井上荒野さんという作家を知ったのは、娘が持って帰ってきた文庫本「静子の日常」という本に出会ったときでした。
主人公「静子さん」の前向きに生きるさまがとても清々しく感じて、続けて井上さんの小説を読んでみました。
そこで、小説の登場人物が「夫が浮気をしている妻」であり、それを知りながらも嫉妬に来るって取り乱すこともなく、さりとて人生を諦めて耐え忍んでいるわけでもない人物がよく描かれていることに気づきます。
その人物設定に食傷気味になったころ、初めて井上荒野さんが、瀬戸内寂聴さんが男女の愛を終わらせるために出家する原因となった男性井上光春さんのお嬢さんだと知りました。
偶然にもその年に映画「あちらにいる鬼」が公開されることになります。
映画を観たときの感想にも書きましたが、小説家 白木篤郎(豊悦)がとにかくかっこいい。
小説では、小柄な男性として書かれていたから外見は豊悦さんとは、違いそうですが、とにかく豪快な男性でした。
映画はどちらかというと、浮気相手の小説家 長内みはる視点で書かれていたように記憶してますが、小説では妻 笙子さんと長内みはるの二人の視点を通して描かれていました。
あくまで小説ではあるけれど、井上荒野さんの両親と瀬戸内寂聴がモデルということは明らかで、それを世間に発表してしまうという作家さんという職業には良い意味でも悪い意味でも恐れ入ります。
私小説ではないとしても、自分の脳内のことを他の人の目に触れさせることになりますよね。
昔、母が「文章を書いて発表することは、人前でヌードになるより恥ずかしいことだ」と言っていて、そのとき学生だった私は「へ??何言ってるん。人前で裸になるのん方が、絶対に恥ずかしいやん」と思いましたが今ならその意味がわかる気がします。
一目に触れる機会は少ないとはいえ、こうやってブログ書いてしまっているのだから、私も結構恥ずかしいことをしてしまっているんですけどね。
私のは、ヌードではなく、太い二の腕をタンクトップか出しちゃっているくらいかな。
そして、私の母自身、文章を書くのが好きで、通信講座で文章教室を習っていて、それを、まとめて本にして、友人やら知り合いやらに配りまくってました
話を小説に戻します。
小説では、みはるが出家してからも篤郎との関係が続いていたことが描かれています。
男女の関係はなくなったことで、妻笙子と共に3人で会う機会も増え、みはると笙子の間には、友情?ともに戦う戦友??というような奇妙な関係もできていきます。
篤郎が亡くなった後に笙子さんがみはるからの提案を受け入れて篤郎のお骨をみはるが住職を務める天仙寺に納めることにしたのは驚きでした。どんな思いからその提案を受け入れることにしたんだろう?
笙子さんが亡くなった後は、娘たちの手によって、笙子さんも篤郎と同じお墓に納められます。
井上荒野さんは、お母さんをモチーフにした小説をたくさん書かれていることについて以前、「浮気される妻というのは、決して退屈でつまらないから浮気されたのでないってことを証明したくて書いているのかな?」と言った覚えがあります。
この小説を読んで、そうではない、そんなつまらない身内弁護のためではなく、母という人を理解するために描き続けているのかな、という感想を持ちました。
