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多系統萎縮症の父と介護する家族の奮闘記

特定疾患である多系統萎縮症の一つ「線条体黒質変性症」を発病した親父の闘病とそれを介護する家族の備忘録を書いているブログです。

「人の死」というものについて、ものすごく軽く考える人がいる。

自分の関係者が死んでも悲しまないとか
誰かを亡くした人の気持ちを察しないとか・・。


今まで数人そういう人間に会った。
どういう環境で育ったのか知らないけど
ものすごく哀れな人だなという気がしてならない。


自分の会社で言うと、僕がまだ20代の頃、同じ部署にいた先輩にあたる人。
祖母を亡くして会社を1日休み、翌日出社した日のことだった。
「何会社休んでんだよ。ゲームやった?ゲーム。たっぷり出来たろ?」

もちろん祖母を亡くして休んだことは知っての上。
通夜やら葬儀やらで、そんな暇もあるわけないし
そんな気持ちになれるわけない。

「するわけないでしょ。婆さんが死んだんだから」
と言うと
「婆さんが死んだからって君に何の関係があるの?100歩譲って親ならまだわかるけど」

本気で言っていた。
信じられなかった。
最終的にコイツは会社をリストラされた。



そして、
「お前親不孝しとるからバチあたったんちゃうか?」とか
「手がかからなくなって良かったんちゃう?死んで」などと
大笑いした会社の元社長。
コイツもこの前リストラされた。



父が病気になってから色んな人に関わる機会があった。

病院関係もあるし、親戚や父の知り合い、また僕の知り合いなど
色んな人に関わったけど、
心配してくれた人、自分の事のように悔しがってくれた人が
たくさんいた代わりに、心無い人もいて嫌な思いもたくさん経験した。

病気である弱みにつけ込んで、マルチ商法で30万円くらいのサプリを父に売りつけようとしたオバハンや、
「あんた5年ぐらいで死ぬよ、肺炎で」と面と向かって両親に言った呼吸器内科医。


理解しがたいが人間の命を軽く考えているんだろう。
こういう感性の人間はやはりダメだということだ。
要は相手の気持ちを察することが出来ないのでコミュニケーション能力が低い。
結果的に仕事もできない。

父は株を大手ではなく地方の証券会社で持っていた。

 

一度生前に、父が入院してから電話で相談したことがあるのだけど
担当営業といわれる女性が高飛車で態度が悪く、印象が良くなかった。


今回相続となった時にも、
「とにかく必要書類を郵送して下さい。話はそれからです。手順は教えません」
などとかなりつっけんどんな態度。

 

必要書類を揃えて提出した後もなかなか処理をせず、
こちらから「どうなってますか?」と連絡しないと、向こうから連絡があることはなかった。

 

「持っている株はそのまま解約とか出来ないので
一旦うちの証券会社に口座を僕が作って、そこに移管するしかない」と言われた。

 

しかし、それは嘘。


電話した時に素人を装って何も知らない風に話したので騙せると思ったのだろうか。

 

他に証券口座を持っていれば、そこの証券会社に口座を作る必要はないので
実際に父が持っていた株をどうするかという話になった時に
この会社とは付き合いたくないと思って
自分が使っている証券会社に株を全部移管してくれと頼んだ。

 

移管手数料を5,000円ほど払わされたけど・・・。
高いなあ。楽天証券とかSBI証券とか手数料は無料が多いのに。

 


その後もなかなか移管されず・・・。

 

別に急ぐようなものではないので放っておいたのだけど、書類等に不備でもあったのかと思って、先日電話した。

 

回答は、
「丁度今日手続きをするところだった。しかし遅くなるかもしれないので今日のことにはならないかも」
というよくわからないものだった。

 

一応念を押したのでまあいいかと思っていたら、1時間後くらいに移管先の会社から
電話がかかってきて、「移管ありがとうございます。すぐ手続きいたします」だと。

 

やっぱり移管元が処理してなかったんだな。
営業は経理のせいにしてたけど。

 

父の相続手続きはまだ全部終わっていないけど
一応、銀行、株、保険などは一区切りついた感じ。

 

まだ車両や土地建物などの名義変更は手付かず。

 

相続では名義を変更して継続するものもあったがやめてしまうものもあった。

やめてしまう場合、幾つかの機関においてはちょっとめんどくさいことがあったので
記録として残しておく。

 

 

まず、農協の共済。

 

保険みたいなものだけど、何だかんだかなり手続きを引き伸ばされた。

 

要は「やめてしまうのではなくお前が代わりに入れ」と勧められたけど、
断ったからか何度も窓口まで通わされた。

 

「この書類のココとココとココに記入して持って来て下さい」
と言われたので記入して持って行ったら
「ココに記入が足りないからダメ」
と突っ返される。

 

「そこは聞いていない」

と言うと

 

「あーすいません、漏れがありましたかね」

などとのらりくらりかわされ、また別の時には

 

「この書類が足りないからダメですね。持って来て下さい」
「そんな話聞いてない」
「あー漏れてましたかね」

 

など、不足を一つ一つ増やして行く。

 

 

その度に会社を休まなければならないのでなかなか進まなかった。

 

その機関にとって不利になる手続きは、後回しにされたり処理を遅らせられたりする場合がある。

 

株についてもそうだった。

 

父が亡くなってから、遺品というほどではないけど
懐かしいものがたくさん出てきた。
 
父が元気でバリバリ働いていた頃の写真。
旅行に行ったり、友達なんかと
宴会やらカラオケやらの写真。
 
歌っているのを録音したカセットテープが出てきて
僕以外の家族みんなで聴いたら
「じいちゃんの声だ・・・」
と姉が号泣してしまったらしい。
 
その場にいたら僕も号泣してるのは確実。
いなくてよかったかも・・・。
 
昔、趣味で作ったレコードも出てきた。
プレーヤーがないので聴くことが出来ないけど・・・。
 
この写真や音声を使って
DVDを作ってくれというリクエストが家族から出てきた。
 
それもいいかなと思う。
パソコンで簡単なスライドでも作ろうかな。

 

昨日11月6日、父の五十日祭を行った。


親族と講中の一部の方々が来てくれて
滞りなく無事に終了し、とりあえずホッとしている。

 

 

朝10時半から始まり、神主の先生主導で祝詞をあげ、
30分程度で終わった。

 

その後、神主先生から色々説法的なお話があり、
その内容はこうだった。

 

私事だが今年の2月頃、自分の祖母が亡くなった。
通常は神主として身内の葬儀は担当しない決まりなのだが
祖母の遺言により、自分が葬儀の神主を務めた。
ものすごく悲しかったけど、「神主として務めを果たさなければ」
という意識があって、悲しむ余裕がなかったが、
葬儀が終わり、時間が経つと色々と後悔や反省で一杯になった。
「もっと会ってあげればよかった」
「なぜあの時こうしてあげなかったのか」
という考えや思いが、次々に頭に湧いてくる。

それを師にあたる人に話したところ、
「それは亡くなった先祖からのメッセージではないか」
ということを言われた。

つまり、自分自信が思ってるのではなくて
亡くなった祖母の気持ちや思いが入ってきてるのではないのかな、
というこうとだった。

もっとこうして欲しかったよ
あの時ああして欲しかったよ

という、亡くなった方の想い。
それを今後大切にして行こう。
生きている人にそれを行っていこう、と改めて決意した。

 

というものだった。

 

父のことを想ってみんな涙していた。
まだまだ悲しみは癒えない。

 


ありがたい説法の後は、納骨のためにお墓に。


今回は仮納骨で、穴を掘ってプラスチックの収納容器みたいなものに
骨壷を入れ、簡易な墓標(柱)を立てているだけの状態で
土をかけて埋めた。

 

一年祭の時に合わせて墓を建て、本納骨を行うのだとのこと。

 

しかし、この日をもって家から遺骨と祭壇がなくなるので
これから本格的に寂しくなるのだと周りの人から言われた。

 

父の存在を示す物理的なものが何もなくなるからね。
まだその実感はわかないけど・・・。

 

iPS細胞を使って小脳変性症の神経細胞を作ることに成功したというニュースがあった。


以下、神戸新聞NEXTより抜粋

理化学研究所多細胞システム形成研究センター(神戸市中央区)などのグループは、指定難病「脊髄小脳変性症」の患者から作った人工多能性幹細胞(iPS細胞)を基に、同症で病変した神経細胞を作製することに世界で初めて成功した。実際の病気に近い条件での研究が可能となり、新薬開発にもつながる成果という。1日付の米科学誌セルリポーツ電子版に掲載された。

理研多細胞研の石田義人客員研究員、六車恵子専門職研究員らが発表した。

脊髄小脳変性症は小脳の神経細胞が減り、運動機能に障害が出る病気。国内の患者数は約3万人とされる。

グループは、日本人に多い「6型」の患者3人の皮膚・血液細胞からiPS細胞を作り、この病気で異変が生じる神経細胞「小脳プルキンエ細胞」に変化させた。細胞内には病気の原因遺伝子が蓄積されていた。

また、特殊な環境下で患者のプルキンエ細胞を培養すると、異常な変形が発生し、病気の状態を再現できた。既存の治療薬を加えると異常が抑制されることも判明。新薬開発の際、事前に効果を調べる実験に応用できるという。

六車研究員は「従来は、遺伝子操作で病気にさせた動物の細胞を用いるのが一般的だった。病気の原因解明や新薬開発が期待できる」と話す。(武藤邦生)

以上

 

この神経細胞を使って臨床試験を重ねながら治療の研究や薬の開発が行われるのかな。
一日も早く、一刻も早く。
患者の方も、患者の家族も、たくさんの人が一日千秋の思いで待ちわびている。
 

神戸新聞のサイト

http://www.kobe-np.co.jp/news/iryou/201611/0009631378.shtml

 

朝日新聞のサイト

http://www.asahi.com/articles/ASJC15DX1JC1PLBJ001.html

父の闘病と家族の介護について
綴ってきたこのブログも
父の死去によって
ひとまずは役割を終えたのかなと思う。
 
死後は供養だと思って毎日更新してきたけど一旦区切り。
 
基本的に議事録ブログなので書くことはまだ色々とある。
今は納骨の準備を進めながら相続手続きをを行っている。
 
納骨の儀は仏教では「四十九日法要」だけど神道では「五十日祭」という。
色んな人や機関が絡むから
なかなか前に進まず苦労が絶えない。

 


相続もかなりめんどくさい・・・。
仕事しながらだと結構大変。
 
ちなみに故人が金融口座を持っていたら
全て相続となり手続きが必要なんだだそうだ。
 
だから3つの銀行口座を持っていたら
3回分手続きしないといけない。
 
株を持っていれば株の口座も。
会社経営でもしてたら更に大変。


でも、忙しく過ごしている方が気が紛れて良いのかもしれないな。

人が亡くなると不思議な現象が起こるという話はよく聞く。
「枕元に現れる」とか「声が聞こえた」とか・・・。


実は僕の祖父が亡くなった時に、ちょっと不思議な体験をした。

当時、家では猫を飼っていた。
祖父が亡くなって2~3週間だったのかな?
外から猫が帰って来て、居間を通り過ぎようとした時、
突然、驚いたように上を見上げて
「ふぅ~~~~」と、うなりだした。
猫がケンカする時に出すあの声。

場所はちょうど神棚のあたりだったのだけど
子供心に祖父がいたのだろうと思ったものだ。


今回の父の死でも、同じように何か起こるんじゃないか、
じいちゃんがそばにいるように感じられる不思議な事が起こるんじゃないかと
思っていたのだけど、なかなか何も起こらなかった。

最初に起こったのは3週間くらい経ってから。

朝、台所で母と話をしている時、
点けていた廊下の電気が消えて点いた。

最初は何かわからなかったが、見ている前で続けてもう1回消えて点いた。

蛍光灯が劣化した時になる「チカチカっとした感じ」ではなく
完全にパッと消えてパッと点く。
その間、3秒くらい。

今までそんなことになったことはない。
母と「じいちゃんが居るんかねえ」と話していた。


その後、テレビのチャンネルが勝手に変わるなど
ちょっと説明がつかない現象が起きて、母は怖がっていた。

「いくらじいちゃんだとしてもやっぱり怖いわ」
って言ってた。

まあ、そりゃそうだな・・・。

先日、父が入院していた病院へ行って来た。
最後の入院費を支払うためだ。

病院に行くとやはり涙が出る。

この前までここに父はいて、ここに来れば会えるという
安心感というか、何と言うか・・・
そういう気持ちがあったのだけど、

もうここにはいない、と思うと
何とも言えない気持ちになる。


入院費を支払うのは自動支払機で行うのだけど
その時に診療明細書が印刷される。

いつもは1枚か2枚なのだけど
最後の明細書は7枚出てきた。

肺炎になってからたくさんの投薬、処置を行った。
その、あがいた結果がこれに表れている。

「壮絶な闘いだったんだね・・・」
とまた思ったら明細書の印刷中から涙が出て仕方がなかった。

もうここに父はいない
どこを探しても
もうどこにもいない。


身近な人には、ついついちょっとイラついたり腹が立ったり
しがちなものだけど、
その人が生きて存在していることが
実は無意識に心の支えになっているのかもしれない。

父が亡くなった直後から雨が降り始め、
1週間、毎日断続的に降っていた。
 
「じいちゃんの涙雨だねえ」
 
とみんなで言っていた。
父の涙かもしれないし、残された者の涙なのかもしれない。
 
しかし、よく降った雨も
通夜と葬儀の間だけ、本当にその間だけきっちり止んだ。
それはもう見事だった。
 
「じいちゃんが守ってくれたんだね」
と、これまたみんなそう解釈していた。
 
だから僕らが見舞いに行った時に合わせたように
父が亡くなったのも
父がそうしたのだと思っている。
 
遺族の心情とはそうしたものだと思う。
 
 
父が亡くなってから、ずっと庭に黄色い蝶々が飛んでいる。
これを見ても
「じいちゃんじゃないか」とか思ってしまう。
 
また家の中にハエが飛んでいて、
家族が別の部屋に行ったらそのハエが後をついてきて
みんながいる部屋に移動してくる。
 
これまた「じいちゃんじゃないか」という気がして
虫も殺せない。
 
チャンチャラおかしい話だけど・・・。

死んだ人の魂はしばらくこの世に残って
見えないけど近くにいたりするのかな。