ハニハニが前のブログで言うてた、大人の定義。
今見ても「なるほど」となる。
ブログだと昔の記事みて、色々、思い出せる。
インスタ、Twitterではなんか言えない、書けない。
ハニハニが言うてたけど、どちらに行くか悩んだときのわたしの判断基準は、カッコいいか?カッコ悪いか?
その基準にはまらない判断は実利を取る。
大事にしてる指標の1つ。
カッコ良い年の重ね方をしたい
カッコ良い男になりたい。
ってなんで思ってるんかな?
きっかけをふと思い出した。
昔の上司(当時、わたしは20代)とメシを食ってるときに、こんな質問を上司にしたんだよね。
「どんな男を目指して生きているんですか?」
今、考えるとだいぶ年上だったし役職もめちゃ上の人だったけど、失礼な質問に気持ちよく答えてくれて。
「俺か?うーん、そやなー、俺が死んだ時に葬式でみんながよか男やったなーって言って貰える生き方やなー」
※九州男児の上司
カッコ良いは女ウケを狙ったものではな、かつ粋がったものではなく。
人間味があり、男っぽく理屈だけで生きるんじゃなくて少し不器用で。
深く追求し続けて死ぬ前に自分で自覚出来るか出来ないかのギリギリで曖昧なもの。
それがカッコ良いの定義。
と、思う。
もー
こーゆうことシレッと言えるレベルで修羅場乗り越えて、男として深みが欲しい。
こんなん、今の俺が言うても鼻で笑われるし、もし言うとしてもニヤニヤして言うてまう。
ではでは。