相手の他者との関わり方、付き合い方を見ていると、
"表面的には"至って良好。
職場やプライベートでのやり取りを見ていても、
とてもソフトに丁寧に接していると思う。
共通の知人、友人からも、
「彼女、本当に親切で優しいよね...」
そういう言葉がよく聞かれる。
知り合った当初は私もずっとそう思っていたから。
ただし、ずっとそのやり取りを観察していると、
"ほとんどが表面的な付き合い"にしか見えない。
職場の仲間と食事に行ったりもしている。
でも、話している内容と言えば仕事の事とか子供の事、
人の噂話はほとんどしないが一般的な世間話中心。
本人も、
「私、友達少ないから...」
「それに職場では本当の友達ってなかなか作れないよね...」
と言っている。
でも、不思議とSNSの彼女の「友達」となっている人達は、
"ほとんど仕事関係"ばかり。
もちろんそのSNSをビジネスユースしているわけではない。
で、その"本当はそこまで親しくはないはずの人達"に対しては、
"I miss you!"とか"また早く会いたいね..."なんて気軽に言ってて、
んでもって、彼女本人も言葉にして、
"ムゥとは家族じゃないけど、家族に近い存在!"
とは言っているのにそういう言葉や態度はほぼナシ。
これが"感覚の違い"なのかも知れないけど、
自分からすれば、
なぜ仕事上の延長線の友達には言えたりする事を
家族に近いと言っている人には言えないのか!?
いや、私自身もそういう言葉をわざわざ親や兄弟には言わないけど...(汗
でも、本当に親しい友人、特に海外の人にはちゃんと言うよな。
それに態度でも表す。
よく"ASには言葉に裏は無い"と聞いたりするのだが、
これはどういう事なのか今の自分の理解力ではわからない。
関連本には、
「釣った魚には餌をやらない...」みたいな...
そういう事なのか!?
「すでに身内と化した相手にはわざわわざそんな事言わない...」
だったら、こちらとしてはやはり寂しくも悲しい。
そこで"寂しい""悲しい"と感じてしまう様であれば、
"付き合えない"
という事になってしまうのか...!?
自分としては"一切そういう事は言わない!"
というのであれば、それはある意味仕方が無いのかな...
と思うしかないのだけど、
明らかに自分よりも関係性が遠いであろう人達には言えて...
というのが、何とも辻褄が合わない様な気がしてならない。
何度か
「⚪︎⚪︎には言って、私には言ってくれないのはそこまで思われていないとしか理解出来ない」
と言ってみた。
すると、
"完璧スルー"か"そんな事無い!!"と逆に怒られる。
価値観の違いと言うか...
相手からしたら一番迷惑な感情のぶつけられ方をしたのかもね...
と今は少し考えられるんだけど...
でも、"そうかも!?"と考えられたとしても、
なかなか自分サイドでは納得出来ないのが辛い所だよな...
そういうのを気にしないで流せる人だけが
友達としてでも付き合って行けるのかも知れないね。
まぁ、日本人同士ではあまりしない表現方法かも知れないけど、
相手は海外の人でして...
結構、あちらでは友達同士でもよくする表現なんだよね。
今、思うのは...
彼女にとってはSNSやLINEなどて"軽くやり取りする"のが、
一番負担無くて楽しいのかな...って。
で、お互いの悩みや問題を語り合ったりする
"もう一つ深い階層での付き合い"との境界線が曖昧なのか!?
もしかしたらそれすら存在しないのか!?
なぜなら彼女が言う"友達"というのも、
私から見れば"軽い付き合いの友達"か"仕事仲間"にしか見えない。
実際に過去に彼女の身の上に起こった問題も、
ほとんどは誰も真剣に一緒に悩んだり、アドバイスしてくれるでも無く、
結局は彼女一人で四苦八苦しながら解決するか諦めていた。
そして、彼女も
「自分の問題は自分にしか解決出来ないから誰も頼らない」と。
"こういう時に側にいられないなんて..."
と考えてしまうのは定型ならではの"大きなお世話的"
考えなのかも知れないけどね。
本当に虚しく感じてしまったり、
まだまだ理解出来ない事が多いと...
"理解しようとする事"自体がダメなんだろうか!?
その答えはしばらくは見つけられないかもな...
"表面的には"至って良好。
職場やプライベートでのやり取りを見ていても、
とてもソフトに丁寧に接していると思う。
共通の知人、友人からも、
「彼女、本当に親切で優しいよね...」
そういう言葉がよく聞かれる。
知り合った当初は私もずっとそう思っていたから。
ただし、ずっとそのやり取りを観察していると、
"ほとんどが表面的な付き合い"にしか見えない。
職場の仲間と食事に行ったりもしている。
でも、話している内容と言えば仕事の事とか子供の事、
人の噂話はほとんどしないが一般的な世間話中心。
本人も、
「私、友達少ないから...」
「それに職場では本当の友達ってなかなか作れないよね...」
と言っている。
でも、不思議とSNSの彼女の「友達」となっている人達は、
"ほとんど仕事関係"ばかり。
もちろんそのSNSをビジネスユースしているわけではない。
で、その"本当はそこまで親しくはないはずの人達"に対しては、
"I miss you!"とか"また早く会いたいね..."なんて気軽に言ってて、
んでもって、彼女本人も言葉にして、
"ムゥとは家族じゃないけど、家族に近い存在!"
とは言っているのにそういう言葉や態度はほぼナシ。
これが"感覚の違い"なのかも知れないけど、
自分からすれば、
なぜ仕事上の延長線の友達には言えたりする事を
家族に近いと言っている人には言えないのか!?
いや、私自身もそういう言葉をわざわざ親や兄弟には言わないけど...(汗
でも、本当に親しい友人、特に海外の人にはちゃんと言うよな。
それに態度でも表す。
よく"ASには言葉に裏は無い"と聞いたりするのだが、
これはどういう事なのか今の自分の理解力ではわからない。
関連本には、
「釣った魚には餌をやらない...」みたいな...
そういう事なのか!?
「すでに身内と化した相手にはわざわわざそんな事言わない...」
だったら、こちらとしてはやはり寂しくも悲しい。
そこで"寂しい""悲しい"と感じてしまう様であれば、
"付き合えない"
という事になってしまうのか...!?
自分としては"一切そういう事は言わない!"
というのであれば、それはある意味仕方が無いのかな...
と思うしかないのだけど、
明らかに自分よりも関係性が遠いであろう人達には言えて...
というのが、何とも辻褄が合わない様な気がしてならない。
何度か
「⚪︎⚪︎には言って、私には言ってくれないのはそこまで思われていないとしか理解出来ない」
と言ってみた。
すると、
"完璧スルー"か"そんな事無い!!"と逆に怒られる。
価値観の違いと言うか...
相手からしたら一番迷惑な感情のぶつけられ方をしたのかもね...
と今は少し考えられるんだけど...
でも、"そうかも!?"と考えられたとしても、
なかなか自分サイドでは納得出来ないのが辛い所だよな...
そういうのを気にしないで流せる人だけが
友達としてでも付き合って行けるのかも知れないね。
まぁ、日本人同士ではあまりしない表現方法かも知れないけど、
相手は海外の人でして...
結構、あちらでは友達同士でもよくする表現なんだよね。
今、思うのは...
彼女にとってはSNSやLINEなどて"軽くやり取りする"のが、
一番負担無くて楽しいのかな...って。
で、お互いの悩みや問題を語り合ったりする
"もう一つ深い階層での付き合い"との境界線が曖昧なのか!?
もしかしたらそれすら存在しないのか!?
なぜなら彼女が言う"友達"というのも、
私から見れば"軽い付き合いの友達"か"仕事仲間"にしか見えない。
実際に過去に彼女の身の上に起こった問題も、
ほとんどは誰も真剣に一緒に悩んだり、アドバイスしてくれるでも無く、
結局は彼女一人で四苦八苦しながら解決するか諦めていた。
そして、彼女も
「自分の問題は自分にしか解決出来ないから誰も頼らない」と。
"こういう時に側にいられないなんて..."
と考えてしまうのは定型ならではの"大きなお世話的"
考えなのかも知れないけどね。
本当に虚しく感じてしまったり、
まだまだ理解出来ない事が多いと...
"理解しようとする事"自体がダメなんだろうか!?
その答えはしばらくは見つけられないかもな...