家庭菜園でお世話になっているおばあちゃんのりんごの収穫がありました。

 

 

わたしはここ数日、収穫したりんごの発送作業のアルバイトをさせてもらっていました。

 真っ赤に色づいたりんご達が受け皿に並ぶ姿は大変美しく、箱が開いた時にこの光景を目にするお客さん達の心を思わず想像してしまうのでした。

 

 

 

 おばあちゃんはりんごを発送するに当たって、毎年一枚の『りんご便り』をりんごに添えます。名主の農家に生まれ、農家に嫁いで約60年の歳月において、体験した苦労や季節の移り変わり、そして情熱を注いで有機栽培に取り組んだ末に得るりんごの稔りに係る一年間の経過を一通の手紙にしたためるのです。

 形は悪いけれど瑞々しいりんごの味はお客さんの評判となり、売込みをせずに、次々とお客さん伝いに販路が広がったそうです。

 そして、一年に渡るりんご作りに賭ける想いを綴った手書きの便りを楽しみに待つ消費者の方も増えたと言います。手習いの短歌も添えてありますから。

 「このりんご便りを本にしたらいいんじゃないの。」

 そんな風に言われたことも一度や二度ではないとのことでした。

 昨年の5月からおばあちゃんのお世話になり、時間のあるわたしは、仕事もせずにおばあちゃんの身の上話におつきあいして一年半以上が過ぎました。状況によっては、おばあちゃんのお子さんよりも事情に通じている話もあるという、実に不思議な関係を紡いでおります。

 齢84歳で半世紀以上をりんご作りに捧げ、自らもりんごに支えられたおばあちゃんの意志の強さは、時代の先を行くものだったでしょう。

 旦那さんが亡くなり、ご自身の心身の衰えもあり、自分一人の力ではりんごの世話も発送もままならなくなったおばあちゃんは、今年を最後に一本のりんごの木を残してりんごの栽培と発送を終えることとなりました。

 「もう、は、りんごを作らなくてもいいと思うと、気持ちが楽になったわよ。」

 「は、」というのは、こちらの方言で調子を取るための間投詞のような物です。悲しみよりも安堵に頬を弛めるおばあちゃんは、どちらかと言うと清々しい口調でした。

 そんな節目に居合わせることとなったわたしの巡合わせにも、感慨深いものがあります。

 今日は、発送作業を手伝う親戚の方がおばあちゃんの弟を呼び出して話に花が咲いたり、作業後の一服で買ってきたずんだ大福と珈琲を囲んでおばあちゃんを励ましたりと賑やかでもしみじみとした一日でした。

 事ある毎にお昼ご飯や夕ご飯をご馳走になり、農具なども貸して下さったおばあちゃんに、わたしが今できる恩返しをしたい。近頃、仕舞い支度を口にする人生の先輩を快く見送るお手伝いをしたい。そう思うようになりました。

 そして、りんご作りに幕を下ろすおばあちゃんが30年間綴ったりんご便りを文章にまとめられたらと、データの入力作業を行うこととしました。

 箱詰めをしていると、お客さんへの手紙に込めたおばあちゃんの気持ちやりんご栽培における一年の悲喜こもごもが手に取るように感じられたのです。誰かが経た出来事や感情に想いを馳せる瞬間を持てるというのは、何と貴重な経験なのでしょうか。

 人生とは、実に味わい深いものであります。

 いつかおばあちゃんの手紙を沢山の人に読んで頂けるような形にしたい。その想いと共に、去りゆく十一月を振り返りつつ小さく手を振る今日の夕暮れでした。