続きです。
「三沢光晴(前編)」 ←前記事はこちら
試合中に川田にマスクの紐を緩めさせ、虎のマスクを自ら剥ぎ取った二代目タイガーは、客席にマスクを投げつけて場外の谷津を追撃しに行った。
そのとき実況の若林健治アナが、
「ああーーー!!タイガーマスクが、三沢光晴となって襲いかかるー!!」
みたいな事を言って、
「へえ~中の人は三沢って言うのか。」
と思ったのだが、今思うと若林アナには、
「ああーー!!あれは誰だ!?」
くらい言っておいて欲しかったかもwww
後で知ったが、若手の越中と三沢の二人でメキシコに修行に行って、帰ってきたのが越中と二代目タイガーなんだから実は正体はバレバレだったようでw
その後、天龍を中心とするSWS大量離脱事件の後の三沢の活躍は凄かった。
当時のジャンボ鶴田は「怪物」と称される通り、圧倒的な強さと存在感を示しており、天龍のいない全日本プロレスには相手がいないような状況だった。
そんななか、矢面に立って向かって行ったのが三沢だった。
この頃から、後の代名詞となるエルボーバットを多用するようになるが、それよりも自分の目を引いたのは「切り返し」のキレである。
ブレーンバスターは空中で反転して着地、パワーボムはウラカン・ラナ、コーナーに振られればターンバックルに飛び乗ってカウンターでのヘッドバットやエルボー。
今でこそ誰でもできる当たり前のムーブだが、ここぞというときに試合の雰囲気を変える「使い方の上手さ」が際立っていた。
ジャンボ鶴田相手にタイガーマスクと言うブランドに頼らず、三沢光晴としての試合の組立を確立していたのは大したものだった。
三沢の試合で印象が強い試合といえば、先に挙げたタイガーマスク投げ捨て試合と、もう一つは初めてジャンボ鶴田からフォールを奪った試合じゃないかと思う。
しかし、自分の中で一番印象に強い試合は、1991年の6人タッグでの鼻骨骨折である。
ジャンボ鶴田にロープに振られ、返ってきたところを真正面からジャンピングニーバットをくらい、リングに倒れこむ姿は明らかに様子がおかしかった。
追撃のため起こそうとする鶴田の動きについていかず、リングに横たわったまま動かない。
鶴田の表情に困惑の色が見える。
うつぶせのまま動かない三沢にレフェリーがチェックに入る。
と同時に、カメラが三沢の顔付近をアップで写したとき、三沢の顔付近が真っ赤になっているのに驚いた。
顔から流れ落ちる鮮血。
それはポタポタと落ちるしずくではなく、糸を引くように鼻あたりから流れ落ちていた。
テレビを見ていてこれは異常事態だと思ったその瞬間、いきなり立ち上がった三沢は、驚きの表情の鶴田に向かって右肘を叩き込んだ。
後に鼻骨骨折と報道されるが、それでも試合の流れを切ることなく、繋ごうとした精神力は並じゃない。
鶴田という大きな壁に立ち向かっていくひたむきな姿に感情移入し、時に苦境に立ち向かう姿を己に投影させ、活力にしたりもした。
物語の主人公を見るような目で三沢を見ていた、そんな時代だった。
それから全日本プロレスに「鶴田、内蔵疾患のため長期欠場」というショッキングなニュースが流れる。
全日本プロレスは、三沢による鶴田越えの時代から、中堅がしのぎを削る四天王プロレス時代へと入っていき、自分も益々三沢を見る目に熱が入っていくようになる。
<全く終わる気がしないままさらに続く。>