2008年8月11日、国家水泳センターで行われた男子100m平泳ぎ決勝で、日本の北島康介選手(25)が、58秒91の世界新をマークして2大会連続の金メダルを獲得した。
金メダル、人類初の58秒台突入。
北京の電光掲示板に「世界記録」の漢字が躍った。
4年間の思いをかなえた瞬間だった。
「完璧だね。理想の泳ぎだと思う」
「最後の5─10メートルが勝負」との平井伯昌コーチの言葉を胸に、前半はリラックスして大きな泳ぎを心がけたという。「後半に余力で前に出る作戦だったが作戦通り」と満足そうに語った。
アテネ以上に価値ある金だ。
05年以降は故障や体調不良で苦しんだ。ひじやひざの痛みで練習ができず、05、06年は日本選手権で敗れた。
「北島は終わった」
周囲の声が耳に入り、平井コーチは「水泳をやめるんじゃないか」と不安にかられた。06年夏、高熱を出して入院した時、見舞った親しい関係者は言った。
「やめるのも一つだぞ」
悩んだ北島は結論を出した。
「ぼくは五輪を感じて大きくなった。人生そのものなんだ」
大好きな五輪での連続2冠を目標に復活。アテネで流した涙は4年後、北京でもうれし涙となった。
長く、苦しい4年間だっただろう。
アテネで五輪2冠の夢を実現させてプロ活動を本格化させたが、以前のような競技への意欲がわいてこなかった。
ひじやひざの故障も続いた。
アテネ以降、宿敵ハンセンに直接対決で4連敗。
200メートルでは日本選手権でも05年3位、06年4位と惨敗した。
やはり一度頂点を極めた者は次の目標、夢がみえてこないのだろう。
ずっと夢を達成するためだけに費やしてきたであろう日々。
これはどの世界のどんなチャンピオンにも同じ事が言えると思う。
一般人の我々にも言える事だが、やはりモチベーションを保つという事は難しい。
だが、06年8月、パンパシフィック選手権で転機が訪れた。
200メートル決勝。隣で泳いだ宿敵ハンセンが世界記録を樹立した。
2秒以上の大差をつけられての屈辱的な惨敗に、北島の目が覚めた。
「隣で出されて悔しくないわけがない。記録に挑戦したいと思うようになった」
ずっと勝てなかったライバルを追い続けた中学時代の自分を思い出した。
「負けを知ったとき、初めて勝つことが出きる」と文集に書いた原点に戻った。
昨春の世界選手権200メートルで金メダルを獲得して長い苦境を脱した。
同夏にはプールの中で左脚の肉離れをするほど練習に打ち込んだ。ひざのバネを利かせたキックで勝ってきたが、今季は上半身のストロークの強化に努め「4輪駆動」の泳ぎに進化させた。
やはりライバルがいるという事は素晴らしい事だと思う。
今回、メダルには届かなかったが、
ハンセンという男がいなければ、北京での北島の姿はなかったかもしれないとさえ思う。
ハンセンはテレビを通じてこう語っている。
「北島とワタシの2人だけが、この競技において特別な領域にいる」
決勝後もハンセンは北島の優勝について
「驚いていないよ。彼は本当に速かった」とコメント。
北島にも「すばらしい泳ぎだった」と伝えたという。
「あんなレースができる男には脱帽するしかない。強烈なプレッシャーがかかったレースなのに本当にすごい泳ぎだった」
「北島は真のチャンピオンだ」
と褒め称えた。
競技終了後のプールで北島に駆け寄った姿も印象に残った。
勝利後のインタビューで、
「ありがとうございます…。はい、うれしいです。すいません、なんも言えねぇ…」
「アテネのとき以上に気持ちいいです。チョー気持ちいいです!!」
と、あの強気で有言実行できる、超かっこいい男がみせた涙。
我々には想像もつかないほど苦しんだ時期があったんだろうなと思った。
有言実行
これができる人間を本当にかっこいいと思う。
北島や魔裟斗を見て、自分の考え方が変わったのは確かだ。
それまでは無言実行がかっこいいと思っていた。
本当にかっこいいのは有言実行できる人間だと教えてくれたのは、間違いなくこの2人だ。
コミットのない目標に達成はない
という事を教えてくれた。
北島康介
かっこいいよ!!!
マジでかっこいいよ!!!!!
200も金、そして世界記録更新、
めちゃめちゃ期待してるぜ!!!!!
◆北島 康介(きたじま・こうすけ)1982年9月22日、東京・荒川区生まれ。25歳。本郷高から日体大卒。水泳は5歳から始め、東京SCに拠点を置き00年シドニー五輪100メートル4位。02年アジア大会200メートル(当時の世界新)で優勝。03年世界水泳100メートル、200メートルで世界新(当時)で2冠。04年アテネ五輪100メートル、200メートル金メダル。06年パンパシフィック選手権100メートル銅、200メートル銀。07年世界水泳200メートル金。178センチ、73キロ。血液型B。家族は両親と弟。

