辛いことがあっても、あんまり言わないようにしている。
というのは、言った相手が実はもっと辛いことを経験してるかもしれないから。
うーん、「言わないようにしている」というよりは、「言えない」のかもしれない。
辛いことの基準は人によって違うし、他人から見ればたいしたことないように思えても、本人にとってはすごく辛いかもしれない。
感じ方も違えば、その物事に対する思い入れ、関係性も違うわけだから、一概には推し量れないよね。
そういうことがあるから、あんまり自分がこんなつらい目にあいました、ということは軽々しく言えないかな…
とても親しくなった人には、言えるんだけれど…
言えないのは、相手に気を許せないからなのかも…
逆に、そんなに親しくない人に、それは辛いだろうなあということを簡単に打ち明けられると、ちょっと警戒してしまう。
そんなこと言われてもなあ、とか、私がそれ以上に辛い(と思われる)ことを経験してたらどうするんだよ、とか思ってしまう。
例えば、近しい誰かが死んだとか、そういった類のこと。
私だって、この年になれば近しい人の死くらい経験している。
けど、それが祖父母だったり、叔父だったりするのと、兄弟だったりするのでは、比重が変わってくる感じがするのが言いづらい原因でもあるのかも。
ある程度、年齢がいっている人の死であれば、さもありなん的にとらえられてしまうけれど、若い(と思われる)人の死であれば、辛かったろうね、ととらえられる…
でも、その裏には本人の事情が大きく関係していて、たとえ若くして死んでしまった近親者であっても、子供のころからほとんど会っていないような人ならダメージは少ないし、反面、関係性には距離があっても(例えば他人であっても)、毎日会って話して、お世話になった人が死んだなら、それはとても大きなダメージになると思う。
そこの想像力がね…なかなか沸きづらい人が少なくない気がするんだな。
だから、辛いとは言いづらい。
例えば大好きな祖母が死んだことだって、そりゃ年齢を考えればね…って思われてしまえば、私のダメージは軽く見積もられてしまうし、近所のおじいさんが死んだことだって、他人じゃん、って思われてしまえば、同じことになる。
だから、それらをひっくるめて、わかってくれそうな人にしか、打ち明けられない。
辛さを分かち合うって、なかなか難しいことだなと、思った次第。