いまわたしは昨日からレッスン121(奇跡講座ワークブックP121より)をやっています。
「赦しが幸せへの鍵である」
>赦そうとしない者は心は間違いを見ず、罪だけを見る。
赦そうとしない心は、与えることと受け取ることが同じであることを信じない。
それでも私たちは今日、あなたが敵だと思っている人と友達と見なしている人に対する
赦しの練習を通して、与えることと受け取ることがひとつであることを学ぼうと努める。<
>それでは目を閉じ、心の中にその人を思い浮かべ、しばらくその人を見つめてみよう。
その人のどこかに何らかの光を知覚しようしてみなさい。
それまであなたが一度も気づいたことのない小さな輝きである。
あなたがその人に抱いている醜い人物像から透けて輝いている小さなきらめきのようなものを見つけようとする。
その人物像の中のどこか光が見えてくるまで見つめる。
それらから、光がその人を包み込み、
その人物像を美しく好ましいものにするまで、その光りを拡げていく。
この変化した知覚をしばらく見つめ、それからあなたが友と呼ぶ人に心を向ける。
以前は「敵」であった人の周りに見ることを学んだその光を、
この友へと移行させてみなさい。
その人を、今、あなたにとって友以上の存在と知覚しなさい。
その光りの中で、その人の聖性があなたの救済者をあなたに見せてくれるからである。
その救済者は救われていて、救うことができ、
癒されていて全一である。
それから、あなたがその人の中に見ている光をその人から与えてもらう。
そして、あなたの「敵」と友をひとつにつながらせ
彼らに、あなた自身の与えたものを使ってあなたを祝福してもらう。
今、あなたは彼らとひとつであり、
彼らはあなたとひとつである。
そうして今、あなたは自分自身により、赦された。<
~~~~~~~~~
以上のレッスンなんですが、
う~~~~~~~~んんんんん~~

このレッスンはちょっと今までのレッスンとはちがって
ハードルが高くなってきてるなと思いました。
目を閉じてそのレッスンの対象となる相手を思い浮かべてみました。
そして、その人を見つめてみました。
うわぁ~~これはかなりしんどいなぁと感じました。
なぜって、わたしが苦手としている人を見つめるわけですから。。
一日目最初は、その人を思い浮かべるだけで違和感が走りました。
そして、その人のなかの光りを知覚しなさいと言っているけれど
光りなんて見えっこない。。
だって、苦手なんですから。。
今まで、この対象となる相手に対して、
ちゃんと向き合って赦しをしていなかったなと
気づきました。
その時その時はちょこちょことはやっていましたが、
ここがわたしの赦しどころなんだなと見えてきました。
今までは隠ぺいしていたんですね。
これに気づかせてもらっただけでも大きな学びとなりました。
その苦手な人の中に光をあまり感じるということができませんでした。
見つめるだけで精一杯でした。
2日目、わたしは、ここのレッスンはわたしにとってとても大事な箇所だなと感じ
今日も同じレッスンをやりました。
目を閉じて、相手を感じてみる
最初はやっぱりしんどい。。
でも相手を見ることを続けました。
すると、ほんのかすかな光を感じてきました。
そして、その相手の中の光りを知覚し、その光りを拡げてみる。
ゆっくりゆっくり時間をかけてやってみました。
そして、その人のなかに感じた光りを自分の中に与えてもらいひとつにしてみました。
すると、今朝は、苦手な人の光りに包まれていると
じんわりとしたものがこころの中に溢れてきて
右目の端っこに涙が滲んできました。
至福の愛とまでは感じませんでしたが
あ~~これかぁ~~
ひとつになるって
(いえいえ、元々わたしたちは分離していないし、ひとつなるものですから)
この赦しのレッスンは何日か、かけてやってみようと思いました。
そしてこのレッスンは私の中の定番になっていきそうです。
レッスンも赦しも、コースでも言ってる通り、
ほんのわずかな意欲でいいんだと思いました。
ほんのわずかな意欲をもってやってる中で色々なものが与えられる。
このほんのわずかな意欲を差し出すことの深い意味を知ってしまうと
スルーする気持ちにならなくなりました。
わたしの苦手な人、ものも、
間に引かれていた深い溝(思い込み)が少しずつ溶けて言っているような感じがしました
こうやって、最初から溝なんてない、分離していないんだということを思い出していくんですね


Laraでしたぁ~
