入るであろう、無駄な買い物である
家族の肖像画。
実家は肖像画の通り、5人家族である。
さて私の父といえば
私が小学生の頃には
すでにハゲちらかしており、
肖像画のようにフサフサした
毛髪ではなかった。
父はいわゆる仕事人間だった。
携帯電話が普及してなかった時代。
会社から支給されたポケベルを
常に持っていた。
休日、家族で出かけていたときも
ポケベルが鳴ると、一目散に電話ボックスに
駆け込み、
会社に電話をし
そのまま会社に行くことも多かった。
そんな私は小学生中学年時代、
休日は科学館と博物館に行き、
帰りはスケート場に行くか、
公園で写生をするかという
「ちょっと変わった遊びをする俺」
みたいなのに、酔っていた。
ある日の日曜の朝、
と落ち込んでいた。
取リに戻ると思ったのだが
と言ってきた。
私がいつもの遊びコースを伝えると
と、よくわからないアメリカンなジョークを
飛ばしていた。
父と二人で、科学館と博物館を巡り、
そしてラストは、公園での写生となった。
私は公園の橋の絵を描いたと
記憶している。
「父さん、何を描いているんだろう」
と、覗き込むと
父は会社の
ビルを写生していた。
子供心に
ドン引きした。
噴水やら、お花やら、橋やら
描くものいっぱいあるだろーが。
しかし、その頃の父に年齢が近くなった今、
そこまでの会社愛を注ぐ父ちゃん
スゲーと思うのだ。
団塊の世代…。
私はその一日、父と過ごせた
ことが嬉しかったんだろう。
と笑った。
そして後ろを振り返り、
肩を震わせていた。
あのとき、父は男泣きしていたのだ。
そしてそれから約1ヶ月後、
父はポケベルを忘れたことが
原因により、田舎に左遷されて
しまうのだが。
あれから約20年。
父はビルからダイブして
頭を打ってから、穏やかな性格が
一変、かなり攻撃的なクソじじぃに
なってしまったが。
「仕事は70歳までやる」と言っているので、
娘としては生温かく見守っていようと思う。
それ位の距離がちょうど良いのだ。