この話は、多くの方がご存知かと思います。
花あわれ せめてはあと二旬 ついの開花をゆるし給え
福岡市長に宛てた歌です。
昭和59年3月、道路の拡張工事で伐られることになっていた桜の花を想って詠まれました。
もうすぐ花が咲きます、あと20日伐るのを待ってください。
それに対しての市長の返歌は、
花惜しむ 大和心のうるわしや とわに匂わん花の心は
こうして道路拡張工事は1部変更されて、桜の木は生き延びることが出来たそうです。
今朝のテレビで、或る派出所前の桜が伐られた話をしていました。
子供たちの登校の際、交差点の信号が桜の木のために見え難いとかいうようなことでした。
大切な子供たちが事故にあっては困りますが、少し道を変えて3分・5分
遠回りをするとか、何か伐る以外の方法はなかったのでしょうか?
沢山歩いたほうが子供たちの健康の為にも良いかと思います。
樹には、精霊が宿っているように思うのは私だけではないと思います。
人間の都合でいとも簡単に伐ってしまうその安易さが、なんだか恐い。
そして、この美しい歌をついつい思い出しました。