(これは、2月19日に書いた記事です)

夫の病気が分かって…

 

当初近くの総合病院の受診に私も付き添ってついて行っていたけれど、4時間硬い椅子で待っていたために私の椎間板ヘルニアが悪化してしまい、子どもたちから「以後お母さんは付き添わなくていいから。私たちがやるから。お母さんが倒れたら、お父さんが生きる気力をなくしちゃうから、それが今一番困ること。」といってくれて、子どもたちで兄弟ライングループを作って、逐次情報を共有してくれた。

 

そのため、病院とのやり取りは基本的に長女が、総合的な指令は長男から出ているらしく、次男は夫がやり残しているパソコン仕事を引き受けてくれて、私は看病に専念できるのがありがたい。

こんなふうに手助けがない人たちはいったいどうすればいいんだろう。

一人暮らしで病にかかったら、誰が面倒みるんだろう。

 

2月16日、検査の結果、今の段階では体力が落ちてしまい、抗がん剤治療ができる段階ではないとのこと。

(ただし、夫はもう末期で抗がん剤はやっても完治は望めないし、数か月寿命が延びるぐらいしか効果がないのなら、体力を奪われるからいやだと最初からいっていた)

 

流石に夫も自宅に戻った時に「もう手立てはないのか…」と泣いていた。

私も一緒に泣いた。

 

抗がん剤が打てるのは自分の足で歩いて通院できる人が対象ということ。

夫は病院で、同じがん患者でも歩いている人たちを見て、心底うらやましかったといっていた。

ゲノム検査のほうは血液を採ってアメリカに出していて、3月の末にはそのパネル検査の結果が分かるが、自分の癌に合うという薬は1%だとのこと。

 

ただ、癌研の主治医に悪液質のことを話すと「ああ、そのお薬は出しましょう」といってくださり(さすが癌研!)さっと出して下さった。

後で調べると悪液質の薬はイーラーニングをした医者じゃないと処方できないらしい。どうりで近くの(一応総合病院だけど)病院ではその薬が出なかったはずだ。

 

長女は派遣で働いていたけれど「私にとって家族は優先順位の1,2を争うこと。これは仕事よりもはるかに大事だから」といって仕事を辞めて、ほぼ毎日我が家に通ってきてくれる。これも、彼女の旦那さんが「今は後悔がないように、絶対そうしたほうがいい」と背中を押してくれたからだ。

 

同居している次男は、宿泊を伴う仕事の帰路、発熱。

「どんな病気かわからないうちは家に帰ってこないで、そのままホテルに行って」と指示してこちらでホテルをとり、隔離生活。

今の主人には体力が落ちているから、ささいな感染症でさえコワイ。そして、感染させてしまったら、次男も夫も後々ずっと悔いが残るから、この時のホテル代は支払う価値がある。

 

結果、インフルエンザだったそうで、隔離して正解。

5日間ホテルに泊まってもらった。

 

遠くにいる次女は出産予定日が2月半ばだったけれど、兄弟から「お父さんの状況がいつまで大丈夫かわからないから、なるはやで産んで!」といわれて一生懸命エクスサイズして、予定日の20日前に出産。

(緊急事態の為。推奨はしません(笑))

 

産後の面倒を見に行く予定だったけれど、主人の看病が突然入ってきてしまったので私が行けなくなり、旦那さんのお母さんが快くいってくださった。

産後2週間、夫がまだ元気なうちにと孫を見せに我が家まで来てくれて、夫に孫を抱っこしてもらって又ハグ。

この頃はまだ夫も座っていることができ、孫を抱っこすることができた。

ありがたい。

 

長男と長女はほぼ毎日顔を見せてくれて励ましてくれる。

もちろん同居の次男も、隔離されていたホテルから戻ってきて慰めてくれる。

そして、みんな毎日私達をハグしてくれる。

 

子供たちって、こんなふうに成長して頼りになるんだなぁと、涙が出る。