米本・稲荷神社 (よねもと・いなりじんじゃ)

(同名神社と区別するため地域名を付加しています)

社号:稲荷神社

 

 

千葉県八千代市米本2424

 

        

東葉高速線「村上」駅より北へ直線約3.5Km先に鎮座されています。

村上駅(東葉高速鉄道)徒歩48分
八千代中央駅(東葉高速鉄道)徒歩50分
中学校駅(山万ユーカリが丘線)徒歩52分

 

御祭神:倉稲魂命、保食命、大己貴命、太田命、大宮姫命

 

創 建:享保年間(1716-1736)

 

御由諸:

本殿の構造は桁行一間、梁間一間の一間社流造りです。屋根は現在銅板で葺かれていますが、以前は茅葺きだったそうで、全体は総ケヤキ造りです。鳥居は明治22年(1889)に伊勢講参拝記念として建設されています。当時は木造でしたが、戦後コンクリートに建て替えられました。しかし、基礎である根巻はそのままで、石工が鷺沼の広瀬音五郎であることがわかります。また手洗い鉢は慶応4年に作られています。再建寄付連名碑は現存する本殿が再建された時のものと考えられ、再建時に佐倉市や船橋市、印西市など広範囲に寄付を仰いでおり、当時の稲荷神社の信仰の広さをうかがわせます。

稲荷神社の創建の伝承は伝わっていません。明治期に書かれた資料によると享保年間(1716〜36)とされておりますが、確かなことはわかりません。しかし、これらの資料から少なくとも江戸時代中頃迄には創建されていたと推定されます。その後、寛政期(1789〜1800)慶応期(1865〜67)の二度にわたって再建されたようです。慶応期の再建は安政2年(1855)の江戸大地震により倒壊したためと推定されます。しかし、再建が十分ではなかったためか、しばらくすると壊れはじめ明治27年(1894)に再び建て替えられました。本殿の特徴は随所に見られる彫刻の数々でしょう。まず目につくのは庇柱に肉厚に浮き彫りされた昇り竜と下り竜です。このように庇柱に竜が彫られているのは市内では他に見当たりません。近隣では佐倉市の鷲神社本殿・印旛村宗像神社本殿また白井町鳥見神社本殿など何件か確認されています。さらに、向拝と庇をつなぐ海老虹梁のわずかな隙間や両側の壁、背面、階段の脇など所狭しと彫られています。題材は波や亀等の自然を表現しているもの、馬、牛等の家畜。天神像など信仰心を表現するもの、収穫物を箕で振るっている姿やクルリ棒で収穫物を叩いている姿。また子供たちがダルマを転がしたり、獅子舞に追いかけられたりしている姿など多様です。これらの彫刻は日々の労働の厳しさのなかにもおだやかな美しさが伝わる風景です。
平成9年3月31日 設置 八千代市教育委員会

 

旧社格:無格社

 

御祭礼:10月9日

駐車場:-

御朱印:-

 

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      ご 案 内

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神社入口 神明大鳥居

 
 
 
境内参道
 
手水舎
 
社殿前参道
 
社殿前朱色の鳥居
 
社殿正面
 
 
扁額の文字は消えています。
 
昇り竜と下り竜の彫刻
 
 
布袋尊?
 
社殿側面
 
 
 
側面彫刻
 
 
 
境内社
 
 
 
記念碑
 
 
境内巨木
 
帰路
 
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