【地理政治学】なぜ3英傑は

愛知県出身?

 

戦乱の世を収めた

信長、秀吉、家康

3人とも愛知県出身者です。

 

 

静岡県を治める

今川義元が

戦国時代を終わらせようと

京都を目指しますが、

 

桶狭間の合戦で

織田信長に

首を取られてしまいます。

 

静岡県の北

山梨県を支配していた

武田信玄、

 

さらにその北

新潟県を支配していた

上杉謙信は

 

ともに京都に入ることは

できませんでした。

 

 

一方、関西では

三好長慶、筒井順慶、松永久秀など

が小競り合いをして

新たに政権を確立する

までには至りません。

 

 

 

織田信長の支配する

愛知県の西側、知多半島から

海運が発達していて

信長は貿易を通じて財を得ています。

 

この資金をもとに

最新兵器を購入し、

武士を専業化し、軍団を作り上げ

領土を拡大していきます。

 

 

京都からやや離れて

勢力争いに巻き込まれず、

また、他の戦国大名ほどは

京都から遠くなく

という絶妙の位置に生まれたからこそ

 

天下人になったと言えます。

 

 

 

 

地理に基づいた

歴史、政治の見方を

「地理政治学」

と言います。

 

 

地図を見るだけでなく、

現地に行くと

なぜ、桶狭間で

織田信長が今川義元の首を取れたのか、

 

なぜ、信長が、

延暦寺を攻め滅ぼさなければ

ならなかったのか、

 

なぜ、信長が

一向宗の総本山

石山本願寺

を滅ぼそうとしたのか、

 

また、石山合戦が11年にも及ぶ

戦いになったのか

地理を学ぶと理解できます。

 

 

また、秀吉がなぜ、

この地に大阪城を気づいたのか

 

 

この本をおすすめします。

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