ちょっと分かり辛い話になるけど。
「小心地滑」っていう注意喚起の看板。
かの国でよく見かけた。
「滑りやすいので注意」っていう意味なんだけどね。
ある時、同学のイタリア人がこう言った。
あの看板。
この国に来たばかりの時、
一体どういう意味なんだろうって不思議だったんだ。
よくよく話を聞いてみると、
本来、「小心xiaoxin/地滑dihua」と読むべきところを、
「小心地xiaoxinde/滑hua」と読んでいたんだって。
成程、確かにそう読むこともできる。
そして意味は、「滑りやすいので注意」から、「注意して滑る」に変わる。
その時は完全なる笑い話で、この話を聞いていたのだけど。
今、改めて考えると、ちょっとした「示唆」みたいなものを感じる。
ブロ友さんが言ってた。
ベビ待ちしてた頃、
ずっと憧れてた「ベビーカーを押してる私」。
今、確かにそれを実現したけれど。
見て!いいでしょう?なんて思えない。
むしろ隠したい様な気持ちって。
アタシもね、同じなんだ。
念願かなってママになり、
これ以上ない位幸せな筈なのに、
この幸せに浸りきっていいのかなって
ふとした瞬間に、未だにアタシも思ってしまう。
妊娠の記録、出産の記録、そして育児の記録をこうやって綴っている今も。
アタシはやっぱりベビ待ちの頃の気持ちを忘れられなくて。
時々胸がこう、ぎゅうっと苦しくなる。
変だよね。
いつまで未練がましく引きずってるんだろうって、自分でも思う。
むしろこんな事いつまでも思ってて、なんか嫌味じゃない?とも思う。
でも、これが正直な気持ち。
学生時代、「親友」だと思っていた子がいた。
本当に仲良くて、いつも一緒だった。
他の子には言えない様な本音も、
お互いには包み隠さず話し合った。
まるで姉妹だった。
でも、仲が良くなりすぎて、そのうち遠慮がなくなった。
相手よりも自分の方が優れてるってことを、
お互いいろんな場面で主張するようになった。
大学を卒業して、
色んな環境が変わった中で、
そんな彼女との関係が何だか息苦しくなって、
アタシは一方的に距離を置いた。
そんな彼女が妊娠した。
結婚の時期はアタシとさほど変わらないから、
ひょっとしたら彼女も所謂「ベビ待ち」をしてたのかもしれない。
でも、アタシは彼女の妊娠を聞いて、正直嬉しくなかった。
おめでとうって思えなかった。
共通の友人がこう言ってた。
彼女が、「ところでまぐのところには赤ちゃん出来たのかな」って言ってるって。
何故だか分からないけれど、
その言葉を聞いて、アタシは彼女の妊娠を喜べない気持ちになった。
彼女、また比べてるなって分かったから。
アタシの妊娠・出産を知らない彼女は、
先に結婚したアタシは、まだ子供を産んでいないものと思ってる。
今までアタシの事なんて話題にも出さなかったのに、
自分が妊娠した途端に、「まぐの家には子供はいるのか」って共通の友人に言った彼女。
それを確認して、一体どうしたかったのだろう。
そして、そういう事を先読みして気分を害してるアタシは、
結局は彼女と同じ穴のムジナだ。
アタシの今の日常を「憧れ」だと言ってくれた君。
他人の妊娠を喜べない自分が、なんだ。
君の代わりに、
アタシが泣こう。
アタシが怒ろう。
だから君は
「滑らないように注意」ではなくて
「気を付けて、滑る」でいいんじゃないかな。
心思うままに。自由に。
怒りも、涙も、
「感じる自分」を大切に。
滑らないように、滑らないようにと、
先取りして注意するから、却って足元が危うくなる。
滑ってはいけないのではなくて、
滑ってもいいんだ。注意さえすれば。
時々は尻もちをつくかもしれない。
強かにお尻を打って痛い思いをするかもしれない。
それでも、何の注意もせずに転んだわけではないから、
きっと大事には至らない。
ちょっと痣にはなるかもしれないけどね。
でもお尻だから、他人には見えない、大丈夫。
むしろ、後々になって、転んだことを笑って話せる時が来る。
そう、むしろ、転んで痣になったお尻を、
武勇伝として人に自慢出来る時が来るかもしれないよ。
おっかなびっくり、滑らない様にと、その事ばかりに心を砕いて進む道と、
滑っても、転んでも、周りの風景を楽しみながら、一歩一歩進む道と
二つの道があるのだとすれば、
アタシは君には後者の道を歩いて欲しい。
差し出がましいのは百も承知。
勝手な事言ってるのは万も承知。
それでも。
どうか、どうか。
君に届きますように。
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前記事のコメント、有難うございます。
返事が遅れててごめんなさい。
近いうち、必ずお返事しますので
引き続き、気長にお待ち下さい。
