70.神との対話【解説】P138~139 神への道⑥「結果を放棄する」 | 心理カウンセラーによる 【神との対話】解説

心理カウンセラーによる 【神との対話】解説

20年以上前に出会ったニール・ドナルド・ウォルシュ著 「神との対話」を、わかりやすく解説します

最初に前回の復習です。

 

前回は、幻想(この世に起きる状況や境遇)の中で生きる私たちに、自然と湧き出てくる情熱(欲望)を愛することを、神様から言われました。

 

自分がもつ現世的な情熱が、自分という存在を肯定していけるものなら、それは愛すべき情熱です。
でも、本当の自分を否定してしまうような自分に相応しくない情熱(欲望)なら、その情熱の対象を、別のものに変えると良いと言われました。

 

幻想(とりまく状況や境遇)から生まれた自分の情熱に従えば、私たちは創造…楽しむべき「経験」…を得ることができます。
神が人(個人)や宇宙を生み出したのは、元々、たった一つの存在でしかなかった神が「経験したい」と望み、その願いを叶えるためでした。(神との対話より)
だからすべての「経験」は、神にとっても人間にとっても大変重要です。

 

その大切な経験の基盤になるものが行為であり、行為を引き起こすのが情熱(欲望)なので、神やマスターたちが情熱を愛するのは当然のことです。
”情熱はほんとうのわたしたちを表現したいという思いを駆り立てる火である”と、神様は言われました。

 

また、結果に執着しないことも、大切なことです。

 

神様は「結果への執着」のことを「行為を否定しようと決意すること」とまで言われています。

 

”期待なしに人生を生きること──具体的な結果を必要とせずに生きること──これが自由である。これが神性である。これが、わたし(神)の生き方である”
”悟りとは・・・行為の結果には意味はないと理解すること”

 

神様は137ページで、以上の内容を私たちに教えてくださいました。

 

今日はニールさんの質問から始まります。

 

「情熱とは、『こう在る』ということから『行為』への転換を、愛することである」という言葉を、もう少し説明していただけますか?

 

神との対話1 P138

 

ここで「在る」ことについて、神様は「存在の最高の状態」と言われました。
「在る」ことは”存在の純粋なエッセンス”であるとのこと。

 

私たちは神様の一部なので、”純粋に「在る」とは、純粋に神であること”なのだそうです。

 

「在る」ことは「現在であって/現在でない」「すべてであって/すべてでない」「常在であって/無である」という神の側面である。
~略~
あなたがたの核心は愛と呼ばれる神性の状態である(ちなみに、これがあなたがたの真実である)。

 

神との対話1 P138

 

神様というのは時空間を超え、パラレルワールドにも行きわたる…私たちには理解できない存在です。
ただ、神の分身である私たち人間の真実(正体)は”「愛」と呼ばれるもの”であるということだけ、理解していたら良いと思います。

 

だが、わたしたちは単に在るだけでは決して満足できない。
つねに、経験を求める。
自分が何であるかを経験したい。
それには神性のまったくべつの状態が必要となる。
行為だ。

 

神との対話1 P138

 

唯一の存在であった神は、「経験すること」を望んで、宇宙や個人を創造しました。

 

私たちは経験を得るために、「行為(何かをすること)」を必要としています。
「行為」のことを神様は「神性の『在る』こととは、まったくべつの状態」と言われました。
「愛であること」と、「愛すること」とは、まったくべつのことだと、説明が続いています。

 

たとえば、愛である神は自分の愛を表現したいと望み(情熱をもち)、「やあ、こんにちは」と話しかける行為をおこなったとします。

 

話しかけたいという情熱をもち、挨拶するという行為をしたことによって、神様は自分の愛を表現できたので、もうそれ以上の何かを必要としません。
愛すること(ここでは挨拶すること)によって神は、自身の愛が成就したことになります。
だから、挨拶するだけで、喜びが感じられるのです。

 

いっぽう、人間は投資には見返りが必要だと感じる。
誰かを愛するのはいいのだが、相手からも愛が返ってきてほしいと思う。そう考える。

 

これは「情熱」ではない。「期待」である。

 

これが人間の不幸の最大の原因である。
それが神と人間の違いである。

 

神との対話1 P138

 

ここでは期待なしに…結果はどうであれ、行為によって情熱は成就されるものだと語られています。
また、行為そのものを楽しみ、愛するには、情熱が必要だということも理解できます。

 

いっぽう私自身は、”情熱”と”結果(期待)”とは同じ線上にあるものと、考えてきました。
”目標(結果や期待)”があって、そこに情熱がついてくるという考えが、身についていました。
だから、この神様の言葉に目が覚めるようでした。

 

子供のころから長い間、何かを望み、目標をたててから、結果を得るために行動してきた人生です。
それは私だけではなく多くの人たちが、親や教師たちから「目標をたてて達成するために努力しなさい。頑張りなさい」と言われてきたことでしょう。

 

でも神様は、それを「違うよ」と教えてくれています。
そうではなく、まずは「何かをしたい」と情熱を感じて、その行為を愛し、楽しむことこそが神(人)が望んでいることなのだと、教えてくれました。

 

整理をしますと、次のようになります。
①自分が何をしたいのかをはっきりさせる。
②そのやりたい(情熱をもてる)ことは、”なりたい自分””本当の自分”になるのを否定し、はばむものではないかを考える。
③本当の自分、理想の自分を否定する行為ではないと分かったら、情熱を保ったままそれをする。
④本当の自分にふさわしくないことが分かったら、その情熱や欲望の対象を、他のことに変える。
⑤結果を望み期待するのではなく、それをやっている自分の行為を愛して楽しむ。

 

長い間培ってきた「期待をもつ(行動の見返りを求める)」という習慣から抜け出すために、
”東洋の神秘主義者”はサマディと呼ぶ体験をするのだそうです。
サマディにより、心を開いて神と一体になり、神性と融合し、神性のなかに溶け込むという体験をすることで「結果には意味がない」ということが、自覚できるのでしょう。

 

したがって悟りとは結果を放棄することである。
決して情熱を放棄することではない。
それどころか<マスター>は直感的に、情熱こそ神への道であることを知っている。
情熱は自己実現への道である。

 

神との対話1 P139

 

情熱こそが神への道、自己実現への道とのこと。

 

神の道を進むには、私たちは自分らしい情熱(欲望)を持つ必要があります。
そして自分らしさを表現するための情熱は、今この瞬間にも、生きる人みんなに与えられているものだと、理解しています。

 

やりたいこと(自分らしい情熱)を知るための質問があります。

 

①「私は、何者(あるいはどのような自分)なのでしょうか。」
②「私は今、何をしたいでしょうか」

 

という、ふたつの質問です。
インスピレーションを得て、答えを書き留めてみましょう。
①番は、職業や役職などで答えても良いですし、”優しい人””強い人”といった答えでも良いです。
次に②で浮かんできた答えが、①の成りたい自分に成るのを阻み自分にとってふさわしくないかどうかを考をえてみましょう。

 

②の答えが成りたい自分に成るのを阻むものであれば、その情熱の対象をほかのものに変えるべく、再度ほかに何がしたいのかを考えましょう。
得た答えを再び①の答えと照らし合わせ、それが成りたい自分を否定することのないものであり、「せずにはいられない」ほどの情熱を感じられるなら、ぜひやってみましょう。
その行為を楽しみましょう。
情熱の対象は、たった一つではないかも知れません。
たった一つである必要も、ありません。いくつかあっても良いのです。

 

それは自分のために浮かび出たアイデアなので、神(宇宙・愛)に応援されています。
結果に執着しないで、「自分自身」の定義にかなったやりたいことをやり、その行為を楽しみ続けましょう。
情熱をもってするその行為から生まれた何らかの問題には、あなたを成長させ、さらに幸せにさせる気づきが含まれているはずです。
いつかあなたの情熱に沿った行為は、良い意味で周りを巻き込むことになります。
また、その行為から、ふと別のアイディアが出てきて、次はこれをやりたいと別の情熱が出てくるかも知れません。
こうして自分の行為を楽しみ続けるあなたの姿は、人々に良い影響を与えるものとなるでしょう。

 

今日はここまでです。

 

次回は、不安などについて、ニールさんの質問から紹介していきます。