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名古屋キリスト教社会館の新聞「しゃかいかん」(最新号)に掲載された失楽園物語の記事が興味深かったので載せました。

名古屋キリスト教社会館の皆様、記事を勝手に載せてしまってすみません。不都合がありましたら、山本 恵美までご連絡くださいませ。



創世記3113

 

 

 

「失楽園物語」~わたしたちは何を勘違いしているのか~

 

 旧約聖書の創世記一章二十七節には「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」と記されています。

 

 男性中心の社会の中で、ハラスメントのもみ消し、被害を受けた人が職場にいられなくなる等、女性が泣き寝入りする出来事が本当に後を絶ちません。女性として生を受けたことが喜びの出来事にはなっていないのです。神さまに、どうして人を「男と女に創造された」のかと問いかけたくなるほどです。

 

 厚生労働大臣の諮問機関である労働政策審議会雇用均等分科会では、二○○六年に改定された均等法に昨年十月より見直しが行われてきました。国連女性差別撤廃委員会からも男女平等の実現に向け様々な勧告が出されていますし、女性団体や労働組合からも男女平等の前進に向けての要請も届いていたのですが、九月二十七日の雇用均等分科会では法改正ではなく、指針の見直しなどにとどまる「今後の男女雇用機会均等対策について(報告)」が出されました。

 

 わたしが属する日本聖公会という教派でも「二○二○年までに三○%の女性を意思決定の場に」と言う国の方針と同じく、二○二二年までに意思決定機関での女性の比率を少なくとも三○%にしようと呼びかけていますが、実現を危ぶむ声も聞こえてきます。日常的にも一般社会以上に男性中心とも思えるキリスト教会では、女性差別が聖書によって正当化する言動を頻繁に見聞きします。

 

 創世記の三章六節を根拠とし、女がまず唆されて罪を犯したから、女性を男性より劣った罪深い者として非難することがキリスト教会では正当化されてきました。しかし、このお話で注目したいのは、古代地中海沿岸の民族伝承で“禁断の木の実”のような禁止物語が展開することとの類似性です。このお話では女性が主役であり、好奇心旺盛であり、自分の判断で限界を超えることを試せるのです。女性が人間の特質を開花させ、人間らしい一歩を踏み出すのです。女性は、実をとって食べ、美味しいと感じたのでしょう。分かちあうために、その実を一緒にいた男にも渡します。とても素敵な行為です。

 

 失楽園物語が注意を喚起するのは、女性の行動ではなく、その後、神から所在をたずねられた時に、責任をなすりつけて言い逃れるその態度なのです。

 

「わたしが間違っていました。ごめんなさい」と言えない状況が、関係を壊すことは火を見るより明らかです。このように関係が壊れることによって、人間らしい生命が失われるのです。これこそが神さまの語られた「死」なのです。

 

 聖書は続けて「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め 彼はお前を支配する(創世記三:十六)」と神さまが女に向かって言われたことを記します。失楽園物語は、男性が女性を支配する男性中心の社会が、素敵な関係が壊れてしまった悲しい結末であることを語るのです。そして、男性と女性の平等な関係の回復が、人間が男と女に創造されたすばらしさを実感するためにも必要不可欠であることを教えているのです。

 

 女であること、男であることを、心から喜べる平等な社会となるように、祈りながら働いていきたいと思います。

 

 

 

(日本聖公会 名古屋ヨハネ教会 

 

         司祭 後藤 香織)