12/20、建勲神社に参拝しました

のでその模様をお伝えします。


これが年内最後の御朱印めぐり

となりました。




建勲神社(たけいさおじんじゃ)


通称(けんくんじんじゃ)と呼ばれる。

所在地:京都市北区紫野北舟岡町49

御祭神:織田信長公


戦乱の世を平定し、新秩序を作って

西洋列強と肩を並べるまでの国造りの

先駆けとなった信長の功績が、

明治天皇により認められた。


これにより、建勲の神号を明治天皇

から賜り、この地に永遠に祀られる

こととなった。


建勲神社には昨年訪問して、御朱印を

頂いていますので、今回行ったのには

理由がありました。


それは、いきつけの床屋さんから

建勲神社の御朱印帳を買ってきて

欲しいと頼まれたからです。


散髪の時に色々とおしゃべりをする

のですが、その時に御朱印の話に

なりました。


そこの主人は御朱印めぐりはしていない

ものの、歴史物が大好きなのです。


建勲神社の天下布武の御朱印帳を

何かで知って、是非欲しいと思っていた

ようです。


私も大徳寺近辺にはよく行くので、

次に行く時買ってくるよと、軽い気持ちで

引き受けたのでした。


紅葉中心に回っていたらあっという間に

暮れも押し迫り、大徳寺に行く予定も

当面はありません。


これはわざわざでも行くしかないかな

ということになり、今回行ってきました。


ブログネタにもなるし、まあいいか、

という感じで・・


新大阪⇒京都⇒北大路 そこから徒歩で走る人

大徳寺の前を通って建勲神社前を左折



しばらく歩くと鳥居が見えてきます。



鳥居をくぐって中に入るとまた鳥居が・・・

こちら側から上がると上に末社があります。

末社の義照稲荷神社


最初の鳥居の左手には

灯篭とその先には神社に続く石段

石段前の狛犬さん

石段を上がっていくと途中に

境内案内図があり

その後ろには比叡山が臨める景色が

広がっています。

さらに上がると信長公が好んだ敦盛

の一説が石碑になっています。 


これを歌い、舞を舞った後、いつも戦に

出かけていたと言われています。


〽 人生50年・・だと思ってました!

その先が拝殿に続く境内となっています。


手水舎

手水鉢には織田の家紋

由緒書き

石段の先に拝殿

狛犬の台座にも織田の家紋

拝殿の向こうには本殿が見えます。

拝殿の上部には織田に功績のあった

武将の額が掛けられています。

本殿

寒い日だったので屋根には霜が・・

こちらで信長公にご挨拶 拝む

拝殿から見た境内、左手が社務所

社務所

こちらで御朱印を頂きます。

授与品の数々・・(許可を得て撮影)

御朱印帳、絵馬、書置き御朱印

お守り各種、刀剣めぐり御朱印帳

詳細⇒建勲神社授与品

頼まれた御朱印帳


聞かなかったけど勝手に黒を選択

後でピンクが良かったーて言われたら

どうしよ。あせる

頂いた御朱印

私の撮った画像には一切入って

いませんが、この日朝9:00丁度

に着きましたが、既に女性二人組

の先客あり。


その後ひっきりなしに女性グループ

が押し寄せ、途絶えることは

ありませんでした。


明らかに遠くからの観光客で、

キャリーバッグを抱えて石段登って

くる人も多数いました。


みなさん御朱印帳を数冊ずつと、

(たぶん頼まれてる)

お守りなども必ず一緒に買って行く。


この日の御朱印は強制的に書置きで、

その場で貼り付けられていました。


御朱印帳1冊だけで、しかも御朱印

書いてくれ、などと頼んでるのは

私だけでした。


ちょっとうるさい奴来ちゃったよこれ・・

と思われていたかも。


なんだかんだで手書きの御朱印入り

御朱印帳を無事入手できましたので、

任務完了となりました。警官


えっ、自分の分ですか?

私は残念ながら興味ないです。


以上建勲神社の御朱印と御朱印帳

のお話でした。


これで年内の御朱印めぐりは最後、

次回は初詣かな・・


※ 追記

12/30、御朱印帳は無事

床屋さんの手元にわたりました。


色も「ホントはピンクが良かった~」

とお約束のボケもかまされましたが、

黒でOKの模様です。


本日の散髪代はサービスにして

もらっちゃいました・・


申し訳ないですね!「髪技」さん

なんならピンクも買ってこようか?


以上