一周忌
友人の一周忌
3年いた東京で出会った唯一の友人ミンミン
ネットを通じて、韓国語の先生と生徒として知り合った。
カフェで週1回1時間レッスン。
最初はルールを守ってレッスンをしてもらったけど、レッスンよりお茶しながらおしゃべりする時間が長くなり、、、ランチしたり、ショッピングしたり。
食べる事が好きで、好みも似てた。
よく同じ物を注文して笑った

ショッピングも大好きで、新しいお店の情報などにはお互い敏感で「行きたいと思ってた~」みたいな。
フォーエバー21ではレジで同じ色の同じ物を持っていて驚いた

海外旅行が好きでお互いの過去の旅行話をしたり、旅行計画を考えたり。
学年は違うけど、同じ年のうまれ。家族は旦那さま。
旦那さまとも一緒に遊ぶことも。
彼女は韓国人で旦那さまはオーストラリア人で共通語は日本語という不思議な夫婦。
日本語だけど英語がまじったり、たまに韓国語。楽しかった~

知り合って1ヶ月ぐらいかな、乳ガンで治療中だということを知った。
通院しながら抗がん剤治療をしていた。
病気なんて他人事でしかなかった私にとっては、とても衝撃的でどうミンミンに接していいか悩んだ。
医師の友人に相談したこともあった。
私から病気の事を話したり、きいたりすることはしなかった。
大丈夫?なんて言う事もない。
ミンミンを病人だと思うこともない。
お通夜でこのときはガン治療中2年目で再発だと知った。
病院の帰りに会うことも多かった。
ガンの数値がさがならい
家に帰りたくない
韓国から看病の為にお母さんがきていた。
お母さんの悲しい顔をみたくない
日が暮れるまで、よく恵比寿でお茶してぶらぶらした。
ミンミンと別れると沈む事もしばしば、私に何かできることはないのかと考えた。
何もしてあげれないんだよね、、、
彼女の病気が治る事を信じてた。
病院をかえるんだ!って、前向きなミンミン。
体内からガンが消えない
とても辛そうな治療。
治療して2日間は起き上がれない
入院代が高くて入院できないから通院で頑張る!という
ミンミンの家で会う事が多くなった。
いつの間にか韓国語レッスンはなくなってたね

いつもオモ二がたくさんご飯をつくってくれていて、どれもとても美味しくて
いつもたくさんお土産を持たせてくれた。オモニに韓国料理を教えてもらった事も。
2009年 春
旅行から帰国したという連絡がなく、メールの返事もなくて
心配で妹さんの働いている飲食店をたずねた。
入院しているという
頑張っているから心配しないでと
会いたかったけど、それ以上きけず
ミンミンからの連絡をまった。
ゴールデンウィーク開けぐらいかな。やっと彼女から連絡があった。
渋谷でのランチ
彼女は笑いながら、
ミサト、余命言われたんだよ~
何も言えなかった。
脳に水がたまって、急に倒れたりして歩けなかったという
スペイン旅行中に大変だった~
後からきいた話だとスペインの病院で帰国は許可できないと言われたようだ。
本人に現状を話して、本人のサインで帰国の許可を得たらしい。
旦那さまは本人は意識が朦朧としていてわかってなかったと言っていたけど、ミンミンはわかっていたんだね。
余命、、、
彼女の病気をやっと意識したかもしれない。
ヒールが履けなくなっちゃった
足の感覚が鈍っているようだった。
ミサトはいつもスニーカーだから、私もスニーカーにした
この頃の1年前ぐらいかな
治療で爪の色が悪いのにネイルができない
私のネイルをみていいな~って
ヒールがはきたい
ネイルがしたい
髪の毛をのばしたい
おしゃれしたい
って、私にとっては何不自由なくできる事、当たり前の事。
普段気づく事ができない幸せな事なんだよね。
1年前に母が入院したとき、
泊まり込みがわかっていたから私は髪をきった。
ミンミンは私と一緒、似合うって笑って喜んでくれた。
母も美容室に連れていった。ショートだったけど短く。
嫌そうだったけど、私と一緒ということで承諾。ただ単に入院生活中に世話をする私が楽になると思っての事だった。
私のネイルを母は羨ましがったので、ネイルをやめた。
母は入院中は病院の病衣を着せていた。
私が色のついた服を着て行くと
「みいちゃんだけずるい!」と言って、病衣を脱ぐと騒がれた。
白いシャツワンピースを着て行くと、
「看護婦さんみたいだから、気持ち悪い。脱ぎなさい」と。
全身黒だと何も言わない。私は普段から黒が多いから見慣れているだけ?
以前は「黒はやめて、綺麗な色の服を着なさい」と注意されていたけどな。
一緒だと安心するのかな・・・
親が入院することで、ミンミンからアドバイスをもらっていた。
術後の母はアルツハイマーの薬を飲めず、幻覚やら手の動きが止まらない日々が続いた。
ミンミンのアドバイスを思い出しては
とりあえず、母の体を触ったり、マッサージしたり。
不思議と落ちつくんだよね。
乾燥も防いだ
アロマを置いたり(個室だからね)
音楽をならしたり
母が音楽が好きな事に気づいたキッカケになった。
今では車の中、家の中で音楽。指でリズムをとったり、踊ってみたり(笑)機嫌がいいと鼻歌を歌うようになった。
デイサービスの送り迎えが音楽を鳴らす事でスムーズにできるようになった。
ミンミンのアドバイスに救われた。
2010年年明け
ミンミンが入院するかも~
すぐ帰ってくるからって約束した
約束通り
退院が早まった!とメールがきた。
髪が抜けていたけど、ウィッグかぶることなくスカーフを頭に巻いていた。
さすが、彼女のオシャレが際だっていた。
痩せたから洋服のサイズ直したい
急激に痩せていた。
退院が早まった事で私は安心していた。
私の両親のガン発覚。
まず、ミンミンに話した。ミンミンはお父さんをガンで亡くしていた。
私の両親と私の事を心配してくれた。
3月上旬、九州に帰る前日。
ミンミンとミッドタウンでランチ。
いつものようにまたね~
ミサト頑張って!
5/14
翌日は友人の結婚式で久々の福岡って事で、前日福岡入りして友人と夕飯を食べていた。
ミンミンの旦那さまから危篤のメールがきた。
両親の看病の事で疲れてて、数ヶ月間ミンミンや友人と連絡してなかった。
ただただ理解できず、状況把握できずにミンミンに会いたくて落ち着く事ができなかった。
ゴールデンウィークは父は外泊で母は退院していて慣れない食事づくりで疲れきっていて、母は再入院。
精神的にもまいっていた私に親族から休むようにと、結婚式後にちょうど休暇をもらっていた。
結婚式途中、東京行き飛行機に乗って病院にむかった。
朝意識が戻ったという
ベッドに横だわるミンミンはとても息苦しそうで
別人であってほしいと願った。
話をすることはできなかったけど、しっかり目で合図してくれた。
ミンミンと会えたこと、一緒に 過ごした時間
言葉では言い表せないほど感謝
縁って本当にすごいと思う
この年齢になると
友人をつくることも難しいよね
ミンミンのお陰で
やっと母の病気とむきあえることができた。
自分が今やる事、今やれる事、今やらないといけない事
日々の感謝
充実した毎日を過ごせるようになった。
人生、出会いと別れはつきものなのね
会いたいという気持ちを抑える事、慣れないよ、、、
iPhoneからの投稿