このレポートでは中央公論から出版されている丸谷才一訳「エドガー・アラン・ポー名作集」に収められた「モルグ街の殺人」「盗まれた手紙」「黄金虫」の三作品を扱います。作品に込められている真の意図をテーマに各作品を読み解いていきたいと思います。

 はじめに、上記三作品についてこれらの「作品の分析」を可能な限り本文と照らし合わせながら私が気付いた事と、それに関する参考文献を参照していきたいと思う。
 先ず「モルグ街の殺人」「盗まれた手紙」の探偵役であるC・オーギュスト・デュパンシリーズを読み解いていく。

 ――人々が分析的知性と呼んでいるものがあるが、これを分析することは、ほとんど不可能である。僕たちはそれを、ただ結果から判断して高く評価するだけなのだ。が、それについてわかっていることの一つは、分析的知性はその持ち主にとって、常に、この上なく溌剌とした楽しみの源泉であるということだ。―― モルグ街の殺人 P7 引用

 エドガー・アラン・ポーは授業で取り扱った詩の効果や編集長としての手腕などから言われているように、言葉の効用を最大限に引き出す作家であったと言える。言うまでもなく後世に与えた影響は強く、個人的な意見を言えば日本文学に与えた影響は顕著ではないだろうか。それは日本程、推理小説やミステリが小説という読み物のジャンルの中で重く比重を抱えている国はないように思えるからだ。ポーは推理小説や密室トリックの始祖として有名で、上記引用の「モルグ街の殺人」はそれに当たり、冒頭の部分を引用した。モルグ街の殺人においてポーが読者に提供した読書的な快楽の一つに、分析的知性からなる楽しみが挙げられる。ポーは本作で明らかに読者に事件の推理をさせている。これは上記引用部分が書き出しにあたる事から意図的にそうさせている事は明らかで、つまり、読者に与えられた「物語」と「文章」という楽しみに加え、ポーは推理という楽しみを小説に取り入れたのだ。順序を追って明かされる状況や、どこか怪しい登場人物(この手のキャラクターは推理小説の元祖と呼ばれるこの短編の時から犯人ではない)、明晰判明な推理からなるどんでん返しなど、ポーは小説において現代にも通じるフォーマットを発明したと言える。
 ここでもう一度書き出しの文章を読み返してもらいたい。わざわざポーが持ち出した分析的知性によるこの上なく溌剌とした楽しみ。それは言うまでもなくデュパンの推理とそこから彼が得た満足感を示唆している。何故ポーはこの文章を冒頭に持ってきたのだろうか。それは既に述べたように、この文章を冒頭に置くことによって、読者に推理を促すという効果を狙ったのだ。しかもそれは本編で明かされたオランウータンによる殺戮とは別種のものである。幸いにも「E・A・ポーの迷宮探求」という津田塾大学言語文化研究所、E・A・ポー研究会が発行した本にその事がまとめられてあったので、そちらを参考にポーと読者について私の考えを述べていきたい。

 先ず、モルグ街の殺人でポーが書き出した怪奇事件は本文中で完結している。一方で、「E・A・ポーの迷宮探求」の中で指摘されている通り、この事件の裏に潜む語られない謎について少なからぬ読者は気付くはずだ。
 この謎こそ今回私が取り扱う三作品に共通する、ポーが読者に向けて作品に含ませた真の意図ではないかと考える。それは上記引用によって説明された、分析的知性をこの上なく溌剌とした楽しみに変える事のできる、読者の推理に全てが委ねられているからだ。
 モルグ街の殺人において、この謎はオランウータンの飼い主にある。

 ①――男が一人入ってきた。明らかに船員である。背の高い、がっちりした体つきの、力の強そうな男。悪魔とでも取り組みかねまじき顔つき―― モルグ街の殺人 P54 引用
 ②――彼は最近、インド諸島へ航海した。そして、ある一行に加わってボルネオに上陸し、奥地の方へ遊びに出かけた。そこで彼ともう一人の者がオランウータンを生け捕りにしたのである。この仲間は死んだので、オランウータンは彼一人のものになった。――中略――あの殺人の夜、というよりももう朝になっていたが、彼は船員たちの宴会から帰宅して、自分の寝室にオランウータンがいるのを発見した。隣の小部屋にちゃんと閉じ込めておいたはずなのに、寝室へ侵入していたのだ。野獣は、手に剃刀を持ち、顔にシャボンの泡を塗りたくって、鏡の前に立ち、顔を剃る真似をしていた。きっと、これまで鍵穴から覗き込んで、主人のすることを見ていたに違いないのである。――同 P57 引用
 
 ①の引用から、読者はオランウータンの飼い主である水夫に疑念を抱かざるを得ない。「悪魔とでも取り組みかねまじき顔つき」の男がデュパンの待つ部屋へと、樫の木の棒を携えて入ってきたのだ。次に②において水夫が事件の顛末を語る件では、彼と一緒にオランウータンを捉えた仲間は死んだ。としか書かれていない。ここで更に疑念は深まる。普通ならば例えば病気で、だとか事故によってだとか理由が書かれて然るべきだ。上記の箇所から読者は水夫に対して何らかの疑いを持ってしまう文章の構成になっているように思う。決定的なのは、②やそれ以前にも語られた通り、オランウータンが模倣的な行動をする。という事だ。事件の被害者である女性が人間が行うには不可能な死を遂げていることから、この殺人の犯人はオランウータンに違いない。しかし、その飼い主である水夫の謎めいた自供には、分析を必要とする不可解さが残されているのだ。果たしてオランウータンは二人の女性をただその野生に従って死に至らしめたのだろうか。

 「盗まれた手紙」において、ポーが作品に隠した、分析的知性を必要とする謎はモルグ街の殺人より更に巧妙になっている。
 D大臣によって手紙を盗まれたある貴族の婦人はG警視総監に手紙を取り返すよう依頼する。この手紙は所有者にある権力を極めて貴重な方面において与え、第三者に暴露されると婦人の名誉と平安が危険にさらされてしまう。そのことによって今D大臣は婦人に対して有利な立場にいるのだ。物語はG警視総監に変わってデュパンが解決することになるのだが、物語外の謎として読者が分析を迫られるのは、デュパンとD大臣との関係である。

 ――ぼくの政治上の贔屓のことは、君も知っているだろう。僕はこの事件では、問題の上流婦人の味方として行動している―― 盗まれた手紙 P92 引用
 ――Dは昔ウィーンで、僕をひどい目に合わせたことがある。その時僕は上機嫌でこのことは忘れませんよ、と言ってやった――同 P93 引用

 上記の引用と、それ以前に書かれたD大臣の家に気軽に訪問できるデュパンの関係は、単なる知人以上の仲だという事が示唆されているが、結びにおいて彼らの関係が明らかになる。
 婦人の手紙とそれを模倣した手紙を入れ替え、D大臣から盗まれた手紙を更に盗み返したデュパンは、ニセの手紙の中に、クレビヨンの悲劇から引用した言葉を書いたという。この悲劇が兄弟による一人の女を巡る復讐劇である事を考えれば、物語には書かれなかったデュパンとD大臣、二人の、もしくはその貴族の婦人を入れて三人の関係が浮かび上がってくるのだ。

 黄金虫においても、分析的知性が読者に推理を促している。
 宝を見つけたウィリアムレグランドは、どのようにして宝の発見に至ったか。その道筋を語り始める。この推理には、デュパンの推理と同種の筋道を立てた謎解きが垣間見えていて、ポーが当時推理に関してただならぬ熱意を持っていたことは恐らく間違いない。
 こうして宝への道のりを語り終えたレグランドは最後に、文章の語り手である「私」から、どうして宝と同じ場所に二体の人骨が埋められてあったのか。と質問を受ける。レグランドは「キッドが宝を埋めるとき、手伝いが必要だったことははっきりしている。だけどこの仕事が終わったとき、彼は秘密を知っているものは抹殺する方が具合がいいと思ったのだろう」と答える。
 レグランド達が発掘した宝が埋められていた場所には、上記のキッドに殺された二人の手伝いも発見されている。奇しくもキッド同様、三人で宝を見つけたレグランド、私、ジュピター。「掘り起こしたままにしてきた」と書かれた人骨の埋まっていた穴。鎌と鍬を手放そうとせず、主人のレグランドに「でっけえ棒」で折檻しようとする黒人のジュピター。最後に人骨の謎を解き明かし物語は閉じられる。が、少なからぬ読者はここで、誰が他の二人を出し抜き宝を手に入れたのか。と分析を開始するのである。とはいえ、この物語を知り、語る者がいることにすぐ気がつくわけだが。ちなみにウィリアムレグランドはアナグラムになっていてi am le grand willという文章が浮かび上がるあたりにも、ポーの言葉のテクニックが伺える。

 ポーはこれまで見てきた通り、従来の物語や文章といった快楽を書き出しながらも、更に読者に分析を促した新しい作家であったのではないだろうか。
 思うに、本が訴える時代性や文学性は依然として、ゴシックロマンという形を取りながら彼の著書に散見することができる。しかしこの推理という動作を促す文章の構造は、当時産業革命を迎えアメリカに波及しようとしていた、機能の時代による一面が大きく反映されているのではないだろうか。それは多重構造をとる推理という面であれ、合理主義という面であれ、ポーが描いた一連の推理物語は、事件を解き明かすというただ一点に収束し、その為の文章や人物が順を追って合理的に配置されている。一連の作品からは現代にも受け継がれる推理による事件の解決。という快楽を頂点にした文章の機能美を感じることができるわけだ。それを可能にするのは冒頭で引用した、分析的知性によるものが大きく、一八世紀アメリカを想像するに、それまでの所謂文学性という曖昧なモノを読み解いていた時代人にとって、恐らく不慣れであったであろう合理的な分析という作業は産業時代と呼ばれる新たな時代がもたらしたものではなかったのだろうか。