せめて、真崎らしく。

せめて、真崎らしく。

そんな感じです。

Amebaでブログを始めよう!



そういえば
自分のブログにこういう告知って
あんまり貼ってこなかった気がする




今関わらせてもらっている
不登校サポート「いばしょづくり」というところで


3月15日(日)

【不登校生・中退生・保護者向け 高校進路相談会】


3月29日(日)

【不登校生・保護者向け 講演・懇親・個別相談会】


というイベントを開催します





どういった方々が私のブログを読んでくれているのか掴めていないので、必要な方に届くのか分からないですが


とりあえず、こういうイベントがあります


私は両日とも参加予定です





学校に行く行かない
進学するしない

も大切かもしれないんですけど



個人的には


「他者との繋がりがあるない」


の方が100億倍大切だと思っていて




このいばしょづくりの活動を通して


保護者の方々はもちろん


個人的には子どもや若者の繋がりができていくのを目にしてこれた事に大きな感動を何度も覚えています









「不登校支援」



という分野において

私は2つの組織にしか身を置いたことがないですが


その組織の方針が"正反対"だったおかげで、不登校支援といってもいろんな形、方針の支援があることを実感しました




どっちが良い悪いではなく

個人的には今の組織に共感するところがあったから、こちらで活動していくことができています




考え方はもちろん

やっぱり大切なのは「人」で



最初っからお世話になりっぱなしの代表を始め


保護者のスタッフの方々


中学生~社会人までの
もはや友達のような当事者・経験者の人たち



の、存在は私にとってとても大きく


ゆえに、これからもやっぱりここで「不登校支援」に関わらせてもらう予定です







不登校支援で子どもに関わるようになってから


自分自身気がつかなかったけど
絶対気をつけなきゃいけないと思ったこと


且つ、自分自身もそれをされたら
とっても嫌な気持ちになって
子ども顔負けの反発心が芽生えることで



「その子の気持ちを他者が勝手に決めること」

「自分の気持ちを他者によって勝手に決められること」



があります





自分の性格的にそれが強いからこそ

こういう風に自分の意思や気持ちを発信していくのは大事だなーと感じたので


今までもやってきたことですが

改めて活動のことについて思っていることを書いてみました




そんな感じです



真崎




「自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい」
  
マタイの福音書第7章12節








関内のセミナールーム





牧師でトレーナーのマサさんはこれを「黄金律」として私に教えてくれて「そのバランスは6:4です」というスーパーウルトラ感覚的数値を伝えてくれた





6:4というのは
自分:相手のエネルギー値の比


自分が6
相手が4


それが

「自分にしてほしいことは、他の人にもそのようにしなさい」

とのこと




マサさんがアシスタントを呼ぶ
その人と1m弱の間をあけて対峙する
そしてお互い両手を伸ばし互いの手のひらを合わせる


お互い力を入れず
ただ手を合わせるだけ



「これが5:5です」


助け合うことも歪み合うこともない
互いにとって互いが無害でなんの摩擦もないある意味では安全な距離感




今度は片方だけ相手に体重をかけて
もう片方はそのまま力を入れずに立つ



ふたつの人影が大きく傾き
体重をかけられた方向に危うく共倒れ
やむなく相手は少し力を入れて踏ん張る


「これが、8:2ないし9:1」



一方のエネルギー値だけが高い時に起き得る状態とのこと



一方的に怒りをぶつける
一方的に相手を責める
一方的に「かまって」を放出する
相手の状態を無視して自分の理想を押し付ける



自分の中に覚えのあること
胃腸らへんに汗をかきながら聞く








最後に、お互いが力を入れる
そしてお互いがお互いに体重を預ける


そのまま、少しずつ互いの距離を開ける


「せーの」のかけ声で
一歩ずつ一歩ずつ後ずさる
 

「人」という字だった形は
どんどん「ハ」の字が拡がって
やがて「一」という直線になってしまうのではないかというところまで開いた



互いに全身の筋肉が
ぶるぶると震えている


相手を支えないと倒れる

相手に委ねないと倒れる



5:5ではつくれない状態











「これが、6:4です」








な、なるほど










6:4


つまり

こちらの方がちょっと力入れる
こちらの方がちょっとエネルギー強い



でも相手の状態を見て調整する


「力入れすぎてないかな」
「もう少し力入れた方がいいかな」



相手も4のエネルギー出してる

そこに「委ねる」



日常でよく使う言葉で言うなら

相手に「頼る」


ということ、だと思う






この「6:4」というものが

人間関係を良好にする
最も理想的なパワーバランスらしい

















簡単に言うけど
  


6:4て








6:4て(2回目)








エネルギーってすごい感覚的な話で
おそらく私は私の中の感覚よりもぶつぶつうるさい思考に動かされて日々を生きていた
感覚人間のわりには頭でっかち






そう



どう実践すればいいの


この「良好なパワーバランス」とやら








コンパスを限界まで拡げましたぐらいのところまで開いたマサさん



ワークを終えて
目尻にわしゃっと刻まれた笑い皺を
くっしゃくしゃにわしゃっとして




包み込むようなニッとした笑顔で

言い放つ








「さっきの2人1組のワークを、地上8mのワイヤーの上でやってもらいます。(にこっ)」











森の中




10mくらい間隔をあけて立つ
高さ8mのポールが2本




ポールを繋ぐのは
地上8mの位置に貼られた
2本の細いワイヤー







真崎、極度の高所恐怖症




半泣きで震えながら
グラグラのワイヤーの上に立ちポールにしがみついている









「なにこの状況」




真崎@続く






家に帰ると、風立ってた





テレビをつけたらちょうど二郎さんが2階にいる奈穂子に向かって手製のひこうきを投げてそれを奈穂子がキャッチしようとしてアハハウフフみたいなシーン
  
  

そうか、今日「風立ちぬ」だ




そこからはもう食い入るように観た






2年前の誕生日の次の日に映画館へ足を運んで観た時のあの感覚が自分の中に残っている



ちょうどあの頃は前職時代
全国の支部に轟くミラクルなやらかしとミラクルな怒声を一身に浴びて「死にたくないけど消えたい」の絶頂期


毎日が憂鬱で夜が恋しくて明日が来ることがひどく億劫で




そんな時に、二郎さんに出会い


「生きねば」というセリフに出逢い


久々に、自責と自己嫌悪以外の気持ち良い涙を流すことができた





宮崎駿さんに感謝した


感謝して、想像して、考えた



結構考えて、眠れなかった



この映画を映画館で見つめて泣いた宮崎駿さんは、自分の夢の結晶であるゼロ戦が戦場の上でボロボロに燃えて「一機も帰ってきませんでした」と無表情につぶやく二郎さんになにを重ねていたんだろう


というかそもそも重ねていたのかな


私はなにを重ねようとしているのかな


そもそも重ねようとしているのかな


そろそろ寝ていいかな (AM3:00)





当時、ネットニュースでは

「風立ちぬ、賛否両論激しく」
「子どもが鑑賞に飽きて席を立つ」

みたいな記事が横行していた



それが世間の1部をほんの少し切り取っただけのものだとしても、それを受け取る「表現者」はなにを感じるのだろう











風立った次の日、ある表現者と話した





私はその人の表現するものがとても好きでその人の生き辛そうな感じも失礼だけどとてもツボで

その人には悪いけど
是非ともその生き辛さとこの先当分仲良くよろしくやっていってもらえればと思ってる






表現の話になる




その人の言葉を 
そのまま再現はできないけど



自分の作品はこのままでは駄目

もっと分かりやすく、伝わりやすくしていかなければ

自分と正反対のタイプの人に指導を仰いでいる



という感じのことを言っていたと思う

もしかしたらその人の本意とはズレているかもしれないけれど







人のそういう考えの背景に興味は持てど口出しはあんまりしたくない



と思ってたけど

その時はなんか食いついた



ソッチに行かないで
という焦燥感に駆り立てられるような感覚




闇とか苦しさとかその他もろもろ
なんかそういうネガティブと言われるようなもの


全部引っくるめて
その人の表現そのままが好きだったから
率直に言えば「変えてほしくない」という私のエゴをぶつけたくなった






それで、「風立ちぬ」の話をしてた





宮崎駿さんの真意は聞いたことないけど
「自分のつくりたいものをつくった」という発言が私の中に強く焼き付いていて


誰かに受け入れられず
誰かに「面白くない」と背を向けられ
誰かに「老人の誇大妄想」なんてなじられていても





私はあの作品が好き
 

あの作品に感謝している








つくりたいものをつくる



それは、自分のこころを無防備に曝け出すような恐怖をはらんでいて

小心者で臆病者の私にとってはとてつもなく勇気のいることで


ただただ文章を書くことが好きで
好きなことを書けばいいだけの話なのに


気付けば他人に迎合しようとしている



自分も他人も大切にするものではなく
他者のことを考えてというよりは
他者の目に映る自分を守るような
そんな保守的な感覚で文章を書こうとしている自分を冷めた目で見てるもうひとりの自分がいる感じ





その人は、生き辛そうで


でも、それがゆえに

きちんと向き合ってくれると思ってる




その人は挑戦しようとしている

自分の感性と相容れないものに



その人のぐちゃぐちゃに澄んだ感性と
そこに相容れない筋道立った綺麗なロジック


その先を「つくる」のはその人で


なにが生まれるのかは分からないけど

どうかその感性を握り続けていてほしい






万人から好かれなくても

伝わらない人がいたとしても



ソレを必要とする人には

なんかしら、絶対伝わってる








相手が望むことを表現すること

自分が望むことを表現すること



どっちも大事






で、



音楽

文章

映画

絵画



自分の好きなものを表現する時ぐらい

うんと自己中心的で自分のためでしかないものをつくってしまったっていい   



こころから
「つくりたいものをつくる」
をしてくれた宮崎駿さんの表現物から

私は勝手に
たくさんのものを受け取った




どうか、その人の先に


「つくりたいものをつくる」


が、あってほしいなと




心から思いながら


そろそろ乗り物酔いが限界
(通勤電車)




真崎