60. 神との対話【解説】P115~118人生が上向く方法⑥「私たちは純粋な神・愛である」 | 心理カウンセラーによる 【神との対話】解説

心理カウンセラーによる 【神との対話】解説

20年以上前に出会ったニール・ドナルド・ウォルシュ著 「神との対話」を、わかりやすく解説します

前回、「欲求不満や不安は、魂の言うことに耳を傾けないから起こる」という神さまからの言葉を受けて、
「ではどうすれば『魂の声』に耳を傾け、それが魂の声だと確信できるのか?」というニールさんの質問に、答えが与えられました。

①魂が何を追求しているのかを、はっきりと知ること。
②それ(魂が追求していること)について批判するのをやめること。

とのことでした。

次に、魂が追求していることは「創造しうるかぎりの最高の愛の感情」だと言われ、
最高の愛の感情を得るために、私たちはたくさんの生まれ変わりの人生を通してあらゆる経験をする必要があることを言われました。

また最高の愛とは、すべての光の色を合わせた白色のようなものだと言われ、
それはあらゆる経験(すべての光の色)を合わせていくことで、自分や人を理解でき、愛せる(白色になる)ようになるのだと説明されました。
つまり、過去生を含めた自身の魂のあらゆる経験を通して、私たちは他人への共感や許しが出来るようになり、より大きな愛を感じられるようになるのです。

だからこそ、他人や自分自身を非難することは、すべて自分を批判することに繋がります。
他人のなかに見える非難したいところは、かつて…過去生かも知れません…自分自身が選んだ行動だからです。
非難せず、自分や他人を許して愛していくことで、すべてが現在の自分の愛に包まれることになります。
そうやってワンネス…宇宙が一つである感覚が生まれていきます。
逆に、非難する相手や自分自身を傷つけたりばかにしたり破壊したりすることで、私たちは分離を経験します。
でも、もしそうだとしても、神は破壊者を愛しています。

素晴らしく大きな愛を持つ人に、「批判」というものは存在しません。

そこでニールさんは「悪を愛さなければならない。悪魔を抱きしめよといわれるのですか?」と神さまに質問しました。

神さまの答えは、「ほかに、彼を癒す方法があるか?」でした。

ここは「批判されるべき悪魔のような人間を癒すには、その人間を愛して抱きしめるというやり方しか他にはない」と、言い換えることができます。

神さまは続けます。

もちろん、ほんものの悪魔などは存在しない。
あなたが使った言葉で答えているだけだ。
癒すというのは、すべてを受容し、それから最善を選ぶというプロセスだ。

神との対話1 P115

今の私たちがあるのは、そしてもしも私たち自身が優しく親切で寛容な人間だとしたら、それはかつて…過去生かも知れませんが…私たちも誰かに愛されて癒されてきたためだと言えます。

やんちゃで浅はかな子どもだったかつての自分が、たくさんの間違いを犯しながらも誰かに許され、愛され、癒されて今があるのだろうと想像できます。

また、私たちの魂は、最高の愛を知ってはいても、最高の愛を経験することができません。
経験するには、最高の愛を忘れて肉体をもち、人間として生まれる必要がありました。

あなたの魂は最高の感情を求めている。
完璧な愛を体験したい、完璧な愛でありたいと願っている。
魂は完璧な愛であり、自分がそうであることを知っている。
だが、「知っている以上のこと」を求めている。
完璧な愛を体験している魂になりたがっている。

もちろん、あなたがたは神になりたがっている!
ほかに、何をめざしているというのか?

神との対話1 P116

敬虔なクリスチャンの家庭で育ち、神と人間との大きな違いを教え込まれて生きてきたニールさんは、
”自分が神になりたがっている”ということを受け入れることが難しいと感じました。

神と人間とはまったく別の存在で、神と人との間には距離があると長い間信じていたからです。
そのためニールさんは、”そのように考えるのは、冒涜的な感じがする”と神さまに伝えました。

すると神さまは、ニールさんや多くの人たちが心の奥で感じている自分への批判を表面化するため、
次のように言われました。

悪魔のようになりたいと考えるのは冒涜的でなくて、神のようになりたいと考えると冒涜的だと言っておびえるのはおかしい──。

神との対話1 P116

ニールさんは、”誰が悪魔になりたいなんて言いましたか?”と反論しましたが、神さまは次のようにお話されました。 

あなたがたはみんなそうだ!
それどころか、自分が悪魔であると思おうとして、人間は罪のうちに生まれた──生まれながらに罪人である──と教える宗教まで創り出した。
あなたがたは神のうちに生まれた、生まれながらにして純粋な神であり、純粋な愛であるとわたしが言えば、否定しようとする。

あなたがたはずっと、自分は悪だと自分に言い聞かせている。

神との対話1 P116

スピリチュアルの考え方が今ほど浸透していなかった20~30年ほど前、このように自分は悪なのだと信じて生きる人たちはたくさんいらっしゃったはずです。
今でさえ、多くの人が同様に感じていることでしょう。

神さまが言う通り、本当は私たちは皆、純粋な神であり純粋な愛です。なぜなら、私たちは皆、神さまの分身だからです。

スピリチュアルの考え方が一般的な宗教と大きく違うところは、「人は皆、自分自身が神である」というところです。

神さまは続けてお話されました。

自分が悪であるだけでなく、自分が欲するものを悪だと考える。
セックスは悪、金は悪、喜びは悪、豊かなことは悪──何でもかんでも悪だ。
~略~
ちがう、ちがうのだ、友よ。
あなたがたはよくわかっていないくせに、ひとつだけは確信している。
自分と自分が欲するもののほとんどは悪だ、という確信だ。
そうやって自分を批判し、自分の使命は向上することだと決意している。

神との対話1 P116-117

続けて、神さまは私たちが自分を悪と思わず、神であることを受け入れて歩む道(近道)について教えてくださいました。

いますぐに、自分自身を受け入れ、それを実証すること。

神との対話1 P117

そして、イエスやブッダ、クリシュナ、マスターと呼ばれる存在たちはすべて、「自分自身を受け入れ、実証すること」を自分の道として歩いたのだと、説明されました。

また、上記の偉大な存在たちは、自分が歩んだ道を私たちにも同様にできるのだと発信していたことをお話しされました。

あなたもわたしと同じだ。
わたしにできることは、あなたにもできる。
それ以上のことができる、と。

神との対話1 P117

私も、同様の文言が聖書のなかにあったと記憶しています。

次に、偉大なマスターたちがせっかく私たちに教えてくれていたのに、私たちはなおも「自分は悪」だと信じて疑わなかったことをお話されました。私たちはキリストやブッダやクリシュナのようになるのは難しいと言い続け、今もなお、そう考え続けているのだと言われました。

そして以下のように、私たちの信じていた”自分は悪である”という自覚が間違っていることを、はっきりと教えてくれました。

ところが、真の自分を受け入れるよりも否定するほうが、はるかにむずかしいのだよ。

あなたがたは善であり、慈悲であり、同情であり、理解だ。
あなたがたは平和であり、喜びであり、光だ。
あなたがたは赦しであり、忍耐であり、力であり、勇気であり、苦しいときの援助者であり、悲しいときの慰め手であり、傷ついたときの癒し手であり、迷ったときの教師だ。
あなたがたは最も深い智恵と真実、最も偉大な平和と愛だ。
あなたがたはそういう者なのだ。
そして、たまには、自分がそういう者だと気づくことがあった。

これからは、いつも、自分はそういう者だと理解していなさい。

神との対話1 P118

私たちは間違いなく、神のうちに生まれ、純粋な神であり愛です。
人生を「上向きに」するために、まずは以上のことを深く理解する必要がありました。

ここで神との対話1の第3章が終わりました。

「人生が上向く方法」は次回に続きます。