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こんな時、あなたはどうしますか?

 

①妻と一緒にコロナにかかってしまった。

肺炎もあり、個室に入院中。

とても苦しい・・・。

何を思いますか?

 

a.苦しい!何とかしてほしい!

b.妻はどうしているだろうか・・・?

 

 

②明日にも殺されるかもしれない場所に

捕えられている。

脱獄のチャンス!

しかし、衰弱した友人が・・・

 

a.置いて逃げる

b.彼の傍にいる

 

 

自分の命が関わっている時って

皆、どのような振る舞いをするのでしょうか。

 

 

この本は、いわば

極限状態の人間観察記録

です。

 

―――

戦後長らく自由と平和を享受してきた

我々が本書を読んで共感できる点を

見出すことは難しいですが、何かを

学び取りたいですね。

 

では、少し紹介いたします。

 

 

<こんな人は読むと新たな発見が!>

・こんな時、人間って本性が出るなぁ

と感じることがある。

・自分が辛いときって、ついつい

人にやさしく接することができない。

・人間が持つべき倫理観ってなんだろう?

 

~テーマ~

極限状態でいかに振舞えるか??

 

強制収容所内での労働者の

感情変化、精神変化を精神科医

の目線で観察し考察した本。

 

収容時→収容中→解放後の流れの中、

主に感情は次の3つに分かれる。

ショック

順応 感情の消滅 そこから・・・

※③強度の離人症(全てが非現実的に感じること)

 

特に②では

感情が消滅したあたりから、その後の

振る舞いが2つに分かれます。

 

これこそが、

極限状態で人間として

どうあるべきか?

といった哲学的な著者の問いが

あるように感じております。

 

※③については今回は触れずにおきます。

 

~内容・考察~

 

考えてもみてください。

 

昨日まで普通に

家を出て、仕事行って、帰ってきて、

家族と会って・・・という生活から

 

―――

気付いたら

丸裸になって強制収容所にいます。

 

今や(毛髪もない)この裸の体以外、まさに何ひとつ持っていない。文字通り裸の存在以外の何物も所有していないのだ。これまでの人生との目に見える絆など、まだ残っているだろうか。

 

ちょっと何が起きているのか

整理できなくないですか?

 

しかし、夢ではないようです。

一緒にいたあなたの友人は?家族は?

 

「あそこからお友達が天に昇って行ってるところだ」

 

最初の選別でガス室に送られ、焼却炉で

燃やされました。

 

 

この心境を本文では

ショック

と・・・

 

何だか、普段フランクに使っているので

当時の彼らの感情を表現するにはチープに

思えてしまいますが・・・この言葉に集約された

意味は底知れませんね。

 

 

それでも人間の順応力たるや・・・

人間はなにごとにもなれる存在だ、と定義したドストエフスキーがいかに正しかったかを思わずにはいられない。

ほんとうだ、どこまでも可能だ。だが、どのように、とは問わないでほしい・・・。

 

次には感動の消滅段階に入るようです。

 

内面がじわじわ死んでいったのだ。

 

労働者への理不尽な暴力

悪辣な環境下で病を発症する人

餓死で死亡

 

こんな風景が日常茶飯事になります。

 

苦しむ人間、病人、瀕死の人間、死者。これらはすべて、数週間を収容所で生きた者には見慣れた光景になってしまい、心が麻痺してしまったのだ。

感情の消滅は、精神にとって必要不可欠な自己保存メカニズムだった。

すべての感情生活はたった一つの課題に集中した。

ひたすら生命を、自分の生命を、そして仲間の生命を維持することに。

 

実は・・・

わたしも職業柄、共通した見慣れた

存在があります。

 

遺体(死体)

 

です。

 

病室で亡くなった方に対して、慣れという

意味では心は動かないです。

死亡確認、書類作成、献花、見送り

といった一連の流れは職務として

取り組みはします。

 

(あぁ、死体がある。うわー、苦手なんだよな・・・

え、何の病気で亡くなったんだろう?かわいそう)

 

などと思考をしていると業務が進みません。

 

そりゃあ、遺族の立場を考えると、ドライで

いることが正解であるわけ無いです。

打ち明けにくい事ですが、表面上は

同じ感情を共有するように配慮します。

 

 

仕事によっては一度も初対面の人を

看取る事すらあります。常識的に考えると

異常ですよね?

 

―――

死体に慣れた彼らは、次に

どんな行動を起こすのでしょうか。

 

見ていると、仲間がひとりまたひとりと、まだあたたかい死体にわらわらと近づいた。

 

弔うためではありません。

死者の所有物を物色しているのでした。

 

みずから抵抗して自尊心をふるいたたせないかぎり、自分はまだ主体性をもった存在なのだということを忘れてしまう。

 

極限の環境下では我々の持つ

倫理観など・・・

くそ食らえなのでしょう!

 

―――

しかしこんな人々もいたようです。

自分ではここが本題と思っています。

 

ほんのひとにぎりではあるにせよ、内面的に深まる人びともいた。

 

著者に対して、こんな耳打ちを

した労働者がいました。

 

「ねえ、君、女房たちがおれたちのこのありさまを見たらどう思うだろうね・・・・!女房たちの収容所暮らしはもっとましだといいんだが。おれたちがどんなことになっているか、知らないでいてくれることを願うよ」

 

また、こんな芸術的なシーンも

 

突然、仲間がとびこんで、疲れていようが寒かろうが、とにかく点呼場に出てこい、と急きたてた。太陽が沈んでいくさまを見逃せまいという、ただそれだけのために。

 

いやー、この描写が一番心に沁みました。

 

 

著者の行いも道徳の境地に至っておりました。

 

脱獄直前で、逃げられない友人を残す

やましさ

が残っていたのです。

 

え?ただ、犠牲者が2人になるだけじゃない?

こんな時にやましさなんて・・・

としか思えません。

著者が残って友人が助かるわけでもなく。

これは本能を完全に超越した非合理的な

行動です。

 

今まで通り患者のもとに残ると決心したとたん、やましさは嘘のように消えた。

 

読んでて呻りますねー・・・

 

彼が天秤にかけたのは

やましさと自分の命でした。

 

―――

人が、終わりの見えない極限生活で

どのようになるのかは、その人に

完全に委ねられます。

 

人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない

 

コロナウイルスも我々を病気にすること

はできますが、我々の振る舞いまでは

強要できないのと同じですね。

 

 

そんな時に、尊厳に立脚した振る舞い

(これは徳と表現して良いのでしょうか?)

を実践する人に著者は人間のあるべき姿を

見出したように感じました。

 

脆弱な人間とは、内的なよりどころをもたない人間だ。

典型的な「被収容者」になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。

 

―――

さらには、著者の思索は生き方そのものにまで

広げられます。

 

わたしたちが生きることから何を期待するのかではなく、むしろひたすら、生きることが私たちからなにを期待しているかが問題になる。

 

非常に解釈が難しいです・・・笑

が、やってみます。

 

終わらない収容所生活では、尊厳など

保っていられない場面ばかりでしょう。

 

そんな生活で、自分は何のために

生きているのか?

こんな人生であれば死んだ方がましでは?

少なくとも、人間ではなく無思考の「ヒト」に

落ちぶれてしまっても構わないだろう。

 

 

地獄のような環境で我々は何を目的に

生きるのか?

この仏教的な禅問答は誰しもが直面したことが

あると思います。

 

わたしたちは何のために働いて、結婚して

教育して、死んでいくのか?

 

著者は問いかけます。

その刹那的な人生だからこそ、尊厳・美徳といった

精神と共に、自分という作品を仕上げていく

事に意味があるのではないか?

という著者の哲学的思想が垣間見えたように

思います。

 

もちろん仏教でいう来世のために善行を~

ではなくて、です。

 

~感想・今後に向けて~

 

ちょうど、コロナ禍という環境におりますね。

さすがに嫌ではあれ、この状況に慣れてきた

と思います。

 

・・・

あ!この心の動きって

本書に似ていませんか??

 

①コロナ!え、めっちゃショック。

飲みにも行けない、旅行もできない、

合コンも行けない!無理ーーー。

②今はコロナかだからね。

マスク→当たり前

手指衛生→当たり前

外出?するわけないじゃん。

 

と順応し・・・

 

その後の行動や思考

本書で問われていることのように感じます。

 

 

こんな、報道ありましたね。

 

 

・マスクをめぐっての言い合い、暴力騒ぎ

・マスク付着用の人への暴言

・レジで小銭を渡す際に手が触れたと騒ぐ人

 

 

収容所内の労働者心理に類似する点が

ありますね。

 

今やマスクは命を守る存在と解釈する人も

います。

本文でいうように、コロナによって死が

身近になると、人は生のために必死に

なるのでしょう。

 

そのためには暴言や暴力も顧みない・・・。

 

追い詰められた状態で、生命の維持に集中せざるを得ないというストレスのもとにあっては、精神生活全般が幼稚なレベルに落ち込むのも無理はないだろう。

 

善し悪しの次元で話をしているのではありません。

生物の本能がそう行動させるのだと。精神学者も

分析します。

 

しかしですよ。

 

上記の例に限らず、日常の振る舞いに

道徳・格を伴ってこそ「ヒト」でなく「人間」

であるということでしょう。

(もちろん、自分は実践できていない事

ばかりですが・・・・笑)

 

 

自分には、まだまだ戦争の歴史としての

知識も浅く、人間心理の勉強も未熟です。

 

 

読書は続きます・・・

 

 

夕焼けを見た極限状態の労働者の

一言

 

「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」

 

この一文は忘れられないなぁ。

 

 

引用・参考 「夜と霧」 ヴィクトール・E・フランクル 株式会社みすず書房 2002年