今日から宇多田ヒカルの新曲二曲「花束を君に/真夏の通り雨」がフルで配信されました。
5年間待望にしてきて、やっと新しい歌が聞けるとワクワクしていたのも束の間、歌詞を見ながら曲を聞いていればぽろぽろ涙が止まらなくなってきた。
歌詞がどう捉えても、亡き母・藤圭子への想いを連ねたとしか思えない内容。
普段からメイクしない君が化粧した、の一文は死化粧なのかと思わせ、真夏の通り雨ではタイトルからしても藤圭子のことを歌っているかのよう。
普段曲を作るときは、個人的な想いだけではなくきちんとポピュラーな、大多数の人の共感を得られるような曲を作ることを心がけていたと言っていた。けれど、今回はとてもとても宇多田ヒカル自身の想いが強いように思われ、他のことへ想いが馳せられない。
亡くなった人への想いというところを考えた時、一番身近なのは2月に亡くなった母方の祖父のことである。
思い出が少なかった分、姉や兄よりは喪失感は少なかったかもしれない。それでも亡くなった人、そして亡くなった人を焦がれ悲しむ人のことに想いを寄せた時に涙が止まらなくなった。
近い人をなくすのはどんな想いを抱くのだろう。
もし私の母、父、姉、兄、福田豆太、姪…亡くなった時のことを考えると悲しくて悲しくてそんなのは嫌だという気持ちがせり上げて、しゃくりあげるほど号泣した。
みんなみんな幸せに、いてほしいとおもった。無事に。
一夜明けて、昨日の夜に起きた平成28年熊本大地震のニュースをしかとみる。
自分が揺れを体感していないと、一切実感がわかない。震度7という大きな地震があったのかと頭で理解するだけだ。
それでもムービーを見ると、救出される乳児、不安に怯える人々、崩れた道路が映し出され、抱えきれないほどの恐怖を抱いているのだろうと思った。
そこで、熊本城の屋根瓦、石壁が崩れている映像が映し出される。
鉄壁の守りを誇る日本の城でも地震には勝てないかとしみじみ思いながら、クローズアップする画面をみて、亡き祖父といったことを思い出す。
祖父は熊本城を見せたくて仕方なかった様子であった。生まれた地の立派な城に誇りを持っていたのだろうか、当時工事中であったため、天守閣までは見れなかった。幼い私はそこまで城に興味がなく、いいよいいよと言っていたが、今思うともっと同じ時を過ごせばよかったのだろうかと思う。
地震という予期せぬ災害や、避けられぬ病、後悔の止まらない自殺。
今続いている平穏がいつ崩れるかわからない。それでもこの平穏が続いて欲しいと思う。
そう思える私は今幸せなんだろうなと感じた。
日頃から、相手の気持ちをくみ取って行動できれば、ちょっとした時間や労力をいとわなければ、
もっと後悔することは減るのかもしれない。