皆様大変ご無沙汰しております。



前回更新した際に、3月末くらいに更新と言っておきながら、GWに突入してしまいました。申し訳ありません。m(__)m



GWに入って庭の整備も少しだけ進んだところで、やっと更新できます(((^^;;;



ええと、どこまで書いたっけ(((^^;;;

2024年12月25日



前回は袋井宿の「ど真ん中茶屋」さんにお邪魔したんでしたね。


↑すいませんリンク忘れてましたm(__)m

年末の忙しいところにお邪魔して失礼しましたm(__)m
では出発です。

出発してすぐに、袋井宿の東本陣跡がありました。
袋井宿場公園となっていました。


かなり広くて、見どころが色々あります。



時間が無くなってきたので急ぎます。

問屋場跡です。


袋井宿には中本陣と西本陣があったのですが、今はどちらも標識があるだけになっています。
西本陣跡の写真は忘れました(泣)


日が傾き始めました。


西見附跡です。袋井宿終了です。

ここには高札場跡と常夜灯があります。


法多山という寺院への道しるべのようです。


少し先にも袋井宿の説明書きがあります。かなり賑わった宿場町だったようです。


進んでいくうちに人気が少なくなってきました。


旧澤野医院です。居住部分は江戸末期、医院部分は大正時代の物だそうです。


寺澤家長屋門です。明治時代の物だそうです。


1㎞程進んで、右に分岐します。


蔦屋版東海道五十三次というものがあるようです。初めて知りました(((^^;;;


分岐から300m程で、木原の一里塚跡がありました。
本来の一里塚は、もう少し手前にあったようです。


100m程で、許禰(こね)神社があります。

この神社の中に、木原畷古戦場跡碑があります。このあたりで三方ヶ原の戦いの前哨戦があったそうです。





また長居しすぎてしまいました(((^^;;;


この道標があったのは、確か神社のすぐそばだったと思います。
時間が立ちすぎて思い出せません(((^^;;;



再び県道に合流します。


太田川を渡って…

すぐ左側の階段を下ります。

階段を下りた先の松並木が東海道です。




ここからだんだん山道になっていきます。

鎌倉時代の東海道の入り口です。江戸時代の東海道はここを入らずに直進します。
このあたりは山道を避けるために色々なルートがあったようです。



あれ?これはどっちだろう…


石碑を見ると、右側が大正時代の東海道のようです。



ならば左ですね。

すると今度は明治自体の東海道の入り口がありました。
このころはトンネルがあったようです。

まだ直進します。

江戸時代の東海道の入り口はどこだろう?


あったあった♪


…ってここを上るんですか(((^^;;;


危ない雰囲気ですが、とにかく上っていきます。

いきなりこれです(((^^;;;

暫く上って振り返ってみました。


ようやく上り切りました。


見附宿(JR磐田駅付近)までもう少しです。


日没まで時間がありません。


鎌田山の道標と、井戸の跡の碑がありました。



100m程で、三日野の立場跡がありました。

 

立場跡といえば、おなかが空いてきました。
そう言えばお昼を食べていませんでした(((^^;;;
そろそろエネルギーが切れそうです(((^^;;;

ありがたいことに、しばらく下り坂です。



2キロ程進んで、松並木がありました。



もうすぐ見附宿です。


坂を下り切ったあたりで、再び県道と合流します。

行人とは、山伏のことだそうです。このあたりに住んでいたそうです。



暫く進むと、遠州鈴ヶ森刑場跡があります。この階段を上ってみますと…

あらら(((^^;;;怒られているみたいです(((^^;;;


その先で右に分岐します。もう暗くなり始めています。


400m程で常夜灯がありました。


再び下りです。助かります。


再び県道に合流します。ここまで来ると交通量が増えてきました。



JA前に何かあります。

なるほど。直接お二人には関係ないようです(((^^;;;


どうやらこのあたりが見附宿の中心らしいです。




菅原道真公と関係があるようです。



問屋場跡はスルガ銀行になっていました。


この道しるべを見るとなんだか安心します。



…などと言っているうちに、もう日没です。急がねば(((^^;;;



脇本陣三河屋跡です。



300m程で交差点にぶつかります。ここがいわゆる姫街道との追分(分岐点)です。
正面奥に見えている細い道が姫街道です。
姫街道はここから浜名湖の北岸を通り、御油宿で再び東海道と合流します。
御油宿はまだまだ先です。(愛知県です)


東海道はここを左折します。

西木戸を模したモニュメントです。



次の交差点は歩道橋で迂回します。


その次の分岐を左に入ります。

これは道しるべでしょうか。

再び県道と合流します。


暫く進むと、右側に遠江国分寺が見えます。いよいよ遠江です。



更に直進すると、T字路に突き当たります。ABホテルの奥の方に磐田駅があります。
ここを右折します。


しばらく坂を上った途中に、坂の名前のいわれと、「くろん坊様」についての説明、常夜灯がありました。
「くろん坊様」とは、日本に来たインドの僧侶で、盗賊に命を奪われてしまったそうです…




もうエネルギーが限界でふらふらしていると、途中にジョイフルというファミレスを見つけました。
ジョイフルは存在は知っていましたが、地元横浜ではなじみがありません。
早速突入ですw



何とか復活しました(((^^;;;
なかなかおいしくて、リーズナブルだった記憶があります。

40分位長いしてしまいましたが、まだ17:00位だったと思います。

が、もう夜です(>_<)

この暗い中天竜川を越えなければなりません。急がねば。

500m程で宮之一色の一里塚跡がありました。



うっすら明るいうちに急ぎます。



交通量もかなり少なくなりました。


明治天皇が天竜川を越えてここでご休憩された記念の碑のようです。


更に進むと、長森立場跡があります。



すぐそばの交差点を右折します。写真忘れたようです(((^^;;;
更に次の交差点を左折します。


突き当りが天竜川になります。ガイドブックによると正面の階段を上って、
道路を右に進んで新天竜川橋を渡るように書いていますが…

あまりにも車の往来が激しく、とても歩きや自転車で進める道ではありません。

 

この後暫く何とかこの道で新天竜川橋を目指しましたが、どうしても行くことが出来ません。
30分位奮闘して、やっと新天竜川橋にたどり着きました。



ついに天竜川を渡ります。

こちらは歩道があってよかったです。



あちらの天竜川橋には歩道がありません。某スーツさんは自転車で渡っていましたが。


やっと天竜川を越えて、橋のふもとに下りました。

が、ここからまたしても道に迷い、東海道に復帰するのに更に30分位費やしました。

ようやく東海道を発見しました。

明治天皇はここから船で渡河されたようです。


うん、間違いありません。

本日の宿、浜松を目指して最後の力を振り絞ります。


500m程で軽便鉄道軌道跡がありました。
このあたりから浜松までを結んでいたそうです。



このあたりも松並木があったようです。


更に進むと、金原明善の生家がありました。
小学生の頃学研の付録についていた本で、金原明善を知りました。←年がばれますね(((^^;;;
生涯をかけて天竜川の治水対策をされた方です。
いつかまた訪れたいと思います。


300m程進んで、県道と合流します。

この合流地点に安間の一里塚跡があるはずでしたが、見過ごしていたようです(泣)

国道1号の高架を潜ります。


ここは左に分岐します。ここも立場跡があるはずでしたが…(泣)


松並木の生き残りのようです。


東海道の案内板です。浜松まであと少しです。


天竜川駅が近いようです。次が浜松駅ですね、

いつしか周りの風景が都会となっていました。

東海道と書かれた石碑です。いつの時代の物でしょうか。


それから3キロ程走ったところで、馬込の一里塚跡がありました。


さああともう少しです。

馬込橋を渡ります。ここでも外木戸跡を見逃しました(泣)
集中力は既に切れています(((^^;;;


遂に浜松駅の文字が現れました。

ここでふと前方を見ると、鉄道の高架が見えます。
遠州鉄道です。遠鉄を見ると浜松に来た実感がわきます。

遠鉄第一通り駅です。


連尺の交差点です。
このまま直進すると、姫街道となります。
見附宿で別れた姫街道とは、この先の三方ヶ原で合流して、浜名湖の北側を通り、御油宿で東海道と合流します。
東海道はここを左折します。


すぐそばに高札場跡がありました。昔からこの交差点は栄えていたようです。

 

更に進むと、川口本陣跡がありました。この手前にも杉浦本陣跡があったはずですが(以下同文(泣)

 

この先地下通路を潜って交差点の反対側に出て、梅屋本陣跡を見に行きます。






この後成子交差点を右折して(写真忘れました(((^^;;;)菅原長交差点に出ます。

本日の旅はここまでです。
東海道はここを左折ですが、本日はここを右折してオルガン坂を上り、
宿に向かいます。

本日の宿はヴィラくれたけさんです。
楽天ポイントとクーポンを使って、朝食付きでなんと¥5,400ほどでした。
部屋も広くて快適です♪

浴室も豪華でした。


夕食を忘れていたので、持っていた最後のパンと魚肉ソーセージで何とかしのぎました(((^^;;;
これが翌日後悔することになります(((^^;;;

今回もご覧くださいまして、有難うございました。
次回も出来るだけ早く更新します。




皆様大変ご無沙汰しております。

昨年秋くらいから多忙を極め、ブログを書くどころかフォローさせて頂いている方々のブログを拝見する事すら出来ない状況が続いておりました,

ここに来て確定申告もなんとか終わり、少し余裕が出来そうです。

今月末あたりからブログ更新出来そうなので、今しばらくお待ち下さいm__)m


写真は去年の秋最後に旅した名古屋駅エスカ地下街で撮りました((^^;;;

皆様大変ご無沙汰しておりますm(……)m
多忙と体調不良のためなかなかブログ更新出来ない日々が続いております。
東海道旅の続きを早くアップ出来るよう頑張ります。

そんな中、松本駅の有名なアナウンスが今月16日で聞けなくなるという衝撃的なニュースを聞き、居ても立ってもいられなくなりまして、先日行って来ました❨^^ゞ





朝八王子からあずさ3号で松本駅に10:23着、12:10のあずさ26号でトンボ返りでした(((^^;;;

出来るだけ早く東海道旅の続きをアップしますので、もうしばらくお待ち下さい。

今回もご覧くださいましてありがとうございました。


皆様大変ご無沙汰しております。

やっと更新できるようになりました。

 

夏バテが尾を引いて、夕食を食べずに寝てしまうことが多くなり、体力が続かなくなってきました(泣)

 

涼しくなってようやく食欲が出てきたのですが、今度は多忙でなかなか時間が撮れません(泣)

 

10月の3連休で出かけようとしましたが、台風の影響もありやめました(泣)

 

更新しようとして途中で轟沈することも多々あり、これで4回目の文章修正です(((^^;;;

 

近況報告はこれくらいにして、本編に行きたいと思いますm(__)m

 

2024年12月25日

 

昨晩クリスマスイブを例年通り寂しく過ごしw、本日もゴール目指して進んでいきます。

 

今日も天気がよさそうですが、雲が多いようです。

掛川駅がすぐ目の前です。

 

チェックアウトして自転車を展開し、昨晩の終了地点、中町交差点に戻ります。

 

では再開です。

 

1㎞程県道37号を進んで、右に分岐します。

 

500m程で再び県道37号に合流します。どうやらこの東海道の方がショートカットのようです。

 

この先で逆川を渡り、逆川交差点に出ました。

このまま直進します。

 

600m程で倉間川を渡り、倉間川交差点に着きました。

ここは川に沿うように進むのですが、間違えて直進してしまい慌てて戻りました(((^^;;;

 

川沿いに進むと、道しるべとこのあたりの歴史についての説明書きがありました。

このあたりに秋葉神社の遥拝所があったようです。

このブログでちょくちょく出てきている「秋葉神社」の説明も書かれています。

 

では進みます。

 

暫く進むと、上の方に電車の高架があります。天竜浜名湖鉄道です。

すぐ左側に西掛川駅があるのですが、そちらは撮影するのを忘れました(((^^;;;

 

更に1㎞程で、大池の一里塚跡がありました。

 

その先に松並木が残っていました。

 

松並木を抜けると、風情のある通りに出ます。

 

国道1号(掛川バイパス)を抜けて、右側の道に入ります。

 

ここにも松並木が残っています。

結構交通量が多かったです。

 

善光寺川を越えると、また松並木があります。原川の松並木と言うそうです。

 

松並木の途中にお寺があります。仲道寺というそうです。

 

どうやら東海道の中間地点あたりにあることから、この名が付いたようです。

道の途中…ミッドウェーですね(((^^;;;

 

更に松並木が続きます。

車道は交通量が多くて危ないので、脇の歩道を進みます。

松の根が発達していて、かなりデコボコです。

 

ちょっと休憩します。

 

このあたりに間の宿があったようです。

 

更に進むと、何やら道標のようなものがあります。

字がかすれていてよく読めませんが、「是より北和田岡村」と書いてあるようです。

 

更に進みます。

また国道1号を潜るようです。

潜ってから橋を渡ります。

 

渡り切ってから左の道に入ります。

 

ここからは袋井市です。

 

下に下りて、あの公園のようなところから東海道の続きのようです。

 

ここは名栗立場跡でした。

 

ふむふむなるほど。

 

では進みます。

 

このあたりは松並木が良く残っています。

名栗の松並木です。

 

袋井宿ももうすぐです。

 

富士浅間宮の赤鳥居です。社殿はここから800m位北にあるようです。

 

更に松並木が続きます。

車道が本来の東海道ですが、危ないので歩道を進みます。

 

久津部(くつべ)の一里塚跡です。

 

これもよく読めませんが、「是より菅ケ谷村を経て油山に通ず」と書いてあるそうです。

 

個人の敷地内にも松並木が残っています。

 

袋井東小学校の前にも一里塚を再現したものがあります。

別名「どまん中東小学校」だそうです。

 

ちょっと先に常夜灯があります。昭和28年に建てられたそうです。

 

松並木に沿って進みます。

 

「是より油山道」と書いてあるようです。

 

道標があります。もう少しで袋井宿です。

 

このまま国道に合流せずに直進して、つきあたりを左折、すぐに右の細い路地に入ります。

 

このあたりは区画整理されて、オリジナルの東海道は無くなっているようです。

更に道路の先の細い路地に入ります。

横断歩道で迂回します。

わかりやすいように案内があります。助かります。

この路地も本当はオリジナルの東海道ではないはずです。

 

路地を抜けてしばらくして、常夜灯があります。

 

更に進むと、道標があります。

この交差点を渡ると、いよいよ袋井宿です。

 

宿場として、ちょうど日本橋と三条大橋の中間にあります。

…つまりやっと半分まで来ました(((^^;;;

 

そしてすぐ向かい側にあるのが、「東海道どまん中茶屋」さんです。

 

こちらはこの年の4月にもとある目的のためにお邪魔しました。

当時鉄印のほかに「東海道御宿場印」というものを集めていて、こちらで袋井宿の物をゲットしました。

また自転車で訪れるとは、当時は思いもしませんでした。

スタッフの方とお話をしているうちに、静岡県内の御宿場印をコンプリートしたかと聞かれ、御宿場印帳をお見せすると、コンプリートしたということでプレゼントをいただきました♪

この人(人?)に代弁していただきましょうw

 

 

 

 

ちゃんと再生されてますでしょうか(((^^;;;

 

暮れの忙しいときに失礼しましたm(__)m

 

では出発です。

 

次回続きをアップします。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

皆様大変ご無沙汰しております。


多忙な日々が続き、ブログ更新が滞ってしまいました。


9月の3連休に骨休めで出かけて来ました。

このあたりのお話しもいずれブログに載せたいです。


まだ暫く忙しい日々が続きますが、明日辺りで更新出来そうなので、今暫くお待ち下さいm(__)m



またまたご無沙汰しております。

 

お盆休みですが、出かけるのが億劫です(((^^;;;

とりあえず続きをアップします。

 

2024年12月24日

 

午前中に大井川を渡ろうとして、寄り道し過ぎでお昼ごろになってしまいました(((^^;;;

 

 

なんとか金谷の石畳の入り口に到着です。

 

途中までは舗装されているようです。

道幅といい、くねくね具合といい、まさに東海道ですね。

 

ここからが本当に石畳のスタートです。

 

大井川橋を渡っているときにお会いした方が石畳の復元に参加されていたそうです。

 

すぐに休憩できそうな場所がありましたが、ここはスルーします。

 

400m位進むと、祠のようなものが現れます。

「すべらず地蔵尊」です。

歴史がありそうに見えますが、なんと平成3年の石畳の修復時に作られたそうです。

受験生の絵馬がたくさん飾られています。

 

ここのベンチで少し休憩します。思いのほか急坂です。

 

では出発です。自転車を石畳の平らな面を探して押していきます。

 

金谷坂はもうすぐ終わりのようです。

 

上り切ると舗装された道路に合流します。

 

緩やかな上りなので、自転車に乗って進みます。

 

すると今度は菊川坂の入り口に着きました。ここから再び石畳です。

その前にすぐ脇の休憩所で、昨夜調達したパンと、自宅から持ってきた魚肉ソーセージとチーズで昼食です。とある方からたんぱく質をしっかりとるようにアドバイスをいただいたので、持ち歩くようにしました。

 

食べながら色々写真を撮っていきます。

 

再び石畳に挑みます。今度は大体下りです。

 

石の表面はなめらかです。

 

途中で舗装路が石畳に合流しています。

 

既に日が傾きかけています。

 

まだまた続きます。金谷坂より長いです。

 

下り切った…と思ったら、道を挟んでまだ続いています。

 

道路を作るときに坂が消滅して、階段になっています。

 

あれ?意外とすぐに終わりのようです。

 

石畳は終わり、ここからは舗装路です♪

 

久しぶりの道しるべです。

 

菊川は間の宿としてにぎわったそうです。

 

菊川の名前の由来となった、菊石です。

 

これが自然にできたものとは…

 

先に進みます。

いよいよ本日の最難関、小夜の中山に挑みます。

 

ん?

 

本来のコースが工事で通行止めになっています(泣)

 

とりあえず迂回して進みます。

迂回路もかなりの急坂です。

 

本来のコースです。

 

小夜の中山は東海道の中でも急な傾斜で有名です。

東海道線は海側に、国道1号や東名高速は山の反対側にそれていますが、東海道は牧ノ原台地に真っ向から立ち向かっています(((^^;;;

 

振り返ってみます。立ち止まると倒れそうです(((^^;;;

 

やや平らなところでも振り返ってみました。急すぎて先の下の方が見えません(((^^;;;

 

両側にはお茶の畑が広がっています。

 

また上りがきつくなります。自転車は当然手で押していますw

 

少し平らになってきました。

 

が、この先でまた上ります。

 

このあたりの茶畑は、大井川の渡し人足たちが明治時代に移住して切り開いたようです。

 

まだまだ上ります。

 

日坂宿は松尾芭蕉をはじめ、色々な歌人が俳句を残しているようです。

 

このあたりが小夜の中山の頂上みたいです。

 

広場のようなところがあります。

ここに接待茶屋があったようです。

 

向かい側には久延寺があります。

昔妊婦の方がこのあたりで山賊に殺されましたが、おなかの子は助かり、ここの住職が水あめを食べさせて育てたそうです。その子は成人して母の仇を取ったそうです。

 

そのすぐそばに「扇屋」というお店があります。

上記の話にあやかった?「子育て飴」というものを江戸時代から販売しているそうです。今はボランティアの方たちが運営しているそうですが、今日は平日なので休みでした(泣)

 

気を取り直して進みます。

 

このあたりから下りになります。自転車で来た人にとってはボーナスタイムですw

 

小夜鹿の一里塚跡です。この前に二つ一里塚跡があるはずですが、現在は位置がわからなくなっているそうです。

 

道沿いに色々な歌人の碑があります。

 

眺めはかなり良いです。

 

 

だんだん急な下りになってきます。

 

 

更に角度が急になります。

 

涼み松跡です。松尾芭蕉がここで休憩したそうです。

って指が邪魔ですね(((^^;;;

 

歌碑の多さに、この道がいかに重要であったかを感じます。

 

夜泣き石跡です。昔妊婦さんがここで山賊に殺され(前述の方でしょうか?)

その魂が石に乗り移って夜な夜な鳴き声を上げていたそうです。
たまたま弘法大師が通りかかって供養すると鳴き声がやんだそうです。

 

ここからはあまりにも急すぎて、自転車を下りて進みました。

 

このあたりは七曲りという難所だったようです。

 

途中かなり古い廃屋がありました。

 

落ち葉が積もっていてかなり怖かったです。

 

こんな坂がずっと続きます。

 

まるでギャグのような角度の酷さに、頭の中でこの曲が流れ続けましたw

 

「二の曲り」ということは、だいぶ下ってきたようです。

 

国道1号が見えてきました。やっと小夜の中山を越えたようです。

 

東海道五十三次の「日坂」が展示されています。

この坂の角度は誇張ではありませんw

 

国道の高架を潜って、その先の県道を渡ります。

県道をそのまま横断するのは危険なので、歩道橋で迂回するように注意書きがあります。

 

何とか迂回して、日坂宿に入りました。

すぐに常夜灯があります。

 

この先本陣跡などが続々と現れます。

日坂宿も小夜の中山を控えて、旅人たちでにぎわっていたといいます。

 

本陣「扇屋」跡です。広場になっています。

 

問屋場跡です。

 

脇本陣跡が続きます。

 

 

「銀さん」は出てきませんw

 

 

高札場跡です。

 

 

すぐ隣に下木戸跡です。狭い範囲に色々と昔の面影が凝縮されていて、見ごたえがありました。

 

いよいよ本日のゴール、掛川宿に向かいます。

 

もう暗くなってきました。

 

掛川市内に入ったようです。

 

「福天権現」への道しるべと東名菊川インターへの道しるべですw

 

伊達方の一里塚跡です。

 

この先旧道との分岐が続きます。間違えないよう慎重に進みます。

 

道しるべの横に道祖神様がおられました。

 

民家の軒先にも。

 

4㎞程進むと、既に日没です。

葛川の一里塚跡の横に、常夜灯があります。実際に明かりがついていて助かります。

現在でも役割を果たしています。

 

そこから500m程で、いよいよ掛川の七曲りです。

 

突き当りの民家に道祖神様らしきものがありました。昔から旅人たちの目印になっていたのでしょうか。

 

昔から物流の重要拠点だったようです。

 

道しるべがあって助かります。

 

真っ暗なうえに写真が途切れてしまっています(泣)

 

ここは左折します。

 

今度は右折です。

 

県道に出て左折です。またも指が(((^^;;;

 

なんと本陣跡がこんなことに…

 

今日は中町交差点で終了します。ここから掛川駅に向かいます。

 

本日の宿は、掛川駅ロータリーに面した、掛川ステーションホテルさんです。

 

自転車と荷物を置いて、夕食を求めてさまよいますw

ロータリーを渡ってぶらぶらしていると、ラーメン屋さんを見つけました。

喜八屋掛川店さんです。

セットで餃子を頼もうとしたら、売り切れでした。唐揚げに変更しました。

 

なかなか美味しかったです。

 

そういえば今日はクリスマスイブでした。ロータリーそばのローソンで小さいケーキを買ってきます。

…去年もこんな感じだったような(((^^;;;

 

 

掛川駅前を通ってホテルに戻ります。

 

夜にここの写真を撮るのは初めてです(((^^:::

 

なぜわざわざケーキを買ってきたかと申しますと…

旅に出るときは必ず両親の写真を持っていきます。

二人とも旅好きでしたが、思うように出かけられなかったので、

せめて私の旅に連れていきたいと思っています。

これが私にできる親孝行かと思っています。

 

最後はしんみりしてしまいましたが、今回も最後までご覧くださいましてありがとうございました。

次回もできるだけ早く更新しますm(__)m

皆様大変ご無沙汰しております。

やっと少し更新できる状態になりました(((^^;;;

 

どうも最近夏バテが(((^^;;;写真をなんとかリサイズしてアップできるようにするだけで寝てしまいます(泣)

昨日何とかリサイズが終わったので、早速更新したいと思います。

 

2024年12月24日…ってもう半年以上前ですね(((^^;;;

 

前日夜まで走ってクタクタになりつつ、何とか起床しました。

朝食にお弁当がいただけるということで、生姜焼き弁当をお願いして部屋で前日コンビニで調達したお味噌汁・野菜ジュースとともにいただきました。…あれ?また写真がない(((^^;;;

 

チェックアウトを済ませて、昨夜の終了地点、本町通り2丁目交差点まで戻ります。

 

今日も良い天気です。

 

途中立派な神社がありました。

大井神社です。

 

ここでうっかり道の反対側にあるはずの島田宿の西見附跡を見逃してしまいました(>_<)

 

暫くすると、左への分岐点が現れます。いよいよ大井川を渡ります。

 

分岐した途端、江戸時代に迷い込んだかのような景色が広がります。

 

大井川にたどり着く前に、ここで時間を取られていきます(((^^;;

 

当時の建物もそのまま残っているようです。

 

ちょっと見学していきます。

 

十番宿跡です。川越し人足の休憩所だったところです。

 

先に進みます。

同じような番所がずっと並んでいます。かなりの規模の人足集団がいたことでしょう。

 

関川庵です。八百屋お七の恋人、吉三郎さんのお墓があるそうです。

お七さんが処刑された後、悲しみのあまり流浪の旅に出かけて、島田宿で亡くなったそうです。

 

札場跡です。人足の賃金がここで支払われました。

ちょっと入ってみます。中々進めません(((^^;;;

 

 

再び進みます。

 

お茶でも飲みたいですが、まだ営業していません(((^^;;;

 

またまた面白そうな建物が(((^^;;;いつになったら川を渡れるんでしょうか(((^^;;;

川合所跡です。人足の手配・管理などを行っていたところのようです。

 

これはお金持ちなどが乗って川を渡ったもののようです。

 

 

タモリさん♪ブラタモリで放送されていたんですね♪

 

やっと出発です(((^^;;;もう1時間以上見学しています(((^^;;;

 

稲荷神社です。旅人や人足の安全を祈願して建てられたようです。

 

もうすぐ川岸です。

 

川岸の手前に「せぎ跡」があります。洪水の時に厚い板を並べて防水堰にしたそうです。

 

川沿いの道路に道しるべがありました。

 

河原に下りてみます。

 

ご苦労様です♪

 

いよいよ渡河します。

今では立派な橋が架かっています。

500mほど上流に進みます。

 

天気が良くて気持ち良いです。

 

途中から歩道が無くなるので、歩きの場合は右側を進むのがよさそうです。

 

橋のたもとに着きました。

 

大井川橋です。昭和3年に架けられたそうです。

尚5㎞ほど下流に世界最長の木造橋「蓬莱橋」があります。ここは夏に訪れましたが、その様子はいつか別の記事でご紹介します。

長年旅人たちを足止めして来た大井川を、今では楽々渡ることが出来ます。

渡っている間、なぜか頭の中でこの曲がエンドレスに流れていましたw

 

 

 

夏にはここも増水して沈むのでしょうか。

上流に国道1号が見えます。新東名は見えませんでした。

長さ約1㎞あります。

 

途中写真を取るため展望スペースに停まっていると、後ろでチリンチリンと自転車のベルの音が聞こえます。

振り返ってみると、自転車に乗った女性の方が話しかけてきました。

リュックに付けた三度笠を見て話しかけたそうです。

その方は後ほど登場する金谷の石畳の修復に参加されたそうで、この先の情報を色々と教えてくださいました。

 

更に進みます。

 

 

ようやく対岸に到着です。

大井川は駿河と遠江の境なので、遠江に入ります。

金谷側の渡し跡を見てみます。島田宿側ほどには遺跡が残っていませんでした。

 

ここから東海道の続きに入ります。

堤防を下って正面を進みます。

 

すると200mほど進んだところに金谷宿の渡し場遺跡がありました。

昔はここに人足の寄せ場があったようです。

 

仲田源蔵という方の像です。明治に入って職を失った人足のために、架橋したり牧ノ原台地に茶畑を作って移住させたりして生活を守ったそうです。

 

再び進みます。

 

暫く進むと、大井川鉄道の踏切があります。

おや?カメラやタブレットを構えた男性がスタンバイしています。

何が来るのか楽しみに待ちますw

 

すると…

 

!!

!!!

 

ということは(☆∀☆)

 

タイミングが(((^^;;;

 

ですよねー♪

向こう側に新金谷駅があります。

 

再び進みます。…今日はなかなか進めません(((^^;;;

 

往還橋です。やはり飛脚が架橋したようです。

 

金谷宿の中心部に入ります。

 

対岸の島田宿同様に、西から来た旅人たちが足止めされたときに泊まっていました。

当時はかなり栄えていたようです。

本陣が3つもありました。

 

 

中心部を抜けると上りがきつくなってきます。

 

金谷の一里塚跡です。

 

すぐ右側に金谷駅があります。一里塚のそばに駅を作ったんですね。

 

ガードを潜ります。

抜けて線路沿いに進みます。正面の坂を上るとハイキングコースに行ってしまいます。

 

駐輪場から駅を撮影します。

 

更に坂を上ります。

ここに橋があったようです。

 

この道祖神様が金谷宿の守り神だったそうです。

当時は真っ直ぐに道が続いていましたが、国道1号で分断されています。

右から迂回していきます。

国道に出たら、あの横断歩道を渡って進みます。

 

いよいよ金谷の石畳に入ります。

 

長くなりましたので、(←寄り道しすぎたw)続きは次回ということで。

 

ご覧くださいましてありがとうございました。できるだけ早く更新しますm(__)m

皆様ご無沙汰しておりますm(__)m


かなり長いことブログ更新していませんが、なんとか生きています(((^^;;;


今年に入ってから確定申告やら何やらでなかなか更新出来ず、更には出かけることもままならない状態でした。確定申告を税理士さんに任せず自分でしたのは初めてでした(((^^;;;


更に4月から従兄弟の会社の手伝いを始めて

平日は身動きが取れなくなりました。


そんな中東海道旅を再開すべく、今日やっと少し続きを進めました。今豊橋のABホテルですw


今月21日から1週間休みを貰えたので、なんとか三条大橋にたどり着きたいです。


来月くらいからまた更新したいと思います。


それまで今しばらくお待ち下さいm(__)m

では(^^ゞ



皆様ご無沙汰しております。

 

今年初めて自分で確定申告を行って、何とかギリギリに終わりました。

そのあとから更に忙しくなり、かなりドタバタで♪スッタモンダコッタモンダヤッタモンダ♪しておりました←これわかる方同年代ですね(((^^;;;

 

来週からは更に忙しくなるので、しばらくは出かけられないかもです。

 

2024年12月23日

前回の続きです。

子供のころからの念願がかなって大満足でした。

 

では出発します。

すぐに高札場跡があります。

 

静かな旧道を進みます。

 

国道に合流すると見せかけて、すぐに左の旧道に入ります。

 

日本の紅茶発祥の地だそうです。

 

この先で国道に合流します。

 

ちょっとびっくりしましたが、コース上の歩道橋までは行けるようです。

 

スロープがあると助かります。

 

歩道橋で国道をまたいで、すぐ左側を進みます。

 

また国道に合流します。
 
 

すぐに右側に分岐します。丸子川に沿って進みます。

 

ここで再び歩道橋を渡ります。

昔このあたりに一里塚があったらしいですが、正確な場所はわからなくなっているようです。

この先の道の駅宇津ノ峠で少し休憩します。
やはりお盆前にも訪れましたが、本当に自転車で来るとは思いませんでした(((^^;;


歩道橋で国道をまたぎます。

 

宇津ノ谷峠の集落が良く見えます。

 

歩道橋を渡って、宇津ノ谷峠に挑みます。

 

案内を見てルートを確認します。

 

きれいな舗装路を進んでいきます。

 

だんだん登りがきつくなってきます。

 

このあたりで明治天皇がご休憩されたようです。

 

この階段を上っていくようです。

 

かなり急な上りです。

 

上った先に案内があります。
旧東海道は右ですが、ちょっと左に寄り道します。

 

峠を直進的にくりぬいた、明治のトンネルです。レンガ造りがいかにも明治ですね。

 

中もレンガがしっかり残っています。

 

トンネルを抜けてきました。

 

この先で旧東海道と合流します。

 

では戻ります。

トンネル内はこちら側からだと緩やかな下りになっているので、自転車だと楽です♪

 

先程の案内板の前を抜けて、旧東海道へ…あれ?県道まで出てしまいました。

グーグルマップを確認しつつ、戻ってみます。

…えっ、ここですか(((^^;;;

 

登山道みたいです。ここを自転車を持ち上げながら進みます。

 

久しぶりの道祖神様でしょうか。

 

完全に山道です(((^^;;;。

 

ここにはいきません。

 

直進します。

 

開けた場所に着きました。旧東海道の展望台らしいです。

 

木々の間から、入り口の集落が見渡せます。

 

再び進みます。

 

有名な俳人のお墓だそうです。

 

まだ上ります。

 

少し進むと、大きな石段のようなものが現れました。
昔ここにお堂があったようです。

 

この石段のわきを上っていきます。

 

石段の上まで上ってきました。お堂の土台が残っています。

 

まだ上ります。

 

このあたりが頂上のようです。
かなり体力を消耗しました。お昼をしっかり食べていてよかったです(((^^;;;

 

ここから下りになります。
が、自転車に乗って下ることはできません(((^^;;;


下りも急な坂です。

 

ちょっとだけ舗装された道になりますが、すぐ山道になります。

 

髭題目碑という、立派な文字が彫られた石があります。
このあたりで先ほどの明治のトンネルから出た道と合流します。
これはトンネルを掘りたくなりますね(((^^;;;


この記念碑まで来ると、峠を越したことになるようです。

 

やっと国道近くまで下りてきました。


 

向こう側にわたるため、反対側の歩道橋まで上ります。


歩道橋を下りたら奥の道に入ります。


もうすぐ岡部宿に入ります。

 

このあたりに桝形があったようですが、原形をとどめていません。



県道から右に分岐します。


岡部橋を渡ると、古い建物が見えてきます。岡部宿に到着です。


 

岡部宿の旅籠、柏屋です。ここもお盆前に来ました。

 

この日は休館日でした。中の様子は改めてご紹介します。

だいぶ日が傾いています。
ここに着いた時点で15:00を回っていました。


先に進みます。国道から左に分岐します。


 

昔小野小町がこの橋の上から水面を見て、年老いて疲れ切った自分の姿を見て悲しんだそうです。

 

ここは桝形が良く残っています。岡部宿の終わりです。

 

左の道を進みます。ここにも桝形があります。

 

このあたりに問屋場があったようです。

 

再び国道に出ます。

 

松並木の名残があります。

 

陸橋を潜って右側に進みます。


「これより西巌村領」という標柱があります。昔は石の標柱だったそうです。


上り坂になったので、自転車を下りて押して進みます(((^^;;;


また松並木が現れます。これに沿って進みます。

 

この歩道橋を渡ります。

 

振り返って松並木を写しました。昔の東海道の雰囲気が残っていますね。


向こうにも松並木が続いています。

 

歩道橋を渡って進みます。

 

また標柱があります。これは当時のもののようです。


少し国道と並走して、また左に曲がります。

 

一里塚跡は民家になっていました。


川沿いの土手の上にお地蔵様が立っていました。


更に進んで橋を渡り、T字路がありますが、この手前を右折します。

 

ここからちょっと複雑になります。
右折した先のセブンイレブンの裏に入ります。


 

この松並木を進みます。

 

また国道に出ます。

 

国道を渡りますが、旧東海道が国道で上書きされていて、渡るためには先の横断歩道まで進みます。

 

左の道に入ります。


 

藤枝宿に入ったようです。


 

かなり暗くなってきたので、写真が少なくなります。

 

これも久しぶりの常夜灯です。

 

志太の一里塚跡です。

 

よく前を見ていないと危ないですね(((^^;;;


見えにくいですが、真ん中の道を進みます。2回横断歩道を渡っていきます。


完全に日没です。急がねば(((^^;;;

 

また国道に合流します。六合駅が近いようです。

 

実はこの横断歩道を渡って右側に入るのですが、うっかり直進してしまい、途中のバーガーキングで休憩中にガイドブックを読み返していて間違いに気が付きました。急いで正しいルートに復帰します。

横断歩道から分岐のところまで戻って再開です。


桝形跡です。島田宿に入ったようです。

 

本日のゴールまであと少しです。



問屋場跡は駐車場になっていました。
 



 

島田宿中心部に入ったようです。


 

松尾芭蕉の歌碑です。


本通り2丁目交差点です。本日はここで終了です。


今日の宿はここを右折して北に600メートルほど進んだところにあるホテルラクーネ島田さんです。
ホテルに着いた時には20時を少し回っていました。
エントランス前で自転車を収納してチェックインします。
ありがたいことに、こちらのホテルは不定期で朝食のお弁当が出るそうで、たまたま明日がその日でした。生姜焼き弁当をお願いしました。

部屋に荷物を置いて、コンビニで飲み物等を調達、貸し切りの大浴場でゆっくり休みました。

 

本日の移動距離は約30.8キロくらいでした。峠越えがあったとはいえ、歩きよりは進んだ感じがします。

島田といえば、大井川を前に旅人たちが足止めをされていた宿場町ですね。現在の東海道線も島田で系統分離していたりするのはその名残でしょうか(((^^;;;

冒頭にも書きましたが、しばらく忙しさが増しますので、更新頻度がさらに落ちそうですが、できるだけ早く更新します。


本日もご覧くださいまして有難うございました。

皆様ご無沙汰しております。中々更新できません。

2024年12月23日
※今回かなりボリューミーなので分割します。

今日も天気がよさそうです。
パンとコーヒーやスープのちょっとした朝食をいただいて、すぐに出発です。</p>
…ってパン取りすぎでは(((^^;;;



9時過ぎにチェックアウトして、昨日の終了地点、呉服町交差点に向かいます。ホテルのすぐ裏です。旧東海道はここを左折します。

 

札の辻交差点を左折します。昔は高札場があったはずです。

 

七間町の交差点を過ぎて次の交差点を右折します。

 

次の次を左折します。路面に東海道の印があります。

 

更に進むと、右側に川会所跡があります。この先の安倍川の川越しを監視する場所だったそうです。明治天皇がご休憩された場所でもあるようです。

 

そのすぐ先に、安倍川の義夫の碑があります。旅人が財布を落としたのに気付いた安倍川の川越し人夫、喜兵衛さんがそれを拾って、ずっと先の宇津ノ谷峠近くまで追いかけて届けたそうです。私も今日そこを通りますが、かなり距離があります。
ずっとのちまで語り継がれてほしい話ですね。



安倍川といえば安倍川餅が有名ですが、お昼のためにおなかのスペースを確保したいのと、橋のたもとの「かごや商店」さんが平日はお休みなので諦めます。え?「その手前に老舗があるだろう」ですって?そこはあえて行きません。

 

安倍川を渡ります。

 

遠くに国道1号と東海道線が見えます。

 

なかなか広い川でした。

このまま直進します。

 

更に進んで国道1号に合流します。

佐渡(さわたり)の交差点から左に進みます。

 

ちょっと先にお堂があります。子授け地蔵尊というそうです

 

暫く行った交差点に松並木の名残があります。

 

ここを右折して、丸子(まりこ)宿を目指します。昔は鞠子宿とも書いたようです。

 

左が旧東海道です。

 

昔の風情がたっぷり残っています。

 

一里塚は残っていませんでした。

 

江戸方見附跡です。いよいよ丸子宿です。

 

問屋場は民家になっていました。

 

本陣跡です。

 

明治天皇は脇本陣でご休憩されたようです。

 

この先に本日の主要目的地があります。

 

丁子屋さんです。

江戸時代から続く名物料理とろろ汁のお店です。

 

東海道五十三次の絵のお店です。今回の東海道旅では絶対に外せません。

(画像出典:Wikipedia)

 

小学生の頃この絵のお店が現存すると聞いて、いつか絶対に訪れたいと思っていました。ついにそれが叶いました。
こうしてみると、ほぼ絵と同じですね♪

 

到着したのが10:30でしたが、お店は11時からです。

それまで色々と周りを見てみます。

 

お店のすぐ前に道しるべがあります。

 

すぐ先に丸子橋があります。ここを渡って進みます。

 

道の反対側に細川幽斎という歌人の歌碑があります。

 

 

なんと無料の駐輪場があります。これはありがたいです。

 

お店の前で座って待ちます。
入り口横のタブレットで整理券を発行します。伝統とハイテクの融合ですね(((^^;;;
自転車旅のため三度笠をしっかり固定しましたw

 

由比のくらさわやさんに続いて一番ですw

 

 

いよいよ入店です。
店内は奥の方に大きく広がっていました。
一番乗りでしたので写真を撮った時は空いていましたが、この後続々とお客さんが入ってきて、すぐに満席になりました。

 

実は私は納豆以外のネバネバ系がダメでして、オクラや生卵も食べられません。そんなお客さん用に刺身定食も有りました。
しかしこの東海道旅でとろろ汁を食べないと絶対後悔すると思い、とろろ汁の定食にしました。
 

「本陣」をお願いしました。
おかべ揚げという揚げ物と、デザートが付きます。

 

来た来た♪

 

 

ご飯は情報通り麦飯でした。

 

 

これがおかべ揚げというものらしいです。

わさび塩で頂きます。

 

早速とろろ汁をかけて頂きます。
とろろ汁はみそ味ベースです。

 

勇気を出して頂きます。
…意外とさらっとしていて食べやすいです。
最終的にお櫃が空になりました(((^^;;;
 

店内には東海道五十三次の絵が飾られていました。

 

デザートの羊羹みたいなお菓子を食べていると、隣の席の奥様がリュックについている三度笠を不思議そうに眺めていました。
日本橋から旧東海道を進んでいると話すと大変驚いておられました。

 

待ちが出ているようなので、急いで出発します。
入店時は急いで着席したので店内の様子を撮影できませんでしたが、帰りは少し撮影出来ました。

 

廊下にはお店の歴史的な写真が掲げられていました。

 

ついに子供のころからの念願がかなってよかったです。

 

では出発します。

 

後編に続きます。

 

本日もご覧くださいまして有難うございました。