2011年3月11日。東日本大震災がおきました。
いま、感じていることを忘れないように、ブログに残しておこうと思います。
私は、関東在住で、さほど地震の影響を受けていない地域です。
計画停電の対象ですが、ありがたいことに回避や時間の関係でまだ一度も出くわしていないです。
地震当日は、会社にいました。
大きく揺れて、でもいつも通りすぐおさまるだろう、と、のんきにしていました。
ある程度揺れがとまったところで、避難してくださいの指示。
初めて、社名が入ったヘルメットをかぶって、一階に避難しました。
すこし、自分の姿が滑稽で薄ら笑いすらしてました。
東北で、あんな大きな被害になっているなんて、想像もしていなかったのです。
避難の指示が解除され、フロアにもどると、東北地方で大地震が起きた やら 首都圏も交通がとまった やら 初めて事の重大さを知りました。
案の定、帰る手段もなく、私は会社に泊まる事に。
ustと、ツイッターで、続々と入ってくる情報。
真っ赤にそまった気仙沼。
どんどん増えて行く死者、行方不明者数。
・・・言葉になりませんでした。
ただただ、PC画面を見つめていました。
そして余震。
デスクに突っ伏して寝ようとしても、余震で目が覚めてしまう。
心細くなったので、音楽を聴く事にしました。
ustの、FAT PROP録画ライブ。
あの日、めちゃくちゃ元気をもらったライブに、またこうして心を助けてもらえるなんて。
明け方、ようやくモノレールと京王線が安定してきたので、帰宅することができました。
あれから、10日間。
まだ、たまに余震があります。
スーパーから、たまごと牛乳と電池とティッシュとカップ麺が見当たらなくなりました。
朝、ほんの少し早起きして1駅分多く歩くようになりました。
計画停電と時計に敏感になりました。
「無理はしないで、地震があったら、安全を優先してくださいね。」お客様の温かい言葉に、泣きそうになりました。
なにか、自分にできる事を、と思い、26日にいくはずだった郡山へのライブ遠征費を、すべて募金することにしました。
新宿南口で、被災地が故郷だという人たちの募金活動があると知り、何か一声でもかけられたらと、彼らのもとへ向かいました。
募金して、彼らの表情を見て、何も言えませんでした。
赤くなった目、枯れた声。
口を開いたら、私が泣いてしまう。
かろうじて、お辞儀だけしてその場を去りました。
目の前の人一人、元気づけることもできない。
自分の無力さ、勇気のなさ、情けなくなりました。
会社も体制を整えるためにいろいろ動いていて、私もかなり右往左往していました。
仕事でも、焦るばかりで自分の要領の悪さに、自己嫌悪におちいりました。
でも、いま、私の仕事は、お客様の発信する情報を早く正確に世に出す事。
みんながそれぞれの場所で自分にできることをがんばっている。
命をかけている人もいる。
こんなときだからこそ、「正しい情報」を伝えていかなくちゃいけない。
私は、私の仕事をがんばろうと思ったのです。
まだまだ不安な日々は続きます。
だからこそ、こんな事を自分に言い聞かせています。
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大丈夫。また、みんなで笑顔になれる日がくる。
今は、目の前のでき事を受け入れる包容力と、それに対して自分がどう動くかの応用力を養おう。
この痛みを知った私たちは、きっともっと強く、優しくなれる。
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被災地が一日も早く復興しますように。
離ればなれになってしまった人たちが、また会えますように。
多くの命が救われますように。
これからが正念場です。
この気持ちを忘れないように、日々を大切に過ごしていきます。
さて、、、次のブログは、も少し明るくできたらと思います。
松山千春さんの言葉、すごく染みたのでこちらも覚え書き。
『知恵がある奴は知恵を出そう、
力がある奴は力を出そう、
金がある奴は金を出そう、
"自分は何も出来ないよ"って奴は元気出せ』
みんなそれぞれ役割があって、顔も名前も知らない人たちが助け合って生きているわけで。
私がしょぼくれてても、どーしよーもないなって思ったのです。
元気出して、前を向いて、できる事からコツコツと。
それが大きな力になると信じています。