「とはずがたり」の二条の一生
後深草院二条(1258年 生)は「とはずがたり」(1271‐1306年)に、鎌倉時代の貴族文化と生活の記録を残しました。
この時代、京都御所では「源氏物語」の様に、女官たちが美しい衣裳の色彩、コーディネートのセンスを競います。
主人公の女性、二条は幼い頃から後深草院に愛され、古典文学を読み、音楽や舞踊など芸事を習いながら育ちました。
しかし、美少女は正妻ではなく側室。女官の様にお給仕もしたので、幼馴染の西園寺実兼の愛護には助けられても、他の権力者達のセクハラの犠牲になりました。
今なら「Me,Too」と言っていたでしょう。
二条は、周囲の男性から好まれていましたが、性格が従順ではなく、知的で独立心が強く勝気でした。一方では、源氏の名門の出身なのでプライドが高く、男達の様に階級・序列を気にして、時々トラブルにも。
その後、正妻の嫉妬いじめが原因で宮殿を離れ、出家して尼僧になりました。
「とはずがたり」ではドラマティックな生涯がスピーディーに展開されます。
後半は(32歳頃)神社とお寺参りの旅に出発。和歌の達人らしく歌枕の名所を訪れて和歌を詠み、日本の日記文学を継承。
「伊勢物語」の在原業平の東下りのように八ツ橋に行ったら、和歌の風情が何も残っていません。鎌倉で武士の勢力を実感した後、浅草や川口まで北上しました。
都を離れて旅の疲れが出ても、地方の人々と交流し、豪族たちと連歌遊びを楽しみました。
二条が関西で訪れた、皇族貴族から人気のパワースポット、藤原氏の春日大社(奈良)、平家の厳島神社は、私のお気に入りです。
源氏の石清水八幡宮は、二条ゆかりの景勝地。厄除けとは知らず久しぶりに訪れた石清水八幡宮では、桜がちらほら咲いていて山頂から京都の街が見晴らせました。
織田信長他が修復した八幡宮本殿を囲む、うっそうとした巨木、老木のすばらしい生命力!本物の鶯の鳴き声が聞こえて、美しい竹林で鳩が食事中でした。
参考文献
「とはずがたり」 佐々木和歌子 訳
光文社古典新訳文庫2019年