支援とはどうあるべきか。そもそも支援とは何か。 | ○と○

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☆被災地ボランティア(避難所調査員)
☆フェアトレードを主とした貧困問題
☆ネットショップ開業
☆フィリピン(セブ島)について

mixiで書いた私の記事を転載します!!!

支援とは、そもそも一方的なものです。

フェアトレードが広く普及し始めている理由の一つとしても、現在の国際支援の効果に限界があるからです。

元々なんらかの困難を乗り越えるのに大切なのは、みんなで手を取り合っていくことです。

Kapwaは、そういう人のつながりとかを大切にしていきます。


▼時事通信のニュースから▼

仮設入居後に生活困難の声=子供抱えた家庭や高齢者ら-「支援は避難所限定」で
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011070100604

東日本大震災の被災地で、避難所から仮設住宅へ移る人が増える中、仮設住宅入居後に生活困難を訴える人が出ている。主に子供を抱えた家庭や高齢者などで、被災者の自立を促すことを目的に、物資配給や風呂・医務室の使用などを避難所生活者に限定する自治体が多いためだ。
 宮城県気仙沼市のボランティア団体「ピース・ジャム」は、粉ミルクなどを購入し、買い物に行く交通手段がない乳幼児を抱える家族などに配布してきた。代表の佐藤賢さん(34)は、仮設住宅などに物資を届けるうち「当初は子供を守ることだけだったが、最近では、生活の難しさを訴える親が多いことに気付いた」と話す。
 同団体から乳幼児用品や生活用品を受け取っている井口美穂さん(33)は、震災直前に次男を出産、3人の子供を抱えて気仙沼市の仮設住宅で暮らす。会社員の夫の収入は減り、車も流され、買い物にも苦労する毎日だ。「徒歩やバスでやっとの思いで行った店に食料品も日用品もなかったりする。我慢するしかない」と窮状を訴えた。
 佐藤さんによると、年金しか収入がない高齢者や、交通手段がなかったり足腰が弱ったりしている高齢者も状況は同様だ。このため同団体は、こうした高齢者世帯にも米などの食料や生活物資を届ける活動を開始した。
 佐藤さんは「仮設住宅に入居し、ある程度元の生活を回復できた人もいれば、立ち直るきっかけをつかめない人もいる。自治体は『自立』の名の下に一律に被災者に線を引いていいのか」と指摘する。同団体は仮設住宅住民の生活実態や不足物資について調査、より幅広い支援の在り方を模索している。(2011/07/01-16:22)




●支援とはどうあるべきか。そもそも支援とは何か●


人が自立するというのは、家があればいいっていうものじゃない。

人の生活にはモノは当然だけど、仕事も、学校も、共に過ごす仲間も必要。

ハコだけ作って、あなたへの対応は終りました。では、無責任すぎる。




フィリピンのセブ島の沿岸部で日本のODA開発による道路建設の為に、立ち退きを強制されたスラム街の人たちがいます。


その後の対応はフィリピン政府にまかせて自分たちは道路建設だけしました。

しかし、その後フィリピン政府はほとんどの約束していた支援を怠り、一部には移転先を保証。

しかし、その移転先とは、自分たちが漁をして暮らしていた地域とはまったく別の内陸部の農村地区。

とつぜん多くが住み着いても、元から職の少ない国でそれだけをまかなう仕事はなく、ましてや小さい頃から魚を取って暮らしていたのに、農業もできない。

そして自分たちの元いたところに戻りたくても、もう戻れない。

結局、彼らの居場所はなくなった・・・。

こんなことがあります。 これは私が2年間活動を続けている場所での事実。



他にも

学校だけ建てて、学校で働く先生の事を考えず経営が1年で終わったり。

病院だけ建てて、機械をいれても、現地で調達できる人材、薬剤、部品がなかったり。

井戸だけつくって、部品が調達できずに数年で使えなくなったり。

ダムをつくって、数ヵ月後に洪水が起きてほとんど使えなくなったり。

紛争後に武器解放運動を数年だけやって、平和活動をしたと宣言し終えたら撤退。その後、職がなく行き場を失った元兵士がゆすられてテロが起きたり。戦争を再発させたり。

等々、こんな支援の失敗はよくあります。


いったいなぜこういうことが起きるのか。


それは、すべてが『与える側』の判断でおこなわれており、その優位性を持つ性質故に、『受ける側』の意見がほとんど反映されなくなるから。

『受ける側』も、自分は支援してもらっているという感情から、自分の意見をだしにくくなってくる。



本当に良い社会を作るため、社会を復興させる為には、決して、与える側から、受ける側への一方向になってはいけない。

支援という言葉がその性質をもっているから支援するという言葉自体がよくないのかもしれない。

支援する側からの一方的な支援をしても、結局はすぐに効果が切れて後もどりで時間を無駄にするだけ。ひどいと状況を悪化させる。

こんなことは支援の現場ではよく起きる事。



『共に困難を乗り切る。』『共に闘う。』こういう姿勢と、行動がなければいけない。

人は、輪をもって良しとするものであり

ある人からある人への一方的な方向性では良い影響は与えない。




「和を以て尊しと為す」(聖徳太子)

一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。

それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。

しかし上の者も下の者も協調・親睦の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就するものだ。


つまり

与える側、受ける側、そのような枠組みをつくるのではなく、相手の気持ちを受け止め尊重し理解し、そして自らも不平不満があれば、正直に表現してぶつけ合うこと。その中でお互い歩み寄り理解していくことが「和」

与える側には決して全てを把握した天才的な人が常にいるわけではないです。だから与える側の判断のみで動いていては、良い結果はもたらしません。





隠れてしまいがちな、被災者のニーズをどこまで集める事ができるのか、災害弱者、ソーシャルマイノリティーを見過ごさず、情報を集め、支援に反映させる事。

それが今後もっと求められる事だと思います。



和をもって、この危機にあたらないといけない。

これは、今の政治、電力会社、国民、全てが省みるべき事だと思います。