 那 そう、多様性がある他者。自分とは異なる。

 高 うん。

 那 それでいながら何か繋がって、ある種の調和的な関係性を築いている。有機的な?

 高 うん。

 那 彼らが創造的に関係し合っている。かと言って、分離していない。自分にとっては未知で、別の存在だけど、分離していないって言う、そういうものが個人の解放とかよりももっと先にあるんじゃないかな、とか。

 高 うん。

 那 それがイデア的なイメージとしてもあるし、日常の中で、例えば、俺が何で過去のああいう特殊な関係性を人生の中でとても大事なものとして思っているのかな、残っているのかな、という時に、他者がいて、その人たちと上手く、何かわかり合えた。ガンダムで言えばニュータイプじゃないけど、いきなりわかり合えた、とか、言葉がなくても通じ合ったとか、お互いにいい距離感で繋がり合えた。それは日常の社会的記号を超えた有機的関係だよね。

 高 うん。

 那 だから、究極言うと、「他者がいる世界における調和」というものを人は本当は求めているんだけど、そこに到るまでに、まず自我というガチガチで、他者から分離的なものがあって、社会的観念や記号的関係、プライドで分離し合っているから、競争し合っているから、それで疲弊しているから、まずはそれを何とかしたい、楽になりたい、と。

 高 うん。

 那 この記号化された競争社会の中で何とか自分を保って肯定したい、とかさ、そういうレベルでまずは必死で。

 高 うん。

 那 対処療法で。「楽になった」、「ああ、良かった」、「この社会の中で何とか上手く生きていけそうだ」で、終わっちゃうんだけど、もっと根源的願望と言うか、人類的な願望としては理想郷のようなものを求めている、ということがあるんじゃないかなって。

 高 うん。

 那 でも、それってキリスト教世界で、ある種の地上天国じゃないけど、ドストエフスキーの小説なら、最後に大調和の世界が訪れる、と。終末には。「でも、そこに到るまで罪なき子供たちの血がこれほどまでに流されなくてはならないのなら、俺はその天国行きの切符を返す」と言ったのがイワン・カラマーゾフだけど、それはある種の直線的なキリスト教圏のユートピア観で、実は重層的に、それぞれが人生の中でいろんなレイヤーを持って、そこにおいて理想郷的な関係を築ける可能性がある、と。

 高 うん。

 那 『例外者たちの詩(うた)』という詩集を出しましたけど、例外者同士だと惹き合って、地上的レイヤーでは何か変な、変人同士だけど、その世界では何か濃密な関係を持って結び付いている人たちがいて、それは小さなユートピアかもしれないし、そっちの方が濃度がある関係性の世界と言うか。

 高 うん。

 那 そういう理想郷の実現というのはとりあえず可能なのかなって。そういう濃度のある関係性、有機的関係性というのを人は求めていて、今はまだ、地上的レイヤーの影に隠れた、小さな関係性でしかないのかもしれないけれど、それを少しずつ社会に還元していって、個々の独自性とか、創造性というものを尊重する社会というものに変容していけば、それがある種、マクロ的な理想郷に近づく、という指針になるのかもしれないけど……まぁ、あまりそっちに行ってしまうと危ういところもあるので、この辺りにしておきます。

 

(メルマガMUGA第175号掲載記事)