ウォレス・ルーニー(Wallace Roney、1960年5月25日 - 2020年3月31日)は、アメリカ合衆国のジャズ(ハード・バップ、ポスト・バップ)・トランペッターでです。 

 

ウォレス・ルーニーは、クラーク・テリーとディジー・ガレスピーからの教示を得た後、マイルス・デイヴィスより1985年から1991年に亡くなるまでの間に多くを学びました。ルーニーは、デイヴィスが音楽のインストラクターであり、助言者であり、友人であったばかりでなく、人生に向かって創造的な取り組みに挑戦していった人物と信じていると語っています。ルーニーは、デイヴィスが個人的に助言者となった唯一のトランペット奏者でした。

 

ルーニーはフィラデルフィアで生まれました。マサチューセッツ州ボストンのハワード大学とバークリー音楽大学に通い、コロンビア特別区パブリックスクールズにあるデューク・エリントン芸術学校を卒業した後、ボルティモア交響楽団のラングストン・フィッツジェラルドとトランペットを学びまし。

 

ルーニーは4歳のときに絶対音感を持っていることがわかり、フィラデルフィア・セトゥルメント音楽学校にて音楽とトランペットを学び始めました。 3年間、フィラデルフィア管弦楽団のトランペット奏者シグモンド・へリングに師事。ヘリングは、ルーニーがフィラデルフィアで勉強している間、フィラデルフィア・ブラス・アンサンブルとともに、セトゥルメント音楽学校のリサイタルへとルーニーを定期的に参加させました。 ルーニーはデューク・エリントン芸術学校に入学したとき、すでに15歳でネイションとハキ・マブティとのレコーディング・デビューを果たしており、そのときにビル・ハードマン、ヴァレリー・ポノマレフ、ウディ・ショウ(親しい人物だった)、ジョニー・コールズ、フレディ・ハバードと出会いました。

 

彼は高校の先生からの励ましのもと、16歳でビリー・ヒギンス、サム・ジョーンズ、フィリー・ジョー・ジョーンズをフィーチャーしたシダー・ウォルトン・カルテットで演奏しました。 ルーニーは、ワシントンD.C.エリアで才能ある地元の演奏家としての地位を獲得していきました。

 

1979年と1980年に、ルーニーは『ダウン・ビート』誌の最優秀ヤング・ジャズ・ミュージシャン・オブ・ザ・イヤーを受賞し、1989年と1990年には、『ダウン・ビート』誌の批評家投票で注目に値するベスト・トランペッターとなりました。 

 

1983年、マンハッタンの「ボトムライン」にてマイルス・デイヴィスへのトリビュートに参加している間に、自分のアイドルであるデイヴィス本人に出会いました。「彼(デイヴィス)は、私がどんなトランペットを持っているのかと私に尋ねたんです」と、ルーニーは『タイム』誌に語っている。「でも私は彼に何も言えなくて。そうしたら彼は私に彼のトランペットをひとつ譲ってくれたんです」。

 

1984年と1985年、かつてジャズ・シーンの主要な部分を担っていたニューヨークのクラブがほとんど姿を消したため、ラテン・ダンスやレセプション・バンドでの演奏を余儀なくされた。しかし、1986年のまったく同月に、ドラマーのトニー・ウィリアムスとアート・ブレイキーから一緒にツアーを行ってほしいという2本の依頼電話を受けることとなり、その後、ルーニーはプロのサーキットで最も需要の高いトランペット奏者の1人となっていきました。 

 

1986年、ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズで、テレンス・ブランチャードの後を引き継ぎました。1980年代後半から1990年代初頭にかけては、ウィリアムスのクインテットに不可欠なメンバーとなりました。1991年、ルーニーはモントルー・ジャズ・フェスティバルでデイヴィスと共演しました。その年のデイヴィスの死後、ルーニーはデイヴィス・バンドの卒業生であるウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムスと一緒に追悼ツアーを行い、グラミー賞を受賞したアルバム『マイルス・デイヴィス・トリビュート』をレコーディングしました。 

 

ルーニーは自身の演奏技術をマイルス・デイヴィスから直接学びました。批評家は、ルーニーを彼のアイドルであるデイヴィスに似すぎているように聞こえることが課題であるとしました。ルーニーは、1987年にリーダーとしてのデビュー・アルバム『ヴァーセス』をミューズ・レコードにてレコーディングしました。ミューズ、ワーナー・レコード、コンコード・レコード / ストレッチ・レコードといったレーベルからのアルバムも数多くリリースされ、2000年に40歳になるまでの間、ルーニーは250枚を超えるオーディオ・レコーディングを行っています。2000年代のアルバム・タイトルには、HighNote Recordsからの『Mystikal』(2005年)と『Jazz』(2007年)があります。最近の2枚のアルバム『A Place in Time』と『Blue Dawn-Blue Nights』[3]では、甥でドラマーのコジョ・ルーニーをフィーチャーしています。

 

ウォレス・ルーニーは、アメリカ合衆国連邦保安官で、米国行政府職員連合ローカル102のトップを務めたウォレス・ルーニーの息子であり、フィラデルフィアのミュージシャンであったルーズベルト・シャーマンの孫であり、テナーサックスとソプラノサックス奏者のアントワーヌ・ルーニーの兄でした。

 

1995年、ルーニーはピアニストのジェリ・アレンと結婚し、2人の娘と1人の息子をもちました。結婚はアレンが2017年に亡くなる前に破綻していました。この2人のアーティストは、1990年代と2000年代の多くにおいて、それぞれのアーティスト名でリリースされたレコードを共同制作しています。 ルーニーは人生の早い段階から、ニュージャージー州モントクレアの居住者となりました。

 

ウォレス・ルーニーは、2020年3月31日、ニュージャージー州パターソンにあるセント・ジョセフ大学医療センターにて59歳で亡くなりました。死因はCOVID-19から生じた合併症でした。

 

 

Bookendz

 

 

Around and Through

 

   

 

Understanding

 

 

Utopia

 

   

 

Quadrant

 

 

Affinity

 

   

 

Freedom Dance

 

 

Vater Time

 

   

 

Cyberspace

 

 

No Room For Argument

 

   

 

Discography 

As leader/co-leader 

・Verses (Muse, 1987) 

・Intuition (Muse, 1988) 

・The Standard Bearer (Muse, 1989) – recorded in 1989 

・Obsession (Muse, 1991) – recorded in 1990 

・Seth Air (Muse, 1991) 

・Munchin' (Muse, 1993) 

・Crunchin' (Muse, 1993) 

・Mistérios (Warner Bros., 1994) – arranged and conducted by Gil Goldstein 

・A Tribute to Miles (Qwest/Reprise/Warner Bros., 1994) with Herbie Hancock, Wayne Shorter, Tony Williams, Ron Carter 

・The Wallace Roney Quintet (Warner Bros., 1996) – recorded in 1995 

・Village (Warner Bros., 1997) – recorded in 1996 

・No Room for Argument (Stretch, 2000) 

・No Job Too Big or Small (32 Jazz, 2003) – compilation of Muse recordings 

・Prototype (HighNote, 2004) ・Mystikal (HighNote, 2005) 

・Jazz (HighNote, 2007) 

・If Only for One Night (HighNote, 2010) – recorded in 2009 

・Home (HighNote, 2012) – recorded in 2010 

・Understanding (HighNote, 2013) – recorded in 2012 

・A Place in Time (HighNote, 2016) 

・What's New (Nippon Crown, 2016) – recorded in 1989 

・Blue Dawn-Blue Nights (HighNote, 2019) – recorded in 2018

 

   

今日はこの辺で。ではでは・・・・。