🌈今日は母の命日でした🌈

農家の女姉妹の長女に生まれ
東京大空襲直前まで、
東京のお店で働いたそうです。

農家に帰って来たく無かったけれど、
長女として祖父と一緒に
南伊奈が湖手掘り一員としてかり出されたり、
牛を引いて田畑を耕したりと、
想像出来ないほど苦労したと思いますが、

苦労話しも、愚痴や世間の噂話しも、
全くしない人でした。

野菜作りの名人で、真っ直ぐなうねを作り、
真っ直ぐに種を蒔いて、
ほとんど野菜を買ったことが無いくらい、
無農薬で色々な野菜を作っていました。

野菜が美味しいので、母の作るお浸しや煮物、
天ぷらなど、とっても美味しかった♡
子供達もお袋の味よりも、
おばあちゃんの野菜で育ちました。

父の自宅介護も10年近く、
愛情込めて丁寧にしていました。
その間も、
お米作りも野菜作りも続けた働き者でした。

腸閉塞の手術の時、
体内にあった破傷風の菌が破れ、
I CUで眠ったままの治療を受け、1か月後、
強い生命力で回復しましたが、
足腰の筋肉が落ちてしまい、
腰から下が動けなくなってしまいました。

人口呼吸をしていたせいもあり、
飲み込みと呼吸を分ける喉の弁の力が弱くなり、
流動食にトロ味をつけた介護食と水ゼリーしか
食べられなくなってしまいましたが、

愚痴も、嘆き悲しむ言葉も態度も無く、
最期まで凛としていた母でした。

母の最期の言葉は何だったのか
急変してしまったので
覚えていないのですが、

母が主人に最期に掛けた言葉だけは
不思議と覚えています。
「今年も田植え、大変だったろうね。
ありがとうね」

そして、孫2人の顔を見て
ウットリする様な、
私が見た1番嬉しい表情をしてから、
意識が無くなって
あれよあれよという間に
父の元に旅立ってしまいました。

母が亡くなって6年の間に
2.3回しか夢を見た事が無いのですが、
先日の田植えの前に夢に出てきました。
今でも、田植えが無事に終わるか
心配しているのかもしれません。


今日は母が無農薬で作っていてくれたお陰で、
今も安心して野菜やハーブが育てられる、
家のとなりにある畑に、
野菜とハーブの苗を植え付けました。

真っ直ぐなうねの作り方や
美味しい野菜の作り方など
いつか教えてもらおうと思いながら、
叶わなかった事が本当に悔やまれますが

母のしていたように、見よう見真似で、
主人と手探り状態で何とかやっているのを
きっと
応援してくれていると思っています。