◇編集会議 2024  4/8 四谷の事務所にて

 

「あるがまま」であれば、自然と「創造的流れ」がやって来る

 

那=那智タケシ(MUGA研代表・作家)

高=高橋ヒロヤス(弁護士・翻訳家)

土=土橋数子(ライター)

 

●「あるがまま」と一つになっていれば、流れとつながり、浮上する

 

 那 原稿(『クリシュナムルティ解読』のKindle本の原稿)はお送りしたのからちょっとは微調整しましたけど、そんなに変えない方がいい気がしたんですよ。

 高 変えるところなんか別にない気がするけど(笑)

 那 今の感覚だと、書き足したくなっちゃうんですよ。高橋さんは「原典に忠実だからいい」と言ってくれたんですけど、あんまり自分の感覚を乗せちゃうと違ってきちゃうし、これはこれで当時の流れもあるから。ただ、多少現代のことも書かないと。

 土 うん。

 那 それを書き足しているくらいで、AIの話とか、戦争の話とか、それと不完全な箇所をカットして整理したものなんで、完成度はあるかな、とは思うんですけど、どうですか? 気になったところとか。

 土 気になったところは格別ないんですけど、ただ、これだけ繰り返し言ってくださっても、中々難しいな、とは思っちゃいましたね。

 那 難しいって?

 土 言葉や文章が難しい、ということではなくて。

 高 そう言われてもなって?(笑)

 土 そうそう。

 那 そういう感覚を、もっと今だったら上手く言えるから、足そうと思っちゃったわけ。これだと結構、「真実を見ろ、見ろ、見ろ」ってとこあるじゃん?

 土 ええ。

 那 でも、それって自分が必死だった時のやり方で、真っ直ぐ真下に掘り進めていくというか……ただもうちょっと今の状態に合わせて波に乗っていく、みたいな。横とか斜めの感覚も入れたい気持ちもあるんです。たとえば、ネガなことを言われたら、ネガな気持ちになりますよね? それで、何とかポジにいきたいと思って頑張って浮上しようとして疲れ果ててうつになったりする人っているじゃないですか? 会社の人間関係とかで。でも、それをネガな状態ならネガと一つになるというか、そのものになって、あがかない? そしたら波に乗っていくから、自然と海につながっていくじゃないけど、大きな海の流れに乗って浮上していくよっていう横の感覚が強くあるんですよ。横から斜め上に浮上していくというか。

 土 ええ。

 那 パワハラとかモラハラを受けている人が身近にいるけれど、落ちている時は落ちているんですよね。その会社は愛がないというか、潤いがないから、いつもゴツゴツした石で傷つけられている、という感じなんです。「そういう時は、一旦、下の方に沈んでも、無理せずに波がやって来たら徐々に上がって行く感覚で」みたいな。「その波はあるがままでいれば必ずやって来るから」と。「なんとかしなくちゃ」とあがいたり、「自分はだめだ」と思考で余分な重しを付けてさらに沈むのではなくて、「ただそのネガな状態と一つになっていれば、必ず創造的な流れみたいなものがやってきて、自我を超えた全体のエネルギーみたいなものにつながるから」とか。でも、その感覚って、別の本でちゃんと書かないと。

 土 そうですよね。

 那 この原稿は、もう少しベーシックなところをしっかり書いている、と言うか。テキストの『自我の終焉』自体がそうなんだけど、具体的な事例における応用的な表現とは、また違ったところを目指しているから。数学の公式と言うかね。

 土 これも、たとえば「努力」の項目とかになってくると、私はそんなに「?」ではないんですけど、クリシュナムルティを知らない人はかなりみんな「?」になってくると思うんですよね。

 那 まぁ、今の価値観とは真逆ですからね。

 土 ええ。もうちょっと補助線が……自分的には『出口なお』(岩波現代文庫)を書いた安丸良夫先生の本を読んでいたからわかったことがあって、安丸先生は明治後期からの通俗道徳というものが――いわゆる勤勉だとか――、それがずっと日本人の中にあって、今、「経済的に困っている方は努力が足りないからだ」というような通俗道徳の罠に陥っている、みたいな表現をしていて、それを読んでいたので、そういう別の本の補助線みたいなものがあると、ここで言われている「努力」が理解できるんですね。一概に、その方が好きで伸び伸び打ち込んだ努力ではなくて、競争社会の中で頑張って勝ちを目指す努力がここではマッチすると思うんですけど、安丸先生の本を読んでいないとピンとこないところがあるかもしれない。

 那 まぁ、難しいんですよね。もちろん、何かを達成しようとしたり、上達しようとしたら努力というか、積み重ねは必要なわけだし、大谷さんだって藤井8冠だって努力しているわけだけど――まぁ、彼らは天才だから好きでやっているだけなんだろうけど――、それとは別に、「あるがまま」からの逃避として別の「あるべき」になろうとする努力は真実からの逃避であり、常に葛藤を伴う、ということをKは言っているわけで。まぁ、「努力」という翻訳自体が原著にマッチしているのかもよくわからないですけど。何か「我慢して頑張って成功する」という二宮金次郎的なポジティブイメージが強すぎちゃって。

 土 まぁ、そうですね。

 高 自分を変えよう、という努力とかね、心理的な意味での努力ってことだよね。

 那 そうそう。だから、彼が言っているのは、努力ということに限らず、「素直で、あるがままであれ」と言っているだけなんですよね。それをちゃんと認めて、「俺はこんなもんだよ」と自己認識できたら、そこに分離がないから自我を超えたものとつながって「あるがまま」が変容する。それこそ、自由で、創造的なエネルギーみたいなものに触れたり、その力を自在に使ったりすることもできるようにもなるんです。ジェダイのフォースみたいなものでね。

 土 フォース(笑)

 那 「あるがまま」の自己認識ができていないでセルフイメージだけが高い人は、「あるがまま」と「あるべき」の間に分離の距離があるんですね。だから高いセルフイメージが傷つけられることを常に恐れているし、実際に傷つけられることに耐えられない。でも、日常生活の中でちゃんと自己認識をしていけば、「あるがまま」と「あるべき」の間に分離の距離がなくなるから、「あるがまま」になる。じゃあ、「どうしようもない自分」でいいのかって言ったら、「俺ってどうしようもないけどさ」と言っていたら、それって自然だから、あるがままの事物と同じだから、自然の事物とつながっているんですよね。調和的な流れというか、創造的な流れと。するといつの間にかその自然の流れに触れることによって意識が変容するし、自分の存在それ自体もネガな状態から流れに乗って勝手に浮上していく。底辺にあってどうしようもない状態でも、どうしようもある状態になっていくというか、もっと自在に、自我の外にあるエネルギーに乗って、使えるようにもなっていく。

 土 うん。

 那 ただ、この「流れ」の部分を言い過ぎると、クリシュナムルティの解読本としては別のものになってしまう。クリシュナムルティはその辺はあえてあまり言わない。「あなたは未知の中にいるでしょう」とか、詩的な表現に留めるんです。ぼかすと言うか、あまり言い過ぎないのが本当は正しいんだけど……その感覚はそれぞれ独自なものだから。

 ただ、もっと詳しく言うと、「理想」というのは「非現実」だから、「現実」とつながらないんです。だから「あるがまま」になれば「現実」とつながるから、関係性も変化できるし、ある種の神秘的なものも感じるかもしれないし、自然も感じるし、リアルってそういうことですよね? 事物として落ち着くと、他のものとも事物としてつながるから、自由な創造とか、自己超越とか自己実現も可能になるかもしれないけど、ずーっと理想と現実の分離の中でそれを埋めようと努力し続けている人というのは、自然とつながれないし、葛藤の中にあるから苦しいんですよね。そうした努力の中には「あるがまま」からの逃避構造がある、というのがKの言っていることなんですよね。「努力」について言えば。二元性について言っているんです。単純に言えば、そういうことで。

 土 反省することとかも、改めて読むと……

 那 通して読んだら、意外と無意識であったことが意識化されて、自分も意外と勉強になると言うか。変なこと書いてないんですよね。俺、真面目にやっていたんだな、と思ったんですよ。読者に対して誠実に書かなきゃ、とか。自分がわかっていないことは書かないようにしよう、と思ってやってきたから。

 土 ええ。

 那 変な贅肉は意外とないなって。

 土 結局、言っていることは一つというところはあるんですけど、どのテーマから入っても「自我を見る」という話になる。それでまた何楽章のテーマこれ、みたいにずーっと通奏なんですよね。

 那 単調なところがある。

 土 それが結構、こういう表現がどうかわからないですけど、「心地良い曲感」があるというか。結局、一回言われてもわからないじゃないですか?

 那 そう、一回言われても、クリシュナムルティという人はこう言っているんだな、と流して終わって、中々自分ごとにはならない。

 土 ええ。

 那 ありとあらゆる方面から言われると多少、変わってくるのかな、というところを期待してます。

 土 そういう構成になっているのかなって。図らずも。

 那 元々がそういう本(『自我の終焉』)ですからね。

 

●瞬間か、プロセスか

 

 高 那智さんへの感想にも書いたけど、ある種、真水というかね、何の味もしない水を飲んでいるような印象があるんですよね。僕はクリシュナムルティについて。100%ピュアな真水を飲んでいるような印象があって、無味無臭というかね。那智さんの本も変な味は全然ついていないと言うか、その水を飲んでいるっていう感じがするから、それがこの原稿のいいところだな、とは思うけど、逆にそれが一般の人からすると、美味しい味がついている方が飲みやすい、と言うか(笑)

 土 (笑)

 高 あまりにも味がないものを飲んでいるな、という感想があるかもしれないけど、でも、そういう方に行っちゃうとね。また、それは本来のものから外れちゃうから、これはこれでいいんじゃないかなって。

 那 無我研らしくなくなっちゃうからね。どこにでもあるものになってしまう。

 高 それが罠って言うかね。

 那 引き寄せちゃうよ、とかね。

 高 そうそう。

 那 成功哲学。

 土 ああ……

 高 クリシュナムルティの解説本とか、ブログとか、他にもあるのかもしれないけど、そういうのはやっぱりその人なりの味がついている。

 那 仏教と比較するとかね。

 高 禅とか。精神分析とか、他の心理学とかね。そういう味をまったく付けないで、著者の体験とわかっていること、自分で噛み砕いた言葉だけで書いているというのは、そういう意味では貴重かな、と。それが大量の読者を惹きつけるかと言ったら、また別だけどね。

 土 (笑)

 那 そんなに売れるとも思ってないけど。

 高 でも、わかる人にはわかる、と言う(笑)

 土 わかる人って、どういう人だとわかるんですかね?

 高 だから一般の人から見て、一番面白いのは感想にも書いたけど、那智さんが書いた「まえがき」で。

 土 ええ。

 高 自分が若い頃すごく悩んで、で、これを読んで、その通りに忠実に、自分を見つめるという作業をひたすらやっていた。そうしたら、『悟り系で行こう』にも書いたような自我の転換が起きた、っていう。そこを自分の体験として書いているところが、一番一般の人にアピールするかな、と思って。ただそこだけを強調しちゃうとまた違ったものになっちゃうから、それを前提とした上で、この解読に入っていくという構成はいいかな、と思ったけど。

 那 高橋さんは感想をくれたんですけど、「まえがき」だけ見ちゃうと、自我を見つめる作業を7年やっていたということでプロセスがあるように見えちゃう、と。クリシュナムルティは「自我の働きを見ろ」と瞬間しか言っていないのに、プロセスがあると修行したみたいな?

 高 うん。

 那 要は、「結局、そういうことが必要なのか」っていう疑問が生じる、と。クリシュナムルティは禅で言えば頓悟みたいな、気づいて「はい、悟りました」というのと近く見えちゃうんですよね。でも、よく読んでいくとそういうこととはちょっと違う。だって冷静に考えると、原理主義とか陰謀論に染まった人が、「俺って自己中だな」と気づいたとしても、そこにある原理主義や陰謀論が自我から落ちるかって言ったら、そんなに甘くないです。現代って特にいろんな情報や観念がべったりくっついているから、そういうものも一つひとつ見て、気づいて、落としていかないといけない。特に幼少期からの宗教的条件づけとか、そういうものは根深いから。もちろん、自我の中核それ自体が崩れれば、そういうものも一気に落ちるんだけど、最初は表層から気づいていく、というのが現実的なやり方になると思うんです。

 土 何かリズムが一緒で、ボレロみたいな感じ? そこに戻って行くというのがあって、内容ではないですけど、構成が良かったと思いました。

 那 それじゃ、あまり変えなくていいですね?

 土 那智さんがあえて踏み込んでいないところは、それってどういうことだろう?と思うところは随時ありますよね。ただ、そこはあえて色を付けないということであれば、確かにそうだなって。

 那 あと、説明し過ぎちゃうと、俺のやり方とか感覚がすべてじゃないから、扉の開け方だけ示したら、後はその中に入って歩いて行って、自分で感じたり変化することがすべてだから、手取り足取りやり過ぎちゃうと良くないってことがあるんですよね。

 土 そうですね。

 那 クリシュナムルティが上手いのは、数式みたいに書いて、こうやったらこうなるよっていう原理は正確に書いているんですけど、あんまりその先のことは具体的に言わないんですよね。「愛」とか「真理」とか「創造」とか抽象的な言葉で終わらせる。でも、それって正しい表現で、その先にあるのはそれぞれの「世界」なんですよね。

 定型のイメージとかゴールを与えないことで、「あるべき」を想定させない、というか。まぁ、その表現の仕方が感覚的な刺激を求めたり、わかりやすい答えのイメージを求める現代人には物足りなかったり、わかりにくいって言われる所以なのかもしれないけど。

 

●資本主義の構造から逃れることができない時代

 

 土 島田雅彦の番組で大澤真幸という学者が「資本主義が何で終わらないか」っていう話をしてて。過剰なものがどんどん増幅しているだけで、気づいたとしても、その資本主義社会を「私は遠慮します」「もうちょっと淡々と生きていきます」ってなっちゃうと、それを許さない構造になっているらしいんですよね。はじかれちゃうというか。

 那 わかる、わかる。

 土 完全に脱落して、落ち込んじゃうというか。

 高 一種の全体主義。否応なしに全員組み込まれちゃう。

 那 うん。

 土 景気のいい時代は、ある程度アウトロー的に生きていても、80年代とか? そういう人を許容していた。伸びていく時代は。さすがに富が収奪されて、少ないパイの中で同じようなことをやっていこうとしても、無理というか、許容しない。そうすると「お金儲けじゃなくて」とか言う人が生きづらい。

 那 生活していかなくちゃならない。

 高 それがすべての優先事項の上にきて、文化でも何でも全てを支配しているから、それ以外の枠組みでは生きていけない。

 土 生きていけなくなっていますよね。

 高 本だって、「いかにしたら売れるか」ということしか考えていないから、どんどん内容も低くなっていくし。

 土 うん。

 那 内容がないものばっかりですよ、Kindle出版とか。悪しき並列化。

 高 でも、もう止まらないのでしょうね?

 土 自己増殖しているから。

 高 止まらない。

 

●自我の集積が生み出した巨大な流れに一石を投じる

 

 土 「そろそろ資本主義が終わる詐欺」の本を出している先生がいるけど、全然終わる気配がないんですけど。

 高 終わるって言うのは、何を原因に終わるって言っているんだろうね? だって自主的に止まることはあり得ない。斎藤幸平とかも何を考えているのか知らないけど、自動的にコモンズに移行するなんてあり得ないんだから、そこはどう考えているのって聞きたいんだけど。

 土 ほんとですよね。GDPは問題じゃないって。GDP上がってないんですけどって、インタビューしたいですね。サンジャポファミリーに。

 高 (笑)

 那 結局、そういう自己中心性しかない人ばかりなんだから。個々人が自分の利益のことしか考えられなくなっていて、そうじゃなくては生きていけないシステムになっている。しかも、自己愛的ではないと自己肯定感も持ちづらいと言うか、「私はすごいんだ」「私を見て」と言わないとやってられないくらい愛のない世の中になっているから。

 土 うん。

 那 だからサバイブするためにみんないかにセルフイメージを高く持って、それに向かって努力して、何とかお金を儲けるかっていう、上昇志向を求める構造になっていて、そのプロセスの中で自分たちの生活をいかに安定させるか、豊かにするかっていうのに精一杯で、それってまさに資本主義そのもので、これは止まりようがないんですよね。そういう心理的構造に組み込まれた人間で構成された社会がコモンズとか、そういう方向に行くわけがないんですよね。そういう人間がこの世界をね――日本だけじゃなくてさ――、構成しているわけだから。中国でさえ、今やそういう人たちがほとんどでしょう? これは行き着く所まで行って、何か大きな破綻が起きるまでは終わらないでしょうね。

 土 うん。

 那 だって不自然な波なんだから。

 高 うん。

 那 もう無理がきているから戦争みたいなことも起きているのかもしれないですけど。あるいはコロナもその流れの一つでしょうね。あんまり破綻と言っちゃうと世紀末的な……

 土 ああ……

 那 でも、危ういんですよね。正直。あんまり言いたくないけどね。今、非常に不自然なあり方をしている、全人類の意識が。「あるがまま」から分離している。資本主義というのは神の代わりに金が神になっているだけだから、みんな金という「あるべき」を崇拝して、そのために生きていて、お金のためには弱い国の人や、民族の人は見殺しにされたりとか、そういう発想で戦争だって起きているし、アメリカだって銃の規制の問題だって人命よりも金が大事という勢力が勝ってしまっている。結局、金が神の時代じゃないですか?

 高 うん。

 那 それをみんな信仰していて、スピリチュアルな世界でさえ、「悟れば豊かさを引き寄せられます」「お金のブロックを外しましょう」とか全部そっちにつながっている。仏陀の教えよりも、キリストよりも、金が上の存在なんです。資本主義信仰。だからこういう自我主体の人が9割型の世界で、どうやって自然に共産主義的な方向に移行するのって? もちろん、唯物論的な共産主義がいいとは個人的にはまったく思わないけど。もうちょっと平等な分配とか、まっとうな構造があれば、とは思います。ただ、そういう方向に行くには、今の人類の意識では無理だからね。

 土 そうですよね、意識が……

 那 もっと傾きますよ、正直言うと。

 高 気候変動一つとっても、毎年、50年に一度というのが起きている。毎年ね。

 那 地震とかも、それに連動しているじゃないけど、そういう流れの中にある、と言うか、そういう時代のような気がします。

 高 だからあまりにも異常なことが起きているけど、そのことに気づいていない、と言うか。

 那 うちの近くにウイグル料理の店があって、この間行ってきたんですけど、向こうから逃げてきた人なんですよ。

 土 うん。

 那 高齢の母親が向こうにいるけど連絡さえ取れない、と。連絡したら危ないから。元々は大学院に建築を学びに来ていたんだけど、向こうに帰った時にも検閲受けたり、一人だけバスを下ろされたり、危険な目にあって日本に戻って来て帰れなくなったんです。新聞のインタビューとか受けていて知ったから店に行ったんですけど、そういう話を聞いていると人ごとではないなって。

 土 うん。

 那 こういう時代だからこそ、あえてクリシュナムルティの解読本なんて出そうと思ったところもあるんですけどね。エゴに基づいた危機的時代を生きているって認識があれば、それこそ、その認識そのものがこの世界を変えてゆく力となるわけですから。まぁ、これもある種の理想かもしれないですけどね。小さな石でも投じないことには何も変わらないですから。

 土 そうですね。

(MUGA第153号掲載)

 


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