ふーちゃんが産まれた
次の日のお話です。
産まれる前から
病気は分かっていたけど。
病気の内容を
理解することは難しかった。
そもそも、
心臓の仕組みや
血管がどうのこうのとか、
今まで学校のテスト範囲内でしか
知らなかったから。
そして、
ふーちゃんの病気を
受け入れられず
理解があやふやな状態で
緊急出産することになりました。
でも
産まれた後は
病気を受け入れるとか
そんな話じゃなくて
医療の力がないと
生きていけないことを
実感するばかりでした。
そして、
離れ離れの母と子になった
私とふーちゃん。
その時の私は
自分の精神をどうにか保つことに
必死でした。
*****
2020.2.13
出産当日
ふーちゃんが産まれた。
そして、
次の日から
会えなくなることが判明した![]()
出産前の話では、
産後数日間は、出産した大学病院のNICUに
ふーちゃんも居て、
私も一緒の建物で
産後を過ごすと思っていた。
でも
違った。
いや、正しくは
先生の思いと
ふーちゃんの状態が一致してなかったんだろう。
緊急帝王切開後 ![]()
出産を終えて
悪露を吸い取る?ような音を聞いた。
実際には見えてないので
分からないけど。
普通分娩で、お腹を押されて
胎盤を出してもらうよりも
掃除機?で、吸い取る?のは
麻酔も効いていて、痛くないし
スムーズだった。
帝王切開の手術中に
些細なことでも知りたかった私。
それまでは、目をギンギンに開いて
周りの様子を探ってたけど
悪露を綺麗にしてもらった辺りで
ふと、眠ってしまった。
![]()
いつの間にか
部屋に戻っていた。
背中に麻酔が入ったまま
脚に、血栓防止ポンプをつけた。
その時
旦那さんは、
ふーちゃんの産まれてから
状態の説明を受けていたようだ。
なんと、
この日産まれたばかりの私の赤ちゃんは
次の日の午前中に
転院することが決まった。
後から
旦那さんに聞いた話だと
NICUで赤ちゃんと面会してた旦那さんは
医師たちの
このままだと、命が持たない。
というような会話を聞いたらしい。
産後間もない私には酷だと思い
このときは、その話を私にしなかった。
そして、
ベッドに寝たきりの私は
意識朦朧の状態で
旦那さんから
次の日転院の話を聞いた。
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NICUの看護師長さんが
この日の夜
ベッドサイドに来てくださった。
私が赤ちゃんのことを心配していると思い
気遣って下さったのだと思う。
師長さんと話したこと↓
生後1日目で転院すること。
ヘリコプターも案に出たけど
救急車での転院が決まったこと。
私が、まだ起きられないだろうから
ベッドごと移動して、廊下で赤ちゃんと会うこと。
15時に出産して、朝の9時前には病棟を出るから
帝王切開後24時間経っていないので動けない。
そんな話をしながら
私の心も和ませてくれた![]()
次の日の朝![]()
看護師さんにされるがまま
ベッドが移動モードに設定され
そのまま廊下へ。
転院する
我が子を見送った。
小さな保育器の中に居て
側の看護師さんは点滴をガラガラ、
酸素も付いてる。
ベッドを押してくださっていた
看護師さんは、
私が少しでも
赤ちゃんのことを見える配置に行こうと
してくれてる。
私は
我が子を見ても
なかなか
声が出なかった。
産まれたての小さな我が子が
転院する![]()
手術を頑張ってきてね、とか
そんな考えにはならない。
きっと
離れることを受け入れられなかったのだ
と思う。
まさに、
思考回路停止状態![]()
一年以上経った今も
この時の感情を
表現できない。

転院のときの写真です![]()
急な出産で
まだ名前も決まってなかった![]()
命名は、
旦那さんのおばぁちゃんにお願いしてました。
おばちゃんの家に行ったとき、
たーーっくさんの
名前候補を出してくれてるの見た。
テレビを見ながら
いいなって思った名前を書き出してくれたらしい![]()
ひ孫:ふーちゃんの命名を
頼んで、張り切ってくれてました^ ^
とっても優しい
家族皆の大好きなおばぁちゃん![]()
![]()
いつも
私たちのことを
想ってくれて、ありがとう![]()
