神との対話【解説】P141~142 神への道⑧「神に行きつく」 | 心理カウンセラーによる 【神との対話】解説

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20年以上前に出会ったニール・ドナルド・ウォルシュ著 「神との対話」を、わかりやすく解説します

まずは前回の復習です。

 

前回は、良いとは思えない現実やネガティブな感情への向き合い方について、お話がありました。

 

ネガティブな感情(エネルギー)に抵抗せず、受け入れたり理解したりすることで、
ネガティブな感情は力を失くしていくとのことでした。

 

そして、今、目の前にある現実を受け入れて、それ(現実や感情)をとっておくか、捨てるか、好きなほうを選ぶようにと言われました。

 

その選択の基準は、今、自身がのぞむ「自分は何者なのか」とのことでした。
「自分は何者なのか」「何者になりたいのか」というのは、言い換えれば「自分の情熱を向ける先」ということにもなります。
私は、”何者”であり、”好ましい”のはどちらで、”何をしたい”のでしょうか。

 

今日もニールさんの質問から始まります。

 

それでは欲望や自我を拒否するという生き方は、間違った道なんですね?

 

神との対話1 P141

 

神様はまず、欲望や自我を拒否した生き方について、「それは真実の道ではない」と答えられました。
つまり、欲望や自我を自分のものとして受け入れることは、神の国(天国)へと向かう真実の道ということです。
次に神様は、二ールさんの質問の中にある「拒否」という言葉を取り上げました。

 

拒否しても、実際には何も捨てられない。
説明してきたとおり、(欲望や自我に)抵抗すればますます強くなるからだ。

真の悟りとは捨てることではなく、違う選択をすることだ。
何かから離れる行為ではなく、何かに向かう行為である。

 

神との対話1 P141

 

以前にも、自分に生まれた情熱(欲望)が自分らしくなく、成りたい自分にもそぐわないと感じたなら、その情熱の対象を変えるようにと、神様は言われていました。

 

こちらでも同様に、「違う選択をするように」と言われ、また「離れるのではなく向かいなさい」と言われました。

 

何かへの情熱を捨てるのではなく、別の情熱の対象を選び、そちらに向けて行動を楽しんでいくという、能動的な情熱の使い方をするようにとのことです。

 

いったん生まれたエネルギーは、消すことができませんが、変化させることはできます。
「不安」というエネルギーは、「信頼」というポジティブでパワフルなエネルギーに変えられる可能性があるのです。

 

ただし、間違った道というものはない。
この旅は、目的地に「行き着かない」旅ではありえないから。
違うのは、いつそこに着くかというだけである。
しかも、これさえもほんとうは幻想だ。
「いつ」ということはないし、「その前」も「その後」もない。
つねに現在があるだけだ。
あなたが自分を経験し続ける永遠の時があるだけだ。

 

神との対話1 P141

 

ここでニールさんは、どうせ目的地(天国)に行き着くのなら…「行き着かない」ことがないのだとしたら、人々の人生には何の意味があるのか?という疑問をもちました。
また、ニールさんをずっと長く悩ませ続けていること
──どうして私たちは、何をするにも心配しなければならないのか?──という疑問を神様に聞きました。

 

もちろん、心配などする必要はない。
ただじっと見つめていればいい。
自分は何者であるか、何をしているか、何をもっているか、それが自分のためになるかに気づけばいい。

人生の意味とは、どこかに行き着くことではない
──自分がすでに、そこにいること、これまでもずっとそこにいたし、いつもいると気づくことである。
あなたがたはいまもこれからもつねに、純粋な創造の過程にある。
人生の意味とは創造である。
自分を創造し、それを経験することである。

 

神との対話1 P141~142

 

私たちは今、何も心配する必要はないようです。
今、ただそこに「ある」ものを見ていれば、
それがどのような状況だとしても、感情だとしても、以下の「気付き」につながります。
①自分は何者なのか
②自分らしいことをしているか
③自分らしさを表すもの(才能や物)として何をもっているか
④していることやもっているものは、自分のためになるか

 

また、必ず「天国に行き着く」はずの私たちの”人生の意味”は、「天国へ行きつくことではない」と言われました。
私たちはすでに天国にいますし、これまでもずっと天国にいましたし、いつもいるのだと、気づくよう促されました。
神の国(天国)は、私たち自身のハイアーセルフのいる世界です。
私たちのハイアーセルフはすでに、天国にいます。
私たち自身が、自らのハイアーセルフの高い波動に近づくことができたとき、私たちは自分が天国にいることをはっきりと自覚できるのでしょう。
そのことに気づくことが人生の意味だと、神様は言われています。

 

また、もう一つの人生の意味とは、神の国(天国)に行き着くことではなく、「創造である」と言われています。
それは、この対話の中で何度も言われてきました。
私たちは経験し、創造するために生まれてきたのだと、その理由を含めて神様からお話されてきました。

 

神から離れ、ひとりぼっちで歩いている気持ちでいる孤独な人生かも知れません。
でもそれが幻想だと気づいたとき──いつも神は一緒に居て、自分は守られつつ天国を歩いてきたのだと自覚できたとき──すべては変化して…ものの見方はもちろん過去さえも変化して、創造主である自分をはっきりと知ることになるのでしょう。
今の自分が変われば、未来も過去も変わります。
明日を憂いて心配するよりも、自分が何を創造したいのか、創造するのかに意識を向けるのが良いです。

 

ここで第五章が終わりました。
第五章で神様が言われた「悟りとは…」を、まとめます。

P133 12行目
「悟りとは、行くべきところもすべきこともないし、いまの自分以外の何者にもなる必要がないと理解することである。」
P135 8行目
「悟りとは、経験していないことを知ること、それによって経験するということだ。」
P137 10行目
「悟りとは情熱を否定することではない。結果への執着を否定することだ。情熱は行為への愛である。」
P137 15行目
「悟りとは行為を否定しようと決意することではなく、行為の結果には意味がないと理解することである。」
P139 1行目
「悟りとは、東洋の神秘主義者がサマディ(三昧)という体験を通じて、この違い(神と人間との違い)を克服しようとすることである。つまり、心を開いて神と一体になること、神性と融合し、神性のなかに溶けこむことだ。」
P139 3行目
「したがって悟りとは結果を放棄することである。」
P141 3行目
「真の悟りとは捨てることではなく、違う選択をすることだ。何かから離れる行為ではなく、何かに向かう行為である。」

 

次の第6章は「苦しみについて」のお話に入ります。
ニールさんは当時、心配・不安の中でとても苦しんでいらっしゃいました。