さねとうあきらさんの追悼公演にコントラバスで出演しました。

 

共演は岡田和子先生、おかもとけいこさん、片山遊さん、菅谷絵美さん、山本正子さんでした。

 

岡田先生とは初共演!

岡田先生に朗読の演奏をお誘いいただいた、2005年クレパスさん公演から数えて12年でようやく共演させていただくことができました!岡田先生のお誘いがなければ今の僕はないですし、僕が少年期に岡田先生が出演されていた「親子劇場」を観ていなければ音楽もやっていなかったかもしれません。本当に感謝です!

 

 

今回の作品は「神隠しの八月」「戦争に出かけたオシラさま」でした。

毎回、朗読の演奏は苦労するのですが、今回も悩みました、本番の朝まで。。

 

「このお話でさねとうさんが伝えたかったのはなんだったのだろう?」

終始僕の頭にはこの問いが浮かんでいました。

 

戦争に出かけたオシラさま、こんなお話です。

山間の田舎のお家で先祖代々祀られるオシラさまは不思議な力でお家を守ってくれます。そのお家の少年が大きくなった時、赤紙が届きます。おばあさまはオシラさまの力を信じて青年にお守りとしてオシラさまを青年に持たせます。オシラさまと青年が軍艦で戦地に向かう途中、敵の砲火にあい軍艦は炎につつまれ沈んでしまいます。オシラさまは青年の一大事をお家の家族に知らせようと力を振り絞って日本のお家に飛び帰ります。真っ黒こげでもなんとかお家に帰ったオシラさまは、青年の戦死の紙の入った桐の箱をもったおばあさまに知らずと踏みつぶされてしまいました。

 

このお話はなにを伝えようとしているのでしょう?

 

そのヒントはあとがきの文章にありました。

 

「戦争体験がない人の中には、かりに戦争がはじまったとしても、自分だけは無関係なのだ、勝手にやればよい、と考えている人がいるようです。しかし、やりたくなければ、知らんふりしていられる、と他人事のように考えてしまうのは、大きなまちがいです。
 国が総力をあげてたたかう近代戦争において、国民の一致団結がなければ、とうていたたかいぬくことはできません。いったん戦争になったら、戦場の兵士ばかりでなく、女性も老人も、子どもまでもが、それこそ命がけでたたかわなければならないのです。やりたくないなんて考える暇もなく、死にもの狂いでやらされてしまうところに、戦争の恐ろしさがあります。
 私が東北地方を旅しているときに、「神の出征」の話をききました。戦争にでかけたというのです。小さな祠堂(しどう)にまつられた神々が、村人たちの祈りを背負って、戦争にでかけたというのです。まるでお盆の灯籠流しのように、白い御幣(ごへい)が川を下って行ったというのですが、村の平和な暮らしを守り、村人に豊かなみのりをもたらす神々が、いったいどういう思いを抱いて、血と硝煙の匂いに満ちた戦場にでかけて行ったことでしょう。私は、それを考えると背筋が寒くなりました。
 平和なときには、とてもバカげていて、許されないことだ、と冷静に判断できる事がらでも、いったん戦争になると、当り前のことになってしまいます。その恐ろしさをかみしめたときに、はじめて平和の尊さを知り、戦争への怒りと憎しみが自分のものになるのではないでしょうか。

 一九八二年六月」

 

幼少期に広島に疎開し、勲章をたくさんぶらさげた将校を夢み、原爆投下を見たさねとうさんの、体験がこの「戦争に出かけたオシラさま」にはありました。

近代戦においては戦地に赴くのは限られた兵士だけではなく慎ましやかな一市民もであり、その無垢な思い故に神様も戦争に送ってしまう。その結果、文化や信仰も蹂躙されてしまう。

 

その体験を体験談として話すのではなく、創作民話として結実させて語り継いでほしい、それがさねとうさんの思いだったように思います。

 

戦争にとられる青年たち、その帰りを耐えて待つ母やおばあさん、そしてお国のためと必死に働く父や女性たち。戦争によって人生をねじ曲げられてしまう悲しみ。平和という幸せが戦争という嘘で踏みにじられてしまう愚かさ。

 

その思いが伝わるように、語りの皆様にご協力いただき音をつけさせていただきました。

冒頭は村人の平和なお祭りを鈴で奏でて、オシラさまへの無垢な祈りをおりんで鳴らし〜中盤は子供の無事な帰還を信じて赤飯の準備をして待つ母とおばあさまのざる仕事を穏やかな波の音として響かせ〜突然鳴り響く激しい轟音で幸せが失われてしまい〜最も深い静けさの中で悲しい現実を伝え〜そしてお話の最後の音は再びお祭りの音にすることで平和と文化を守り継ぐ僕たちの意思としました。

そして楽しんでいただけるよう、全体のリズムとダイナミクス、世界観にも気をつけました。

 

悲しいことに、現代戦ではテロの攻撃、市井に潜むテロリストへの攻撃、そして塀に囲まれた狭い地域に監禁された人たちへみせしめのため、市民が犠牲になっています。

そして国際化社会では誰もが争いに無関係ではいられません。

 

戦争を経験していない僕たちに今できること、それはやはり「語り継いでいくこと」なのだと思います。

 

 

素晴らしいステージに立たせていただき、共演させていただき、また足をお運びいただき同じ時を共に過ごしていただき、誠にありがとうございました!!

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