3月11日がやってきます。
今、私の心にある「望遠鏡」を、かつて過ごしたいわきの街へと向けてみます。レンズを覗き込むと、そこには今も色褪せない、あの頃の日常が鮮やかに浮かび上がってきます。
いわきではたくさんの仲間がいました。バドミントンサークルの仲間たちと、体育館で無心にシャトルを追いかけ、流した汗。息を切らしながら交わした何気ない冗談や、弾むような笑い声。
あのコートの上にあった熱気は、今も私の記憶の中で温かく拍動しています。
そんな、当たり前のようにそこにあった「音」や「匂い」の断片を、一つひとつ丁寧に拾い集めるように、私はレンズのピントを合わせていきます。
激しく体を動かした帰りにふと立ち止まって眺めたいわきの海。あの頃の私にとって、海はただ静かにそこにあり、寄せては返す波の音は、騒がしい日常をそっと包み込んでくれる存在でした。
あの日々から、15年。
世間では「風化」という言葉が語られますが、それは記憶が消えることではなく、望遠鏡を覗くのを止めてしまうことを指すのかもしれません。
仲間と笑い合い、海を眺めていたあの時の自分の輪郭を、私はしっかりと覚えている。望遠鏡の向こう側にあるあの街の景色と、共に過ごした人たちの眼差しは、私の心の奥底にしっかりと焼き付いています。
レンズの向こうで揺れる、いわきの空。
明日という日が来ることの重みを、
静かに、ただ静かに、胸の中に刻み直しています。
2026年3月10日
むらたいが