カウント・ベイシー(Count Basie、1904年8月21日 - 1984年4月26日)は、アメリカのジャズピアノ奏者、バンドリーダーグレン・ミラー、ベニー・グッドマン、デューク・エリントン等と共にスウィングジャズ、ビッグバンドの代表的バンドリーダーに挙げられている。

 

ニュージャージー州の小都市レッドバンクで生まれ、父親は白人判事のために働き、メロフォンをひき、母親はピアノをひくなど、両親ともに何らかの音楽的素養はありました。母親から教わったピアノの腕を生かし、1924年よりブルース歌手の伴奏とソロ演奏を主にプロ活動を開始します。その際、仕事で訪れたミズーリ州カンザスシティで多くのジャズ・ミュージシャンと出会います。

 

ウォルター・ペイジ率いる「ブルー・デビルズ」に参加。その後、1929年に加わったベニー・モーテン楽団で、リーダーのベニー・モーテンが1935年に亡くなると、自らがバンドリーダーとなりジャズ・オーケストラを結成し、このころから「カウント・ベイシー」の愛称を用いるようになります。また同じ頃、ベニー・グッドマンとその友人でジャズ評論家のジョン・ハモンドに評価されたことで注目されることとなります。 

 

1936年末にシカゴのクラブを経てニューヨークへ活動拠点を移し、自身のビッグバンド「カウント・ベイシー・オーケストラ」を結成。1937年にデッカ・レーベルから発売された『ワン・オクロック・ジャンプ』をはじめ、アルバムでそのシンプルかつ絶妙なサウンドが好評を博し、一躍国際的名声を得ます。ポール・ホワイトマン「オール・アメリカン・リズム・セクション」と絶賛された、強力なリズムセクションをバックに従え、「プレス」ことレスター・ヤングハーシェル・エヴァンス(テナーサックス)、アール・ウォーレン(アルトサックス)、バック・クレイトン(トランペット)、ハリー・“スウィーツ”・エディソン(トランペット。スウィーツの名付け親は“プレス”ことレスター・ヤング)、ディッキー・ウェルズ(トロンボーン)らのソリスト陣がバトルを繰り広げ、「オールド・ベイシー」と呼ばれる初期の黄金時代を築きまさいた。

 

妻キャサリンと結婚したのもこの頃(1942年)です。また、この頃には専属シンガーとして「ミスターブルース」「シャウター」のあだ名を持つジミー・ラッシング「レディ・デイ」の愛称を持つビリー・ホリデイ(レディ・デイの名付け親もレスター・ヤング)ヘレン・ヒュームスがいました。

 

この時代の曲はヘッドアレンジを生かし、ブルース・ナンバーなどが多かったのですが、とても「スウィング」していたといわれています。 1940年代後半から末にかけて、第二次世界大戦後の不況でバンドの興行的経営が成り立たなくなったことやビッグバンド・スタイルそのものの低迷も相まって、数々のビッグバンドが活動休止や解散に追い込まれます。カウント・ベイシー・オーケストラも例外ではなく、バンドは一時解散となり、ベイシーもジャズ・コンボでの活動を余儀なくされました。

 

しかし、1951年にオールド・ベイシー時代の盟友フレディ・グリーン(ギター)と共にビッグバンドを再結成、新たにサド・ジョーンズ(トランペット)、フランク・フォスターらを迎えて活動を再開します。後にヴァーヴ・レコードと契約し、ニール・ヘフティクインシー・ジョーンズら新進気鋭のアレンジャーを起用して数々の名盤を残しました。初期の「オールド・ベイシー」に対して「ニュー・ベイシー」と呼ばれるのがこの時代です。 1968年には米国空軍バンドのアレンジャーであったサミー・ネスティコを迎え、カンザスシティ・ジャズの伝統をベースにしつつモダンなアレンジが再び高い評価を得ます。このころジョー・ウィリアムズエラ・フィッツジェラルド、フランク・シナトラらのボーカリストなどとの競演も果たします。 

 

1984年4月26日の早朝、膵臓がんにより、フロリダ州のハリウッドの病院において79歳で死去しました。

 

 ベイシーのピアノスタイルは、ファッツ・ウォーラーに師事したこともあり、ストライドピアノ・スタイルであり、その腕はかなりの物だったと言われます。ビッグバンド演奏の中ではストライドピアノを封印し、「ワンノートスタイル」と呼ばれるシンプルな演奏方法で、音楽的に必要な場所だけピアノを「叩く」スタイルに変わっていきました。 

 

「カウント(Count)」は「伯爵」を意味します。メディアでは「カンザスシティのラジオ・アナウンサーがカウント・ベイシーと呼んだことに端を発している」と伝えられます(ベイシー自身が名付けたという説もある)。 当時は、「ファッツ(太った)・ウォーラー」、「デューク(公爵)・エリントン」、「ディジー(くらくらする、目まいがする)・ガレスピー」など、ニックネームを公式な名前として活動するジャズ・ミュージシャンも多かった。 

 

カウント・ベイシー・オーケストラのリズム・セクションはフレディ・グリーン(ギター)、ジョー・ジョーンズ(ドラム)、ウォルター・ペイジ(ベース)、カウント・ベイシー(ピアノ)で構成され、「オール・アメリカン・リズム・セクション」と称される実力を誇りました。 

 

他のジャズやブルースの音楽家もそうですが、初期のメンバーは「楽譜が読めない者が多く」、耳に頼ってアンサンブルを構成するケースも多かった。そのため現在でも一部の楽譜には、はっきりと音階が記入されていないものもあります。 2010年2月には、結成75周年を記念した来日ツアーを開催しています。

 

 

Fly Me to the Moon

 

 

All Of Me

 

   

 

Straight Ahead

 

 

Nature Boy - Broadcast (1952)

 

   

 

One O'clock Jump

 

 

Moten Swing

 

   

 

Let's Have A Good Time

 

 

Goin' to Chicago Blues

 

   

 

Sure Thing

 

 

Jive at Five

 

   

 

 

これでいくつ目かな?凶が多いな!

 

 

 

 

 

今日はこの辺で。