自分自身をモルモットにして

検証した話をひとつ。笑

 

オリジナルになるために

つまりは、世界の中で生き残るために

 

私が出来ることとは何か?を

常に考えて来たんだけど。

 

一つにはポジショニング。

どういうポジションを取れるのか。

 

ポジションは人と逆を行くの。

それが極意ね。

 

最初に直感したのは

日本の音楽大学には

行かない選択をしたこと。

 

まあ、今受けたって

多分、受からないと思うけれど。爆

 

わたし、無茶苦茶だからね。笑

 

外国のものを学ぶのに

本質を捉えるのに必要なものは

 

絶対に「言葉だ」という確信があった。

これはもちろん当時

そういうアドバイスもあったけれど

 

実際には、中学生の時に

BBCのシェイクスピアの日本語字幕版を

NHKで放送していて

 

その音楽や衣装や役者の雰囲気も

さることながら

 

シェイクスピアの言葉

これに惹かれたんだ。

 

だから、銀座の本屋に行って

シェイクスピアの「冬物語」を

買って読みだした覚えがある。

 

全然わからなくって(笑)

でも、音読してた。

 

実は、伯父はスペイン語学者で

スペイン語圏に渡り

日本で辞書を作るような人だったし

 

祖父や父まで

大阪外語大の卒業だったから

 

わたしが偶然にも

東京の外語大を選んで

先ずはドイツ語と考えたのは

 

あながち間違った選択ではなかったし

それなりに

なにか運命的な理由もあったはずなんだ。

 

でも、勉強ができない人だったから

結構、学校では

大変だったけどね。笑

 

外語大の人って

みんな優秀だったから

比べられると大変だった。笑

 

ほとんど当時のドイツ語主任教授の

在間先生という方に

ギリギリ助けてもらって

卒業できたくらいの成績だった。

 

在学中はピアノを弾きまくり

英語で演劇をやり

 

フランスに行くために

ドイツ語専攻のくせに

 

フランス科の先生で

ムッシュ・Dupont氏に頼み込んで

フランス語を学んでた。笑

 

だから最初に受けたのは

フランス国家給費留学生試験。

大学の2年生の時だ。

 

東京外語のドイツ語2年の子が

ピアノでフランスに行きたい、という

今考えても、「どこかおかしい」論理。笑

 

翌年はそれを修正して

ドイツ国家給費試験に切り替えて

いずれも爆死した。

 

前者ではシューマンの

クライスレリアーナを弾き

 

後者ではブラームスの

交響曲第4番を弾いたんだけど

 

後者の時にはもう

指揮者になろうと思っていたらしい。

(今思い出した。笑)

 

だから正確には大学の2年生くらいで

指揮者を考え出したみたいだな。

 

後者ではオイレンブルクのスコアを

平たくしてピアノに置いて弾いていたら

千葉馨さんというN響の有名なホルン奏者の人が

 

その様子を

めっちゃくちゃ褒めてくれた。

 

ちゃんとホルンの音してたぞー、って。

 

それで試験に落ちたことは

自分のなかで帳消しになった。笑

 

何となく、そういう

「おもしろい」と言ってくれる人たちに

わたしは育ててもらったんだよ。

 

わたし、おもしろい人なんだ。

それだけは、自信があった。

 

因みに前者では

アンリエット・ビュイグ・ロジェさんという

ピアニストで教育者の有名な先生が

 

「おもしろい」って言ってたからね。

 

おもしろい、に自信が湧いた。

 

彼女は家に呼んでくれて

いつも人を紹介してくれたんだ。

 

彼女からたくさん、素敵な人を紹介された。

 

その頃に決めたことで

成し遂げていないことがある。

 

ロジェさんが

モーツァルトを理解するためには

ピアノ協奏曲とダ・ポンテのオペラを

理解する必要がある、とか

 

当時言ってたんだな。

 

だからイタリア語が分かる必要がある

と思っていて、外語大在学中

イタリア語の勉強も多少始めたんだ。

 

ヨーロッパに行って思ったのは

意外にみんな

言葉に意識を持つ人と

 

そんなことはどーでもいい、

という人との

2種類に分かれる。

 

だけど、最初に師事した

ウィーン音大のカール・エーステライヒャーは

 

「自分がキャリアを作れなかったのは

イタリア語ができなかったからだ」と

言っていたんだ。

 

当時はまだ、その意味が分からず

自分はピアニストの

アルトゥール・ルービンシュタインが

自分のアイドルで

 

だから、ルービンシュタインみたいに

プルーストをフランス語で読んで

ゲーテをドイツ語で読めるように

 

そんな国際人になりたいと

本気で思っていたんだけど

 

それが嵩じて、ウィーンに渡った最初の

数か月の間、ウィーンの貴族のマダムに

ゲーテの「ファウスト」を習いに行った。

 

全く分からなくて

講義の間中、ずっと眠くてね。笑

 

でも、それが基礎にあるんだ。

不思議なことに。

 

日本でドイツ語を学んでいく中で

最初は歌曲を

徹底的に勉強していたから

 

大抵の歌曲は馴染みが出来ていて

 

ウィーンでは結構

歌曲の伴奏者として

仕事をしたりしていたんだ。

 

そしてウィーンの指揮科では

ハラルド・ゲルツという人にコレペティという

オペラのいわゆる「コーチ」になるための

訓練を受けた。

 

そこでエレクトラやサロメ、

トリスタンなどを教わっていたけれど

 

音を扱ったり、指揮すること自体

それ程難しいことだとは感じなかったんだ。

 

それよりも、一番難しいと思ったのは

何よりもオペラのテクストを理解することと

さらに言葉の奥にある文化が

なかなか感覚的に遠い、というのを

 

どう自分に近づければいいか?で

結構苦労していたんだ。

 

実はこれ、

自分が一番見たいものが観えない

ってことなのね。

 

表層じゃなくて、奥が知りたい。

いつもコレね。

 

この問題は、10代の半ばくらいから

ドイツ語ができるようになれば

この奥だって分かると

信じていたんだけれど。

 

実は言葉も音も手段だと

後になって気付いたよ。

 

それに気付くためには、もう

大変な数十年の時間が必要だった。

 

ひたすら、ヨーロッパの街を訪れて

何百日、何千日という時間を

人と一緒に過ごすことを選択した。

 

でも、答えはヨーロッパにはないんだ。

 

そんな中、同じ疑問が

イタリアでも起きていた。

 

歌劇場で世界的な歌手たちを前に

20代の日本人が

オペラのリブレットを読みこなさないと

リハーサルができない。

 

Prova di salaと言って

イタリア人でさえ

これを出来る人が居ないと

言われて久しいんだけど

 

つい数年前までイタリア語ができなかった

私みたいな日本人が

 

マリア・カラスと一緒に歌った人とか

スカラ座やメトの主役といった

世界最高級の歌手たちが眼の前にいて

 

彼らにリハーサルで

音楽以上の何か言わないといけないんだ。

 

このプレッシャーは

相当なものだった。

 

オーケストラを指揮するなんて

そんなに難しくなくなるんだよ。

これに比べれば。

 

なぜって、日本人だからさ。

バックグランドがないんだよ。

 

で。言葉が出来るようになって

例えばイタリアやドイツの本屋に行って

何か文学でも読もうと思うじゃない。

 

読めるのはせいぜい、

音楽家の自叙伝とかね。

 

他はキツイね。笑

 

そういう日本人の文化的背景じゃん。

 

しょうがないから、

歌手たちには

音楽からのアプローチをするんだけど

 

それがね。辛かったね。

 

ヴェルディとかプッチーニとか

イタリアの歌劇場でイタリア人に

何か言わないといけないのって。

 

でも、例えばヴェルディ「マクベス」を

ベッリーニ歌劇場で指揮していて

あるテノール歌手が言ってくれたのは

 

「マエストロ、あなたからは

とても人間的な音がする。」

 

これ、チカラなんだ。

 

こういう一言が効くんだね。笑

 

手がかりがないもんだから

こんな一言でも

自分を知る手がかりになるんだよ。

 

そうやって、自分の中に

どんなものがあるのか?

 

目を皿のようにして眺めるようになった。

 

そうしたら、

多くのトラウマが観えて来たんだ。

 

ある時にノルマ・ファンティーニという

名歌手にベルリンの駅でばったり会って。

彼女とは昔、ジェノヴァで「トスカ」

パレルモで「マノン・レスコー」で

仕事をご一緒したんだ。

 

そうそう。今NHKのシェフしてる

Fabio Luisiさんが

その当時、ベルリン国立歌劇場で

ヴェルディの「ドン・カルロ」を指揮していて

 

ドレス・リハーサルに招待してくれた。

演出では、エリザベッタが

舞台上でアイロンかけてたけどね。笑

 

そこでノルマに訊いたんだよ。

 

「俺、もっとイタリア語のテキストや

その背景が分かりたいんだけど

本当にオペラは大変だ。。。」って

 

ちょっと愚痴ったんだよね。

 

そうしたら彼女が

「そんなもん、私できる人に

会ったことないわよ。」

 

って言われたんだ。笑

 

つまりね。そういうことなわけさ。

 

その時に気付いたか?って言えば

そんなことはないけれど

 

今、ハッキリ言えるのは

「答えは自分のなかにある」なんだよね。

 

つまり、世界のレベルで考えれば

どうにもできない壁って

やっぱりあるんだ。

 

そして、その壁って

ハッキリ言ってどうでもいいんだ。笑

 

時間の無駄なんだよ。

そこで悩むのって。

 

できるようになるものって

結構、努力していても

楽にできちゃうものなんだよ。

 

それは、使えばいいワケよ。

ツールとして。

 

でも、最終的に自分のなかに

答えを見つけないと

終着駅ってないんだ。

 

日本が占領下で洗脳されたのは

この「外ばかりを見ろ」って

やられたことなんだよ。

 

日本人は今、

すごく良いフェーズに入ったんだ。

 

サッカーも音楽も

事実が証明しているよ。

 

世界に並ぶほどの凄い国になった。

 

ここで次のステージに上がるには

どうやったらいいのか。

 

それは、自分の中を観ること。

そこに何を観るか?

 

そして、何を選択して

何を自分のなかで育てていくか。

 

これは、個人でも国でも同じ。

自分たちの人生を賭けた責務なんだ。

 

外で作られた既成概念やルールは

ぶち壊していい。

 

どうやったらいいのか。

 

それは、自分の手懸りを掴んだら

それを守り抜き、手放さないこと。

 

みんな、自分の「幸せへの鍵」を

手放しているから。

 

そこの社会的・教育的洗脳には

「絶対に」負けちゃダメ。

 

自分自身であり続けることが

ホントウの意味での闘いであり

 

もっと言えば

 

それが生きるということの意味だと思うね。

 

自分と向き合い

自分であり続ける努力をすること。

 

今の日本人には

これが何より必要だと思うんだ。

 

Muran

 

■追伸:

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Photo©AfiA LLC.

Daisuke Muranaka conducting @Teatro Lirico di Cagliari 2020