昨日の夜中にふと目が覚めました。

う~~~ん??今何時。。?

なんだ、まだ三時半?!


また寝よう。。

と思って目を閉じたらなんだか、

コースの神の分離のことが浮かんできて、

神から離れてからの(幻想ですが)なんだかここまでのいきさつのような

ことが浮かんできました。


しかも、ボキャブラリーの少ないわたしにも(笑)

とてもわかりやすく

流れるようにビジョンが出てきて



そうかそうかそうなのね。。と目をつぶっているわたしは

心の中で呟いていました。



よほど、ノートにでもしておけばよかったかもと思いましたが、

ノートを取るにはそのビジョンが流暢過ぎて取れませんでした。


わたしは、いつもJ(聖霊)に「わたしにでもわかるようにコースの内容を伝えてください」

と常日頃にお願いしてるので(笑)そのタイミングだったみたいですね。



でも、いくらなんでもこんな時間に伝えてくれなくても。。と思ってしまいましたが^^;

あまりにも解りやすい伝え方だったので眠気交じりでビジョンをみていました。

でも、今は感覚だけは残ってますが、忘れてしましました^^;



が、しかし、

そのあとに、赦しのことについても伝えてくれたようでした。

それは、あまりにも、新鮮な捉え方だったので、

枕元にいつも置いてあるノートとペンに手を伸ばし書きとめました。


それを、文章化すると次のようなことだったと思いますが、

正確に伝えられるかどうかわかりませんが

以下のような感じでした。


「心の足し算も引き算もしない」

というような内容でした。




わたしたちが、赦しをしながら手放していきたいものは

わたしたちが自分自身が持ち続けたくないものに対してやるわけですよね。



心配事、用心していること、妬んでいること、

等々それらをコースでは総称して「罪悪感」と言っています。

このネガティブ系な感情が湧いたときに、どうしても今までの習慣ですと、

自分で、あ~でもないこ~でもないと、

心の中を引っ掻き回してぐちゃぐちゃにしてしまいます。



しかし、コースでは、こんな時は、

まず、根本的な原因に目をやり認識したうえで、

本当は何も起きていないという真実に目をやり、

すべてを聖霊に手放して、

その感情から早く離れること伝えています。


赦しをしない状態ですと、先ほども言いましたが、

心の中を引っ掻き回してぐちゃぐちゃにしているだけなんですね。

そのやりかたは大きく見ると、ただ、

心の足し算か、引き算をしているだけなんだよというような感じでした。


心の足し算とは

「あ~あの時、あれをすればよかったんだ。。」

「あ~あの人に、あのことを言っておけばよかったんだ」

「あ~あの日あそこに行っておけばよかったんだ。。」

とひたすら、その時の状況に何かを足していくことが解決に近づいていると考える。



反対に心の引き算とは

「あ~あんなことを言わなければよかった。。」

「あ~衝動買いをしなければよかったのに」

「あ~この仕事を選ばなければよかった」

という風に状況を引き算して後悔の中にすっぽりと入り込み、

今後の解決策として悶々と考えているわけですね。


心の足し算、引き算してれば、どうにか心が惑わせるし、

反省、という一見素晴らしく見える方法で解決できると思い込んでいるようです。



結局、自分であれこれ考えても、この世界の中で解決しようとしても、

以前より良くなった、くらいの解決しかできないんですよね。

なぜなら、この世界には完璧なものがひとつも無いんですから。

完全に解決させることは望めないように仕組みができているんですよね。

これが、自我の思考システムの全容。



しかし、赦しは、根っこから変えていきますから、

また、引き戻されることはけしてないんですね。



心の足し算引き算は、完全にエゴのやることなので

ハムスターのようにいつまでも同じところで回転しながら

解決の方に進んでいってるような錯覚に陥ってしまっているだけなんですね。




長くなりましたが、昨日の夜中に目が覚めた時、

こんな内容の赦しのことがでてきました。


そして、いつの間にか

わたしは再びねむりについていました。






赦しをするときは、心の足し算引き算しないで、


そのまんま、わたし(聖霊)に渡しなさい。


そして、渡したあとも心の足し算、引き算しないこと。




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我が家の庭で採れた佐藤錦のサクランボ
今年は大豊作でした。

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 lara♪ヒヨコ