今日小学生の頃から通っていた、歯の矯正のための歯医者を卒業しました。

親知らずの様子を見始めてから2年が経って、変化が無かったため通う必要がなくなりました。


それだけのことがきっかけでブログの記事でも書こうかなあ、なんて思いました。


いつもはTwitterで何かあれば書くようになっちゃって、ブログは文章を書くことに意識をちゃんと持ってこなければ書けないようで不便に感じていたんだけれど、Twitterって誰も読んでいない気しかしないよ。


あれって発言者の自己満足にしかならないよねぇ…その点ブログであっても同じなんだろうけれど。

呟きにはあまり価値を持たすことが出来ないんだよなあ。

あっても無くてもいい言葉になっちゃう感じがして勿体ないと思いますね!


ブログはアクセス解析なんかが表示されるのでまだ手ごたえはあるなあ。

自分と近い考え方の仲間を探すにも言葉を画面上でもいいから綴ることは大事だと思っているし、たまにだらだらとTwitterに書きなぐる色んな気持ちや発言をここを拠点に戻せたらいいかもしれない。


今の時代はすごいよねぇ、やっぱりスマホってのは人の生活に影響を与えすぎだよなあ。


みんなは何をしている時が一番楽しいの?


昔のことを思い出してみたら、家の前にある公園で友達5~6人でやる缶蹴りは面白かった。

中学生の時は授業中に回ってくる小さい手紙を読むのが楽しかった。

高校生の時は放課後教室で黒板に落書きしたり、夏、鴨川で水遊びをしたことや、授業を抜けて探検したのはいい思い出だったなあ。


全部自分の身体と、周りにいる誰かとの間で、楽しいことってのは繰り広げられていた。


今となってはもちろん昔から変わらない部分もあるのだけれど、大学2年生あたりからは自分の中に楽しさを見出すことばかりで、他人に何かを求めることは自分にとってよろしくないことだと思い始めて、手放しで楽しむために人といることがほとんど無くなってしまった。


何故よろしくないことだと思うか。


自分の中に無いものを補うために相手を求めることを知らないから

自分の外への期待と他人の力量が合致しない場合、期待した側の落ち込む時間が無駄だと思ったから

他人に求めることが増えれば増える程、相手の中でも私のことを意識している場合、その人自身のオリジナリティーが崩壊されていくところを見たくないから


と、ごちゃごちゃ理由もあります。


でもこんなことは普段から常日頃考えてはいなくて、上記のことを意識し過ぎた場合、傍から見ればただのコミュニケーション障害か社会不適合者にしか見えない訳だから、自分の中ではあまり大事な考えでは無いことにしている。


何故かすごく長い記事になっちゃったけど、なんとなく言いたいことがあるとすれば、大人になって色んなことが考えられるようになったとしても、自分と誰かの間で感じる楽しさを忘れたくないなあ、って話になるのかな。


スマホなんかいじっていないで、Twitterなんかやっていないで、みんな口に出して人ともっとお話しするようにすればいいよ。


って無理やりまとめあげた感じ満載だけど、そろそろやめようかな。

また近いうちにブログの記事が書けたらいいなあ。



じゃね。