(1)に続く庭園美術館の続きは
もう少し先の予定だったが、
先日の日曜、素晴らしく快晴だったので、
これは行かねば!と撮ってきた。
基本なことだろうが、
やはり隈なく散策するのは大切だ。
前回には気付けなかった面白いキャスト、
面白いアングルに出会うことが出来た。
そしてまた、季節の移ろいも実感した。
つい前回の撮りで咲いていた花がすでに無く、
前回は緑だった もみじが、春紅葉していた。
当り前のように過ぎていく季節。
撮ることによって、
木々や花という季節に触れることができ、
移り変わる季節を感じることが出来る。
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庭園美術館(2)
今回、テーマとして、「大樹や木々」とした。
前回、ムクの大樹に魅入られたので、
今回は、大樹や木々にスポット当てようと考えた。
そうして、庭園を隈なく廻っていると、
おぉ~と嬉しくなる大樹たちに、
その個性的な姿や表情に出会えた。
私は屋久島へは行ったことが無いが、
屋久島じゃなくても、
いつかの機会に原生の森へ赴こうと思う。
ご覧のように、爽快な快晴。
前日が雨だったので、余計に嬉しくなる。
日差しも柔らかめで、絶好な撮り日だった。
導入として、西洋庭園内にある
背高い巨木の森で撮ったものから。
多くの巨木が空に向かってズンと伸びており、
光や木漏れ日が、いい雰囲気で差し込んでくる。
構図として、奥や手前の木が、
左下から右上へ弓なるアングルを狙った。
■永き時を生きる大樹たち -----------------
何本かある大樹のうちの二つ。
どちらも苔むし、そこから草が生え、
人が及ばぬ永き時を生きて来たことが判る。
雨、風、雪、酷暑、寒暖。
永き時、それらに身をさらし、朽ちず生き続ける。
それに比べ、人は80数年生きれば長い方だろう。
それを考えると、大樹たちに尊びを感じる。
左の大樹、その枝ぶりが、
天に向けて手のひらをガッと広げているよう見えた。
この大樹を見付けた時、おおっと魅入られた。
全体が苔むし、草生える姿も凄いが、
何といっても、その枝ぶりが、掴み掛る手のよう。
(右の画が判りやすい)
何でも怪物に例えるのは申し訳ないが、
むやみに森へ踏み入った人を脅かす精霊樹か怪物か。
そんなイメージを感じつつ撮っていった。
前回にも登場した、ムクの大樹。
また怪物例えだが、この顔の凄み。
創作的にイメージ広げれば、
森を壊す人間への怒り。…などだろうか。
一休みという感じで、花を。
色が、デコレーションケーキのようで美味しそう
■萌木色きらめく木々たち -----------------
日本庭園には、たくさんの もみじの木が、
陽光を浴び、萌木色鮮やかに、キラキラと輝いている。
また、キラキラ輝くだけでなく、
風が吹くと、サワサワ、サワサワ、と鳴り、
その音に包まれると、木々が奏でてるようにも感じる。
秋の紅葉、ぜひ撮りに行こうと思う。
■古家屋に立つ大樹 -----------------
「光華」という茶屋らしいが、日本庭園にある。
この茶屋、「庭園美術館(3)」にも登場するが、
個人的には、あまり魅力感じない容姿のため、
(庭園さん、申し訳ないです)
むしろ、その周囲にある井戸や小川を多く撮った。
■春紅葉し、橙色に輝く もみじ -----------------
そして、この、春紅葉した もみじが、
これまた陽光に照らされ、
キラキラと橙色に映えて美しかった。
もともとオレンジ色が好きなため、
キラキラ輝く、橙色のあまりの鮮やかさに、
もみじの中へもぐり込み、
キラキラ、サワサワした中、撮り重ねた。
また、出来るだけ葉の動きや
画に立体感を出したいため、
手前の葉が風に吹かれて盛り上がった瞬間に
撮っている。
この春紅葉もみじは、違う画を
「庭園美術館(3)」にも載せている。
■老樹。永き時を生き… -----------------
一つの締めとして、老樹と見出しを付けたが、
幹に空いた穴、朽ちかけた枝、苔むした樹皮。
哀れではなく、
人間には敵わない大樹への尊びを感じる。
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今回、大樹や木々のテーマで沢山撮ったが、
何も言わず(葉が鳴る音が言葉とも言えるが)、
ただ永々(えいえい)とそこに立つ大樹。
幹が、枝が、葉が、樹皮が、葉のざわめきが、
その大樹の永き時を表し、何かを語りかけてくる。
言葉では語り合えないが、
こうして撮っていると、写真によって
大樹たちと語り合えればと、そんな気持ちになる。
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オマケ。
キリン?の様な像が、
上を見上げて置かれているので、
どこを見ている?と、煽って撮ってみました。
そして、色鮮やかな花たち。
「庭園美術館(3)」。 近々に公開。