遅くなって申し訳ナス。
今回から準会員枠で初参加します。
お題は、泣ける映画というジャンルで選出された、「レオン」です。
レオン(1994:仏・米)
レオンはあまりに有名作品なんで、過去に数度見てますが、今回改めて見てみました。
ディレクターズ・カットが入った完全版ではなく、オリジナル版です。
完全版は見たことないんですが、追加カットによって全体の印象が若干変わるらしいです。
感想はオリジナル版でのものということですんで。
まあ、間違いがないですよね、この映画。
改めて見ましたが、自分の求める映画像の完璧に近いです。
自分は「心の動き」が感じられる映画を好むので。
レオンとマチルダの心理描写は見てて胸が痛くなりますね~切ないです。
レオンはもう数度目ってことで、ストーリーは把握してます。
そのため、今回は自分なりにテーマを持って見てみました。
そのテーマとは、
「レオンはマチルダに何を見たか、マチルダはレオンに何を見たか」
です。
マチルダにとってレオンは「父」、しかしそこには幼い恋心を伴った憧れ的父親像と言いますか。
退廃した家庭に育ったマチルダにとって、「女、子供に手をくださない」レオンは優しく頼もしく見えたことでしょう。
銃火気の扱いを丁寧に教えるレオンは、マチルダにとって父親そのものでもありますが、そこには恋心も見えます。
ホテルマンに「愛人だ」と言ってみたり、レオンに「恋をした」と言ってみたりする様は、思春期の「おませ」な女の子を想像させます。
ただ、それだけではなく、マチルダはレオンの中に自分を見たんじゃないかと思いました。
観葉植物だけを愛し孤独に過ごすレオンに、家族愛に恵まれず孤独を感じつつ生きてきたマチルダ。
読み書きができないレオンに、生きる術をもたないマチルダ。
マチルダはレオンに自分を重ねたんじゃないかと。
そしてレオンですが、映画を見る限りレオンにとってのマチルダは「娘」だったと見るのが普通ですかね。
とても社会性があるようには見えないレオンが、マチルダに服を買ってきたり、タバコや言動を注意する姿は父親そのものでしょう。
自分の遺産をマチルダに残そうとする姿は、恋人を見る目ではなく、娘を見る目だったんだろうと思います。
しかし、やはりレオンもマチルダの中に自分の姿を見ていたような気がするんですよ。
家族を失い、一人で生きる術を得ようとするマチルダの姿は、身よりも無く一人で生きる自分の姿に似ていたんじゃないだろうかと。
レオンも家族愛に恵まれて育ったような雰囲気はないですしね。
マチルダにハンカチを与えたり、保護したりしたのは、非常に不器用に見えました。
レオンの優しさは普段から身についているものではなく、彼の人間性の奥に自然にあったものなんじゃないでしょうか。
最初にマチルダを保護した夜、眠るマチルダに銃を向けるシーンに、レオンの困惑した感情を感じます。
保護してはみたものの、邪魔に思って殺そうとしたのは、保護した優しさを自分の中で消化できてないからでしょう。
その困惑は、翌朝マチルダに「今、放り出すのは助けていないことと同じだ」と看破されてしまい、覚悟を決めることになるのですが。
そんなレオンの優しさは、家族の中で育まれた優しさではなく、元々自分の中に眠っていた優しさなんじゃないかと思いました。
生活を共にする中で、マチルダに生き方を教えるレオンと、レオンに読み書きを教えるマチルダ。
二人は、お互いの中にある「自分自身」を補完し合って生活していたんじゃないでしょうか。
作中には、レオンにとってもう一つ「自分」を表すものがありますね。
レオンは「根がないのは自分と一緒だ」と、大事にする観葉植物を指して話しています。
ラストシーン、マチルダは自分が暮らすことになる学校の敷地内に観葉植物を植えた後、観葉植物に一言話しかけます。
「もう安心よ、レオン」
マチルダにとっても観葉植物はレオンの形見などではなく、レオンそのものなんですよね。
だから、大地に根を張って生きることになる観葉植物に「もう安心よ」という言葉が出るんだと。
そして、それを自分の生活の傍らに植えたのは、観葉植物がまたマチルダ自身でもあった事の表れじゃないでしょうか。
マチルダもまた、大地に根を張って生きる決意をしたことの象徴が、植えられた観葉植物だったように感じました。
レオンはマチルダであり、マチルダはレオンだった、今回何度目かになるレオンを見て、そんな感想を抱きました。
それにしても、エンディングテーマが秀逸ですよね。
スティングの「shape of my heart」、この物悲しいメロディがマチルダを残して死んでいったレオンの切なさに拍車をかけます。
いやー、映画って本当にいいものですね。
