駒形大神社 (こまがただいじんじゃ)

  

 

千葉県市川市大野町四丁目2757番

 

        

 

 

御祭神:経津主神  

            平将門公を合祀
     

創建:詳細不明 

 平安時代当時の地名から「駒形明神」とした

 寛永年間(1624年-1648年)将門公を合祀し「駒形大明神」と改称

 明治になり「駒形大神社」へ改称
 

旧社格:村社 

 

由来:

境内掲示板より 

下記のように書かれています

 

駒形大神社は経津主神を主神に、大野の地域に伝説として残っている。平将門を合祀した神社です。
この、駒形大神社には、古くから五穀豊穣と村内安全を祈願する御奉謝の行事が伝えられています。かつては一月十九日、当番宿に集まった氏子たちによって、神社に飾る注連縄がつくられ、次に三臼の餅がつかれました。
最初の一臼は供物の下に敷く、経五寸(15cm)ばかりの煎餅をつくり、二臼目は烏帽子型兜・擬宝珠型兜・皿頭型兜の型をした供物をつくります。三臼目の餅は集まった氏子たちが、互いに投げあう餅ぶつけに使います。餅に当たるとその歳の厄を払うといい、またこの餅は、風邪除けに効き目があるともいわれています。これで一日目の行事は終わりです。
二十日は前日用意した供物・注連縄・酒肴等を捧げて神社に参拝、太鼓を打ち鳴らして題目を唱え、終わって御神酒を頂き、当番宿に引きあげます。このあと、宿では二組に分かれて行事役を中央に、両組から一人ずつ出て向い合い、互いににらみ合って行事役の合図をまち酒を呑みあいます。このとき笑った方が負けとなり、さらに大盃につがれた酒を呑むことになります。こうした行事のあるところから、俗に「にらめっこおびしゃ」の異名が付けられています。
これらの行事は安政六年(1859)の記録を、明治十一年(1878)に書き写したものによって踏襲されてきましたが、太平洋戦争後は一月二十日の一日で、総ての行事を済ませるように改められ、毎年、神社の社務所で行われています。この行事は昭和四十年、市の民俗文化財に指定されています。
平成十六年九月

市川市教育委員会

 

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       ご 案 内

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案内板がありました。格式のある証明ですね

 

一之鳥居

 

 

社号碑

 

石段の参道

 

 

石段の先に二之鳥居

 

手水舎

 

境内広場

 

狛犬

 

 

拝殿正面

 

 

拝殿側面

 

本殿

 

神輿庫

 

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摂社:御霊神社

御祭神:鎌倉景政 歌舞伎演目『 暫』の主役としても有名

一説には鎌倉景政ではなく、平将門をお祀りしているとも言われている

(下記掲示板より)

 

拝殿

 

 

手水鉢

 

殿台天満宮 

 

 

 

 

 

 

裏参道

 

 

多くの末社が鎮座されています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   一期一会、ご覧いただきありがとうございます。

 

  

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