メルバ・リストン (: Melba Liston、1926年1月13日 - 1999年4月23日) は、アメリカのジャズ・トロンボーン奏者、編曲家、作曲家です。彼女は1940年代と1960年代にビッグバンドで演奏した最初の女性トロンボーン奏者だが、彼女のキャリアが進むにつれて、特にピアニストのランディ・ウェストンとの共演における編曲者として名前が知られるようになった。

 

リストンはミズーリ州カンザスシティで生まれた。7歳の時に母親がトロンボーンを買ってくれた。家族は皆音楽好きで、彼女の音楽の才能を応援していた。リストンは最初は独習していたが、「ギターを弾く祖父に励まされ」、スピリチュアルやフォークソングの演奏を習うのに多くの時間を費やした。8歳の時には地元ラジオ局でソロ演奏するのに十分な腕前であった。10歳の時にカリフォルニア州ロサンゼルスへ引っ越した。クラスメイトにはデクスター・ゴードンがいて、エリック・ドルフィーとも友人になった。ユースバンドで演奏したりアルマ・ハイタワーに師事した後、1944年ジェラルド・ウィルソンが率いるビッグバンドに参加した。

 

そして1945年にはアイダ・レオナルド率いる、All American Girl Bandに参加した。 1947年にリストンはサックス奏者デクスター・ゴードンと共にレコーディングを行い、1948年にウィルソンが彼のオーケストラを解散した時にニューヨークでディジー・ガレスピーのビッグバンドに参加した。そこにはサックス奏者のジョン・コルトレーン、ポール・ゴンザルヴェス、そしてピアニストのジョン・ルイスがいた。リストンは共演者として演奏していて、ソロを求められると緊張していたが、励まされてバンドの注目されるパートを楽しめるようになった。彼女はカウント・ベイシーや、ビリー・ホリデイ (1949年) とのツアーに参加したが、聴衆の無関心さや道中の厳しさを経験し、演奏をやめて教育の道に転じた。

 

彼女は約3年間、教鞭をとった。 リストンは数年間事務職に就き、ハリウッド映画のエキストラの仕事で収入を補っていた。出演したのは映画『プロディガル』 (1955年)『十戒』 (1956年) などである。彼女は1956年と1957年にアメリカ国務省の主催するツアーでガレスピーのところに戻り、アート・ブレイキージャズ・メッセンジャーズ (1957年) のレコーディングに参加し、1958年には全員女性のクインテットを結成した。1959年にはクインシー・ジョーンズが音楽監督を務めるショー『Free and Easy』でヨーロッパを訪れた。1961年10月1日にヴァーヴ・レコードからリリースされたアルバム『アット・ベイズン・ストリート』で、彼女はビリー・エクスタインクインシー・ジョーンズ・オーケストラとの共演を果たした。

 

1960年代にリストンはピアニストのランディ・ウェストンと共演するようになり、最初は彼が作曲した中規模の曲を、大編成の合奏に編曲した。この共演は、特に1960年代には強力で、その後も1980年代から1990年代に彼女が亡くなるまで続いた。それに加え、彼女はミルト・ジャクソン、クラーク・テリー、そしてジョニー・グリフィンと共演し、モータウンの編曲者として活躍し、レイ・チャールズのアルバムにも参加した。1964年に彼女は、ピッツバーグ・ジャズ・オーケストラの設立に貢献した。1971年に彼女はスタックス・レコードの録音奏者カルヴァン・スコットの編曲者に選ばれたが、プロデューサーはスティーヴィー・ワンダーの最初のプロデューサー、クラレンス・パウルであった。このアルバムで彼女はジョー・サンプル、ジャズ・クルセイダーズのウィルトン・フェルダー、ブルース・ギタリストのアルトゥール・アダムズ、ジャズ・ドラマーのポール・ハンフリーと共演した。

 

1973年に彼女はジャマイカに移り住み、ジャマイカ音楽学校で6年間教鞭をとり、その後自身のバンドを率いるため米国へ戻った。 ジャマイカ滞在中にリストンは、1975年の娯楽映画『Smile Orange』の音楽を作曲、編曲した。 1985年にリストンは脳卒中で左半身がマヒしたために演奏を止めざるを得なかったが、ランディ・ウェストンとの編曲活動は継続した。1987年に彼女は米国国立芸術基金 (NEA) からNEAジャズ・マスターズを受賞した。度重なる脳卒中に悩まされた後、彼女はカリフォルニア州ロサンゼルスで1999年に亡くなったが、それは彼女とランディ・ウェストンの音楽がハーバード大学で賞賛されてから数日後のことであった。彼女の葬儀はマンハッタンの聖ペテロ教会で行われ、ウェストンとジャン・パーカー、チコ・オファリルのアフロ・キューバン・アンサンブル、ロレンツォ・シーハヴ (ボーカル) による演奏が行われた。

 

作曲と編曲 

カウント・ベイシーやディジー・ガレスピーの有名なバンドでのリストンの初期の作品は、ビッグバンドやバップのイディオムに精通していることを示している。しかし彼女の最も重要な作品はランディ・ウェストンのために書かれたもので、彼とは1960年代初頭から40年間に渡って一緒に仕事をした。 リストンは生涯にわたって「ゴーストライター」として仕事をした。あるライターは、「ガレスピー、ジョーンズ、そしてウェストンのレパートリーに見られる編曲の多くは、リストンによるものだった」という。

 

音楽のスタイル 

リストンの音楽スタイルは、デクスター・ゴードン、ディジー・ガレスピー、そしてアート・ブレイキーから学んだビバップ、ポスト・バップの感覚の影響を受けている。ゴードンが彼女に捧げた『Mischievous Lady』など、彼女の最初期の録音での彼女のソロは、動機と直線的な即興演奏がブレンドされたものだが、ハーモニーの広がりや変拍子はあまり使われていないように見える。 彼女の編曲は、特にウェストンとのものは、スウィング、ポスト・バップ、アフリカ音楽、またはモータウンなどいずれのスタイルでも、1940年代のビバップで育った彼女の音楽的背景を超越する柔軟性を示している。彼女のリズミックなジェスチャー、グルーヴ、そしてポリリズムのコントロールはとりわけ注目に値する。彼女の編曲は、フリー・ジャズ・アンサンブルの探求に比較的控えめな示唆ではあるが、豊かなハーモニー、厚みのあるレイヤリング、不協和音で豊かに拡張された音色のボキャブラリーを使用している。彼女の生涯を通じた作品は、批評家からも聴衆からも高く評価されている。

 

Discography 

As leader or co-leader 

・Melba Liston and Her 'Bones (MetroJazz, 1959) 

・Volcano Blues with Randy Weston (Antilles, 1993)

As sidewoman or guest 

With Art Blakey & the Jazz Messengers 

・1957: Art Blakey Big Band 

・1957: Theory of Art 

・1965: Hold On, I'm Coming 

With Betty Carter 

・1958: Out There with Betty Carter 

・1961: I Can't Help It With Ray Charles 

・1959: The Genius of Ray Charles 

・1962: The Ray Charles Story, Vol. 2 

With Dizzy Gillespie 

・1955: Jazz Recital 

・1956: World Statesman 

・1957: Dizzy Gillespie at Newport 

・1957: Birks' Works 

・1957: Dizzy in Greece 

With Quincy Jones 

・1959: The Birth of a Band! 

・1960: Swiss Radio Days Jazz Series, Vol. 1 

・1960: I Dig Dancers 

・1961: Newport '61 

・1961: The Great Wide World of Quincy Jones: Live! 

・1962: The Quintessence 

・1963: Plays Hip Hits 

・1965: I/We Had a Ball 

・1965: Quincy Plays for Pussycats 

With Jimmy Smith 

・1963: Any Number Can Win 

・1966: Jimmy & Wes: The Dynamic Duo 

・1966: Further Adventures of Jimmy and Wes 

・1966: Hoochie Coochie Man 

・1969: Jimmy Smith Plays the Blues 

With Dinah Washington 

・1957: Dinah Washington Sings Fats Waller 

・1958: Dinah Sings Bessie Smith 

With Randy Weston 

・1958: Little Niles 

・1959: Destry Rides Again 

・1959: Live at the Five Spot 

・1961: Uhuru Afrika 

・1963: Highlife - Music from the new African nations featuring the Highlife 

・1973: Tanjah ・1992: The Spirits of Our Ancestors 

・1997: Earth Birth ・1998: Khepera

 

  

 

Zagred This

 

 

The Trolley Song

 

Insomnia

 

 

Sad Beauty Blues (Instrumental)

 

You Don't Say

 

 

Mischievous Lady

 

 

今日のハッピー傘診断

 

 

 

 

今日はこの辺で。