1章:募金活動

中南米ニカラグアでのボランティア任期も終えアメリカ、マサチューセッツの山奥にあるボランティア養成学校に帰った私は、まだボランティア活動を続けたかった。

その胸のうちをドイツ人女性の校長に伝えたところ、今デンマークの養成学校にエクアドルの女性2人とベリーズの男性1人が職業訓練生としてくるからスペイン語ー英語の通訳ボランティアの仕事があるとのことでした。

これはなんと恵まれたチャンスだろう!と思い、即OKで返答しました。

さて、ではデンマークへいざ!とは簡単にいかず、校長は旅費の半分は出すから後は自分で募金活動してきなさい!とのこと。

私は山を下って民家のある町へ赴き、一軒一軒伺って私の事情を説明して廻りました。私の下手な英語に加えて私はアメリカ人にとって外国人だし募金活動は一筋縄では行きませんでした。

あれはまだ寒い12月下旬でした。毎日が最悪の日のように門前払いを受ける始末でした。

ある日、その日も悲惨でさらに日も暮れ、心も体も冷え切り歩きつかれた先に明かりのついた一軒家がありました。まっ、今日はあそこで最後にしよう.。。。。。。と決めドアを叩きました。ドアを開けてくれたのはまだ20代前後の女性でした。日も暮れた寒空にアジア人が目の前に一人…。。。当然その女性はびっくりした表情でした。しかし、すぐにやさしい表情になり、なにかごようですか?と引き込まれるような暖かい口調で声かけてくれました。私はそれだけでも泣きそうになりました。日本から離れすでに1年という月日が流れ、こんな寒いところで募金活動…孤独のほか何者でもなかったかもしれません。

私は事情を説明しもしできれば寄付してほしいとお願いしました。彼女は笑顔で、私も主人も日本に興味がありこんなところであなたに会えるなんて、なんて奇遇かしら!外は寒かったでしょう、今、主人を呼ぶから中にお入りください。

私は玄関に吸い込まれるように入っていきました。が、、、、今から暗がりの道のりを辿り山奥に戻らなければならないことを思い出し、上がるのを躊躇しました。そんな矢先、奥のほうから足音が聞こえ始め夫婦が私を迎えてくれました。夫も20代前後で、私を見ると笑顔で、妻から事情は聞きました。どうぞお上がりください。私は、今から山奥に帰らなければならないことを説明し、上がりたいのは山々でしたが丁寧にお断りしました。

ふーむ、それは残念ですね、、、、と夫婦そろって優しいまなざしで私を見ました。

すると、奥さんが急に、では、日本語をひとつ書いていただけないかしら!私は二つ返事ですぐに了承し紙とペンをもらってとても上手とはいえませんが”愛”と書き贈りました。

愛の意味がわかった二人はとてもうれしそうにし、二人は目で相槌を打ち、私に50ドルくれました。

そのお金を手にし、サンキューベリーマッチ!!!と、つい大きな声を出した私に二人は驚きましたがすぐに笑顔にもどり、奥さんが、クッキーを今日焼いたのよ、是非、もって行って下さい!と私にクッキーまで.。。。。。。。もう、私は涙で彼らの顔がぼやけてよく見えませんでした。

寒い日が続くのでお体には気をつけてがんばってくださいね!と夫婦に見送られ私はその家を後にしました。

もう、外は暗くなっていました。腹ペコの私はクッキーをボリボリ食べながら、今までの辛さがうそのように晴れ渡り、とてもすがすがしい気持ちで山奥に戻りました。


2章:旅立ち

1節:選択

山奥の養成学校ではマークという男性が私を親身にサポートしてくれました。マークは男性から見てもハンサムで、しかも親切となれば、彼を嫌いな人はいませんでした。そんな彼が言いました、AIRHITCHESでかなり安いチケットを見つけたよ!でもね、、、、、到着地がギリシャかノルウェーなんだ。

?????彼の言っていることがちんぷんかんぷんで、私の英語理解力を疑いました。だって私はデンマークに通訳のボランティアをしにいくのに、なんでマークは到着地がデンマークとは真反対のギリシャか半島のノルウェーなんて言っているんだろう?????

彼は私にAIRHITCHESの予定表を見せてくれました。


可能性大:AB PPP便 ギリシャ行き:80%、 NO CCC便 ノルウェー行き:80% 

やや不安:FI XXX便 パリ行き:60%


なにこれ?????と私はマークに聞きました。これはね、この確率で目的地の便に空席がでるってことなんだよ。とマークが教えてくれました。

あはあっははあはははは!!!思わず私は笑ってしまい、つまり、便をヒッチハイクするってことだ!!

するとマークが、そうなんだ!だからチケット/引換券をもって、空港のカウンターに行って空席があるか聞くんだよ!

でも、まだ50ドルしか稼げていないんだ、と私が残念そうに言うと、マークが、君が募金活動を毎日がんばっていたのはみんな知ってるよ。だから校長もチケット代は払うってさ!

あのけちな校長が!!と思わず本音がでてしまうほどうれしかったです。

マークは続けて、このチケット/引換券は人気商品だから即決だよ!と、私にパルテノン神殿のギリシアかフィヨルドのノルウェーかなんて悠長に考える暇を与えてくれません。せっかくだから南欧のギリシアから北欧のデンマークまで縦断することに決めました。

お礼の挨拶をする前に校長に呼ばれ、校長が、アフリカボランティアグループがニューヨークに募金活動に車で行くから、ついでにケネディ空港まで乗せてってもらいなさい。

どうも長い間お世話になりました。と私は校長に深々と頭を下げました。


2節:いざ空港へ

次の日の早朝、私たちはマサチューセッツの山奥を後にしニューヨークへと向かいました。アフリカグループはかなり陽気でドライブ中は会話と合唱が絶えません。と言っているわたしも、レッドホットチリペッパーの“スカーティシュー”がラジオでかかってたときはノリノリでした。グループリーダーが私に、アフリカに行く前に予防接種をしないといけないからニューヨークの保健所にいってから空港にむかうからね!とはちきれんばかりの笑顔でいいました。私は何の心配もなくOKしました。

そして車がニューヨーク州に入るとニューヨーク!ニューヨーク!と私たちはご機嫌で、保健所に向かいました。

保健所では予想を超えて予防接種に時間をとられ、私もみんなも便の時間に間に合うか心配になってきました。そんな空気を察したリーダーは仲間のドライバーに急ぐよう指示をして、換気のため窓を開け、大丈夫だよ!もう空港付近にいるはずだからと言ってアメリカ全土の大きい地図をサッと開いた瞬間、窓の外の風圧で地図の半分がちぎれて道路に飛んでいってしまいました。

あの陽気なアフリカチームが唖然とし、沈黙した瞬間でした。私もまさか、外に飛んでいった地図の半分にケネディ空港が入ってなかったろうな!?と思い、リーダーの顔を見るとリーダーの顔が青かった…。。。。。。

どうする!?リーダー!と私は口からでそうな勢いでリーダーを見つめました。青い顔を上げたリーダーは、とにかく大通りに出よう!国際空港だから、なにかしら目印はあるはずだ!

大通りの標識を頼りになんとかケネディ空港に着いたが、もうすでに私の乗れるかもしれない便の出発時間に迫っていました.。。。。

リーダーは私に向かって“幸運を祈る!”と親指を上げた。私も彼に向かって親指を上げたが、もうワケがわからない!とにかく私はスーツケースとリュックサックそしてパスポートとチケット/引換券を握り締め、その便のカウンターまで全力で走った。

カウンターに着くや否やチケット/引換券を係員にみせ、私はギリシア行きの便に乗れるか聞きました。

係員は私の汗だくで、息切れして、しかも切羽詰った表情を理解し、即座にその便に電話で連絡を取ってくれました。すると“ちょっと待って!!”と係員が電話越しに叫びました。そして直ぐに私を見て、“席空いてるからAゲートに走って!!!”との一言。

でも、走りたいがどこへ走っていけばいいのかわからない!と私が言うと、係員は私のスーツケースを持って走って私を先導してくれました。

空港はでかい!どれだけ必死に走ったか覚えていませんが、私は、係員やその便の乗組員のお陰でギリシアに向かうことができました。