上野精養軒 | カレー女王エム・トゥ・エムのブログ

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みなさま、こんにちはカレー女王MtoM伊藤でございます

昨日はメーカー仲間さんと打ち合わせランチで上野精養軒に参りました

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わたくしの曽祖父、祖父ともに上野精養軒で修業し西洋料理を学びました。

父母の結婚式も上野精養軒だったそうでございます。

1876年。。曽祖父は独立し浅草区(現在の台東区)北仲町区役所横町にて「フランス料理太平洋」をオープンしました。

1928年。。日本橋室町一丁目にて祖父の「日本橋レストラン太平洋」がオープン。

当時としては珍しい、牛革の表には「太平洋」と金文字で書かれたスリッパに履き替え二階に上がると部屋は腰高の羽目板にチョコレート、真っ白の天井には大きなシャンデリアが輝き純白のテーブルクロスには銀の一輪挿し、調理場には精養軒出身のコックが二人とボーイが三人、当時すでに水洗トイレというおしゃれなお店だったそうです。

かの海軍元帥東郷平八郎邸に呼ばれると祖父は材料と道具を持ちカレーを作りに行ったそうです。

1933年、お店の味をご家庭で作れるようにと祖父が開発したのが「ホワイトソース」でしたが、当時ヒットしなかったそうです。昭和初期にグラタンなど西洋料理はまだそんなに知られていませんものね。。

お店は東京大空襲で焼けてしまい別荘だった鎌倉に移ったそうです。わたくしは鎌倉で生まれ育ちましたので祖母によく聞かされたお話です。わたくしが4歳の時に祖父は他界しましたが、自分の夢をこの子が叶えるとわたくしを随分可愛がってくれました。

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曽祖父、祖父はここで学んだんだと涙があふれそうになりながらお料理をかみしめました。

21世紀の今、おじいちゃんの作ったホワイトソースはレシピも製法もそのままにお客様に喜んで頂けてるよと知っているのでしょうか?きっと天国で見ているかな。

わたくしが17歳の時に46歳という若さで他界した母もバリバリの営業ウーマンでした。同じ道を母娘で歩む。。

今、わたくしは娘を部下に一緒に仕事が出来る幸せ。。

ありがたいことでございます。

宿命。。。わたくしは祖父母の為に生を受けたのだとしみじみ思います。

1900年2月6日、祖父が生まれ、1970年2月7日、わたくしが生まれました。大好きだったおじいちゃん。。

何の取り柄もないわたくしが何とかかんとか仕事をして来られましたのは、本当に出会う周りの皆様に恵まれているからなのですが、きっとおじいちゃんは見えないところでわたくしの手を取り一緒に歩んでくれているのではないか。。そんな風に思えてなりません。日々の無事のお礼にお墓参りに行こうかしら。。。

 

 

ぶっ飛びウィークだった今週も今日で終了です。本日も悔いのないようぶっ飛んで参ります。。

 

・・・ご先祖様に感謝・・・



引用元:上野精養軒