その夜、弟は何年ぶりかに私を「兄さん」と呼んだ。

弟が結婚したばかりの頃、階下の部屋は足りなかった。父は、兄弟のどちらか一人が家を出て、自分で家を建てるしかないと言った。結果がどうなるかは、先に決められていた。私が出れば、両親はこの家に残って弟と暮らす。弟が出れば、両親は弟について行き、元の家は私に残る。

私の手元には二万元余りしかなかった。家を建てるには、最低でも三万元以上かかる。それでも、直接そう言ってくれれば、私は出て行くつもりだった。だが、両親も弟も、本当は私に出て行ってほしいのに、誰も口に出さなかった。言葉にならないまま、日が過ぎていった。

話し合いで決まらなければ、くじを引く。伯父と叔父に立ち会ってもらい、くじ引きで決めることになった。結果は、弟が出て行くことになった。くじはくじだ。だが、両親も弟も、嬉しそうではなかった。

その夜、くじが終わった後、弟が私のところへ来た。私たちはもう何年も、ほとんど口をきいていなかった。同じ屋根の下にいながら、行き会っても挨拶もしない、他人同然だった。その弟が、ふいに言った。「兄さん、代わりに出て行ってくれないか」

私は聞き返した。なぜもっと早く言わなかったのか。なぜ、くじを引くところまで来てから言うのか。弟は何も答えられず、そのまま立ち去った。

取り決めでは、家に残る者が、出て行く者に二万元を渡すことになっていた。私は約束通り、弟に二万元を渡した。残ったのは数千元だけだった。弟はその金で家を建てたが、建てたのは一部屋と台所だけで、金は全部は使い切らなかった。

父も母も、結局は弟について行かなかった。弟の家に余分な場所はなく、両親は元の家に残った。出て行ってほしいと願われていた私が残り、誰もその願いを口にしなかった家に、今もその夜の声だけが残っている。

——慕凡

『50歳、私は烏江のほとりにたどり着いた』慕凡 著