(この記事は3月に綴った記録です)

 

このホスピスは個室がメインだけれど、2人部屋もある。

そこは差額ベッド代はとられないけれど、やっぱり気兼ねなく家族が通えるということになると個室にかなわない。

 

心配性の私が夫に医療保険を三本かけていたおかげで、差額ベッド代ぐらいはカバーできるので、彼に安心して個室で療養してほしいと伝えて、私はこれ以降毎日ホスピスに通うことになった。

 

病室でやりたいあの事このこと、彼にはいろいろあったけれど、そしてホスピスでゆっくり体調を回復して・・・と彼自身も私達家族もみんなそう願っていたけれど、ホスピスに入ったことで安心したのか、翌日からやっぱり徐々に悪くなっていった。

 

もう終末期に入っていたのでそれは仕方がないんだけれど、やっぱり、それでもやっぱりあきらめはつかない。

彼の様子を見ると辛くて、自宅に帰ってから毎日一人で泣いた。

 

このホスピスには共有の冷蔵庫があって、そこに名前を書いてあるバスケットをもらって患者が食べたいものを入れておくシステムがあった。

彼は「ピルクルとヨーグルトやシャーベットが欲しい」というので、買ってきて冷蔵庫に入れて、彼が食べたいという時に食べさせたり、カルピスのボトルを入れておいて、ホットカルピスが飲みたい、というのを彼がリクエストするたびに作って飲ませたり…

 

リンゴを剥いて持って行ったり「ホスピスに行ったらお前の料理が食べられるよねー」といって楽しみにしていたので、とにかく食べたいというものを毎日運んだけれど、やっぱり徐々に食べられなくなり、水を飲んでもむせるようになってしまった。

それでも子供用のストローを使って飲んだり・・・

でもあの病状にしては、割と最後まで飲めたほうだと思う。

 

このホスピスは建物は古いけれど看護師さん達が温かい対応で、彼のわがままも精いっぱいこたえようとしてくれた。

 

彼は最後までトイレには自力で行きたいというので、個室内の歩いて数歩のトイレに最初は自分で行けていたけれど、だんだんそれも難しくなって、最後のほうは看護師さん3人がかりでトイレに連れて行ってくれて、亡くなる2日前まで対応して下さった。

おまけに週に二回機械浴をさせて下さって、癌研ではお風呂に入れなかったので、すごく喜んでいた。

 

患者とその家族にとっては残りわずかな最後の貴重な時間。

その時間を精一杯支えたいという気持ちが伝わってきて、看護師さん達の優しさに泣けてしまう。

そういう方たちに支えられて、感謝な時間を与えてもらったなぁと思う。