共感性とひねくれ者 | せめて、真崎らしく。

せめて、真崎らしく。

そんな感じです。




仕事の休み時間に
サクッと更新




「クオリティタイム」

っていうんですかね


日常生活の中に取り入れる
「自分の欲求を満たす時間」的なやつ


絶賛導入してる



どんなに帰りが遅くなっても

半畳ほどしかない狭いお風呂に
必ずお湯をためて

足伸ばせないから気持ち三角座りで
お風呂入りながら小説を読む



んもう

超絶幸せ





今読んでるのが

井坂幸太郎『重力ピエロ』


実家に帰ったときに
お気に入りの小説何冊か引っさげてきて

1年ぶりくらいだけど
もう4~5回目くらいにはなる
井坂幸太郎の『重力ピエロ』


井坂作品は
これ以外は特に好きじゃない


『重力ピエロ』を最初に読んで
井坂さんいいかもってなって

『終末のフール』
『魔王』

立て続けに読んで
「もういいや」ってなって
それからは『重力ピエロ』しか読んでいない



「おまえは俺に似て、嘘が下手だ」


っていうセリフがあって
(すべての文脈かっ飛ばした)

もうそこ読むだけで毎回泣く





話は逸れて、真崎の持論



人を共感させる文章を書ける人は

たぶん、ひねくれ者だと思う






私が大好きでやまない
重松清の小説


横浜に引っ越してきた当初
私はひたすらお風呂で重松清が書いたエッセイを読んでいた


エッセイだから
小説よりも、なんだか重松清


エッセイから感じる重松さんは

ただのひねくれたオッサンだった




ひねくれたオッサンで、良かった



なんつーか

まぁこれは表面的にだけど


すげーキラキラしてて
かっこよくて
器用で
人気者で
さわやかで
なんかもうとりあえず素敵ー


みたいな人がいたとして


もうこれは
完全に私の思い込みだけど


そういう人に

あそこまで人を共感させる文章は書けない気がする


それは、文章能力とかの話じゃなく





ひねくれ者は、たぶん、うざい




理由は上手く言えないけど

彼らは"違和感"に敏感だと思う



違和感なんざ無視してりゃ
その場で上手くやってけるものを

上手くやろうともせずに
その違和感を大切にしちゃう奴


だと、思う



私の周りのひねくれ者は
なんかそういう人たち

私が好きな文章を書くのは
なんかそういう人たち




ひねくれは、才能なり


ひねくれた着眼点は
案外本質的なところを見ていたり

ひねくれたくても
ひねくれられない人もいる中で
ひねくれた言葉が案外そういう人のこころに刺さったり





共感性 と ひねくれ者



響きは

ポジティブ と ネガティブ


だけど



実は結構

相関関係にあるんじゃないですか


ってゆー





なんの根拠もないし

そもそも自分基準だけど



重松さんより井坂さんの方が

ちょっと、友達多い気がする




真崎