ゲイリー&シンディの二日間のワークショップ(4月19.20)に参加してきました。このワークショップに参加できたことはわたしにとって今までACIMを実践してきて、また、深く確信となってきました。
今日は、ゲイリーの初日のお話をシェアしますね。多少省略してるところもありますが、意味は変えていませんのでどうぞ、ご興味ある方は読んでみてくださいね
通訳してくれたヨシさんが大阪人のかたなので、本当は関西弁で全部通訳してくれました。
それがゲイリーの雰囲気とドンピシャでした(笑)
ここでは標準語にしてあります^^
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日本に一回目に来た時はメイン州に住んでいた。カレンと結婚していた。今はシンディと結婚してカリフォルニアに住んでいる。その間にいっぱい赦しのチャンスがあった。
わたしの先生のアーテン&パーサのことも話していこうと思っている。赦しと言っても普通みなさんが思っている赦しとは違う。
コースは伝統的なものは少ない。ここでやろうとしている赦しとは、あなたが変わるということ体験するようにデザインされている。
ACIMはアイデンティティを変えるようにデザインされている。
あなたの中に本物のあなたと、偽物のあなたが居る。偽のあなたをエゴと呼んでいる。エゴのアイデンティティの中心になっているのは身体なんです。
個人的な精神。エゴは分離からきている。自分のエゴを通して周りの世界を見ている。そうしたら見えるのもは全部分離したものだけ。始まりがあれば終わりがある。エゴは一時的なもの。
ラッキーであれば幸せだし。そうでなければ不幸せである。すべて二元である。自分の体にあって、なにか足りないと感じている。コースでもなかなか進まない、届かないと制限され自由でない。
I'm not body.I'm free. So I'm still as God created me.
神が創った状態というのは本当の状態なんです。
エゴは神から離れて個として思っている。思考も全部違っていると思っている。本当のあなたは一体性を元にしている。全体性。本当のあなたはスピリットである。
普通みなさんが考えるような霊ではない。普通は個々の魂を持っているようなものと思っている。
ですから、死んだ後もそのあとに続いているものがあるように思っている。ちょうど自分の体から離れていって見ているような存在だと思っている。
それも分離を元にした考えですね。それは個人としての存在と理解している。ACIMがスピリットということを話すときはそう言う意味ではない。
ですから、スピリットというのは、部分的な導線をもっていない。部分を言っていない。全部のことをいっている。大元と繋がっているこの世界のもの。この世界で脅かされることのない存在。この世界を使って触ることができない。恐れが無い。ほんとうのあなたというのはスピリットである。真実でないものは存在しない。他は存在しない。
みんなが見ているもの全てを言ってる。
何も起こっていない。
この世界は幻想である。何千年前から言っている。コースはそれをもっと洗練した言い方でいっている、この世界は夢だと言っている。夢ということは夢から覚めることができるということ。
それが悟りということ。ブッタが目覚めているということを言ったのは、そのことを言っている。夢のなかで目覚めていると言ってるのではない。ちょっとした区別ではない。大きな違いがある。その夢は全部自分が作っているのだということがわかった。
その偉大なブッタとかイエスはわかった。世界は自分に対して何かをやっているのではないということ。自分たちによって世界は作られているのではない。自分が世界からの犠牲者になってしまっている。犠牲者になると自分のパワーが存在しない。
全部自分が元で作っているんだと気が付くとスゴイパワーがある。
そうでないと、世界の結果自分がここにあるというように自分が影響を受けているという結果になってしまう。
ということは周りが影響を与えてくるということだし、それをホントだと信じているから。そうするとそれがあなたに対してパワーを持ってしまう。あなたを傷つけるものがあるとすれば、あなたがそれにパワーを与えたということ。
自分がそれを信じるということを通して、パワーを与えてしまっている。この週末ではこの信じているものを撤回しようということ。本当に信じているものを信じている属する場所へおくということ。属する場所とは真の世界。
コースでは神と神の王国に対してだけに注意していなくてはならないと言っている。どういう風に感じるかだけではなくて、自分が誰かということ。この特定の赦しがどういう風に働いていくかというのをこの週末やっていく。
偽りの体験というのは身体であるということ。本当の体験は霊であるということ。霊である方が楽しい。コースで好きなのはスピリチュアルでもハッピーなやりかたなので、そのイエスは苦しみを持って犠牲者ではなかった。
彼はハッピーなひとだった。ハッピーな学び手であった。笑ってもいい。楽しいひとときを過ごしていい。でもあまり、このワークを深刻にとらえ過ぎている人もたくさんいる。ブッタもイエスも、この世界、そんな深刻に考えるものでもないと言っている。
あほちゃうか~って(笑)
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ほんの20分ほどのお話ですが、
全部自分が元で作っているんだと気が付くとスゴイパワーがある。
このフレーズがとても新鮮で、ガツ~~ンときました。
そうなんですね?!自分が犠牲者になってしまうとパワフルになれないんですね。
この感覚、腑に落ちました
また、箇所箇所シェアさせてもらいますね
今日も読んでくださりありがとうございました~~
Laraでしたぁ~