ブログをご覧の皆さま
いつもありがとうございます
真崎です
マサさんの研修関連の記事が
しばらく続きますが
昨日
「達成さん」
「貢献さん」
について書いた時に
研修中のマサさんの言葉で
思い出したことがあったので
頭の整理も兼ねて
ちょっとアウトプットしてみます
ものすごく
空気を読んで考えてほしいんですけど
以下の絵を見て
どっちが気になりますか?

空気の読めた方は
『欠けてるから右』
空気は読んだ上で
模範通りの答えは嫌だから
意地でも違う回答をしようと
『繋ぎ目が地味に汚いから左』
みたいな感じで
考えてくれたかなと思うんですけど
右って言ってほしいです
マサさんの研修では
毎回この絵と質問が出てくるのですが
去年の5月
初めて研修を受けて
初めてこの絵の説明をされた時
真崎の中で
すごい衝撃だったのを覚えています
ここで言われるのは
『人は、「欠け」に目がいく』
ということです
自分に対しても
他人に対しても
できないこと
持ってないもの(資質才能含め)
ネガティブな側面
を
どうしても見てしまって
自分の「欠け」を見た場合
その「欠け」を埋めて
完全な輪っかになろうとするらしいです
そうしないと
自分が自分自身を
好き、というか大切に思えなかったり
他人に認められない環境があったり
認めてもらえない気がしてしまったり
するらしいです
少なからず
これを聞いた時に
衝撃と共に
ものすごい共感してしまった真崎は
「欠け」を埋めて
他人から認められようとする
その自覚症状がありました
さっきの図を見ると
輪は95%くらい完成していて
あともうちょっと頑張れば
「欠け」は埋まって
完全な輪っかになりそうですが
マサさんが言うのは
『実際は、95%欠けている』
ってことです
なにを以ての数字かと言われると
真崎もうまく説明できないですが
なんでもできる
なんでももってる
なんでも知ってる
その状態が永続的である
みたいな
超パーフェクトな状態が100%ならば
どんなに頑張っても
人は100%にはなれず
むしろ
大体5%くらいらしいです
100%を目指す生き方
つまり
「欠け」を埋めて
「完璧」な人間になって
自分も含め誰からも認められる
みたいなスタンスは
しんどいらしいです
100%にはなれないからです
昨日の達成と貢献の話と
この「欠け」の話で
結びつく部分があると思います
「達成くん」だろうが
「貢献さん」だろうが
どちらのスタンスも
人やチーム・組織を「支える」ために
すごく大切なことです
でも例えば
その目的が変わったとします
「欠け」を埋めて認められる
ことが目的の「達成」の場合
「達成」できない自分は駄目な奴
「達成」できない自分は誰からも認められない
みたいなしんどさがある気がします
「欠け」を埋めて認められる
ことが目的の「貢献」の場合
感謝されないと悲しい
ありがとうと言われないと不安
人の役に立てない自分には価値がない
「貢献」できない自分は誰からも認められない
みたいなしんどさがある気がします
マサさんが教えてくれるのを
ものすごくざっくり言ってしまうと
認められるために
100%完璧な自分になる生き方じゃなくて
もうすでに認められた存在として
自分にしかない5%に集中して
人を支える生き方をしよう
って感じです
(「認められた存在」あたり7文字で完結させるのが重罪なくらいもっと深い感じですが)
最近すごく感じるんですけど
やっぱり
人は
「人と繋がりたい」
って生き物みたいです
利害関係とか
そういうのじゃなくて
上手く説明できないんですけど
「純粋な繋がり」
を求める生き物みたいです
この前テレビで
「世界の果ての日本人」
みたいな番組を見ていたのですが
ロタ島?という外国の島で暮らす
40代の女性のお話がありました
その方は無一文で
ビーチの近くに
テントを張って暮らしていて
島民の方々に
特になんの見返りも求めず
無償でマッサージや料理のサービスを毎日提供していて
島民もその女性が大好きで
テントまで
食材提供しにきてくれる人がいたり
自宅のパーティに招いてくれる人がいたり
無一文で
なにかすごく
特別なものがあるわけでもない中で
そこにある「繋がり」だけで
その人は生きていて
その人はすごく幸せそうで
「これが「繋がり」なんやなあ」
って真崎はめっちゃ感動してました
人は
5%しかもってなくて
5%しかできなくて
でも
だからこそ
自分の5%と
他のそれぞれの人が持つ5%で
支え合って生きる必要があって
支え合って生きることができて
繋がって生きる必要があって
繋がって生きることができる
すごく感覚的な話やけど
100%になっちゃうよりも
(なれへんけど)
そっちの方が
人って幸せなんやろなあって思います
長くなったけど
正直ここまでが前フリで汗
そうは言っても
そんなに簡単な話じゃないって思います
5%とか「欠け」とかって
人によって違う中で
やっぱり
社会的に評価されやすい人
社会的に評価されにくい人
あると思います
真崎の経験則には
なってしまいますが
中学生時代を思い出すと
「学校」
「クラス」
「塾」
「家」
などの
自分が属していたコミュニティにおいて
なにを以て
人の評価が起こっていたかというと
・勉強ができるか
・運動ができるか
・社交的な性格か
という
すごく限定的なものさしに
集約されていた気がします
ものすごく極端に言えば
上記3点で
すべてYESな人は
大体人気者でした
一方で
上記質問に対して
NOとなる項目があれば
そこに対して
ものすごく否定的な目を向けられていた気がします
・馬鹿
・トロい
・暗い
みたいな事を「欠け」と捉えられ
その「欠け」ゆえに
うまく人と繋がれない
繋がらせてもらえない
みたいなことが
あった気がします
真崎の通っていた塾は
勉強ができない子へは
極端に冷たい態度を示し
最下位で辞めさせられた子も
たくさん見てきました
最低最悪な言い方になるのを承知で
それでもあえて言うなら
『馬鹿は繋がれない』
という空間でした
ドラマの話なので
一応フィクションですが
現在放送中の
『家族ゲーム』
勉強もできず
いじめで不登校だった茂之は
学校の中だけではなく
家族とも上手く繋がれない感じでした
お父さんが茂之のことを
「クズ」と呼ぶとか
なんかその辺りの感じのことです
自分の話に戻ると
『可愛くない奴は繋がれない』
『実力のない奴は繋がれない』
『面白くない奴は繋がれない』
中高大学時代
上記の理由で
真崎が弾き出された(と感じた)
コミュニティや空間もありました
今思えば
中にはそんなに
頑張って縋り付かなくても良い場所もあったのですが
(クラスの中心的女子グループ等)
当時他人からの評価で生きていた真崎は
ネガティブな評価と
それによって断絶される繋がりがある事が
怖くて怖くて
本当に仕方なかったです
だから
可愛くなろうと
実力つけようと
面白くなろうと
結構頑張って
「認められる自分」になろうとしました
(「可愛い」さえ置いておけば)
努力によって
わりと高確率で
「認められる自分」にはなってました
(「可愛い」さえ置いておけば)
その時期
その環境
によって
対象は変わると思いますが
なんかこう
どんだけ
「誰でも「欠け」がある」
「それぞれが持ってるものがある」
と言われても
やっぱり
今の社会の中で
いろいろ「総合的」に考えた時に
評価されやすいタイプ
評価されにくいタイプ
受け入れられやすいタイプ
受け入れられにくいタイプ
認められやすいタイプ
認められにくいタイプ
繋がりやすいタイプ
繋がりにくいタイプ
って
この感じ
どうしても
ある気がしてしまいます
個人的に
「就活」
とか
顕著にタイプの差が
出る場だと思います
あんまり分からないけど
会社の中でも
結果出すから繋がっていられる
結果出せないから繋がれない
という状況が
あるところはあるって聞いていて
(「当たり前だろ」と言われるのが怖い)
そこは
もちろん
本人の努力次第でもありながら
一方でやっぱり
「タイプ」ってのもあるんじゃないか
認められる「タイプ」かどうかって
すごく限定的なものさしなんじゃないか
って思います
勉強できるから
運動できるから
明るいから
可愛いから
上手いから
面白いから
成果出せるから
『だから、繋がれる』
勉強できないから
運動できないから
暗いから
可愛くないから
下手だから
おもんないから
成果出せへんから
『だから、繋がれない』
なんだか
世知辛いなあと思います
「そのまま」の自分では
ただ生きているだけでも気まずい
「欠け」てる自分は悪
「欠け」があるから繋がれない
みたいな
『生きづらさ』
を感じている人が
わりといるなあって思います
なんか
この記事の落としどころが
自分でも行方不明なんですけど
そういう感じが
なんか哀しいってことと
なんか心痛いってことと
上手く言えないんですけど
生きづらい人が
生きやすくなってほしいなあと
真崎はすごく思うので
とりあえず
自分ができることとして
これからも
書いていきます
って感じに今日はしておきます
誰かチラシづくり手伝って下さい
(美術・図工の評価低かった)
真崎